芸術家と修復師

スペインのプラド美術館で修復師をされている和田美奈子さんのインタビューを読んで、“腑に落ちる”、と言うか、長年モヤモヤとしていたものがパッと晴れた感覚を得た🌞

ある時期から、音楽(または芸術)に関する記事を読んだり、同業者であるはずの音楽家(または芸術家)と話をしていても違和感を感じることが多くなっていたのですが、もしかしたら私が好きなのは、“音楽(芸術)”ではなく“修復”に近いのかな、と。
そう考えたら確かに、私の好きな音楽家達は皆優れた“修復師”としての一面を持っているな、と。

イタリアを代表するオペラ作曲家のジュゼッペ・ヴェルディは、

指揮者たちの想像…演奏する度ごとの創作…これらはバロック時代への道に通じます。
(フランス人が今でも言うように)歌手が自分のパートを創作することが許されることによって、前世紀の終わりから今世紀の初めに偽の音楽芸術がはびこっていたように、混乱と矛盾をきたすことになるのです。いいえ。私が唯一の創作者でありたいのです。ですから、私は、私が書いたことをただ単に演奏してもらえれば満足です。歌手にも指揮者にも勝手に創作することを許しはしません。初めに言ったように、これは地獄への道の始まりなのです
(“リッカルドムーティ、イタリアの心ヴェルディを語る”より)

とおっしゃっていますが、優れた指揮者や演奏家が追い求めるべくはおそらく、創造力よりも洞察力なのであろう、と思います。

ここでちょっと話が飛びます✈️

現在私はフランスの音楽院で教えているのですが、国公立の音楽院の場合、フランス国家が発行する“音楽教育の手引き”に則って指導をしていかなければなりません。そして近年、その手引きの中で特に重要視されているものが“クリエイティビティ”であります。

かつてフランスは、世界一のソルフェージュ(音楽教育の基礎となるもの)教育を誇る国だったのですが、今では“ソルフェージュ教育は拷問に近いもので、子供達の創造力を妨げる”ということで、私が常勤で勤める音楽院でも、これからの数年間でソルフェージュ教育をゼロにすることを目標としております…

ヴェルディではないが、これは、地獄への道の始まりではなかろうか?

誰もがアーティストとなり世界へ向けて発信をしていける今、私はより洞察力を研ぎ澄ませていきたいと思っている。

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