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[ポーランドはおいしい] 第12回 瓶詰めの魔法

ポーランドではちょっと前まで、保存食料を作ることが主婦の重要な仕事の一つだった。冬になると新鮮な野菜や果物がほとんど手に入らなかったため、出盛りの時期に瓶詰めにして食料貯蔵室にためておくのだ。食料貯蔵室というのは、瓶を置くための棚がある、納戸のような狭い小部屋。民主化前の食料品店の棚には紅茶と酢とマスタードしかなかった、とは年輩者がよく話すことである。

食料貯蔵室(1995年8月撮影)

数年前に亡くなったボグダンのお母さんは、夏、トマトの値段がいちばん安くなったときを見計らって、市場で何キロも買い込み、瓶詰めを作っていた。この瓶詰めトマトが、冬の間、トマトスープの材料になった。

まずトマトをきれいに洗い、一つずつ丁寧に芯を取って一口大に切り、塩をふりながら保存瓶につめ、きっちり蓋を閉める。鍋底にタオルを敷いてそれらの瓶を並べ、水を張り、火にかけ、沸騰したら弱火にし、1時間ほどぐらぐら煮て殺菌消毒する。そのあと鍋から取り出した瓶を、テーブルの上に蓋を下にして逆さに立てる。こうして漏れがないか、ちゃんと密封されているかどうかを調べるのだ。蓋がゆがんでいたり、パッキンが傷んでいたりすると、水分がにじみ出てきて、密封されていないことがわかる。そうなるとその瓶は蓋を取り替えて、もう一度煮沸消毒しなければならない。

トマトを瓶詰めにするお母さん(1996年8月撮影)

あるとき、せっかく煮沸したのに、いくつもの瓶が密封されていなかったことがあった。よく見てみると、固く閉まった蓋を挟んで開ける道具を使った際に、蓋がゆがんでいたことが判明した。お母さんは駄目になった蓋を捨て、新しい蓋を買った。台所用品を売っている店では、いろいろなサイズの蓋をばら売りしているのである。

果物の瓶詰めも作った。ポーランドでは都市部の住人でも、郊外に家庭菜園を持っている人がかなりいる。そうした知り合いからリンゴやサクランボやスグリなどを大量にいただくことがある。そんなときも瓶詰めにする。リンゴは洗って皮をむき、傷んでいるところや芯を取り、一口大に切って、砂糖をふりながら瓶に詰め、煮沸消毒する。

スタニスワフ・レムの自伝的小説「高い城」には、家で果物の砂糖煮を作る際、甘い物好きの少年レムが「あく取り」役をみずから買って出たことが書かれている。あく取りと称して、レムはキイチゴの砂糖煮を盗み食いしていたようだ。

夏から秋にかけてポーランド人は森へキノコ狩りに行くのが好きだ。

いちばんおいしいと言われているのがプラヴジフキ(ボロヴィク・シュラヘトニィ)で、イタリア語ではポルチーニと呼ばれるキノコである。これは糸を通して首飾りのようにし、窓の外に吊して干しておく。乾燥したものは干し椎茸のような感じで、市場やスーパーマーケットでも売っている。よくスープやピエロギ(餃子のような料理)の具にする。手元のキノコ図鑑には生食も可とある。

窓際できのこを干している(2004年7月撮影)

カニャ(チュバイカ・カニャ)はパン粉を付けてフライにするとおいしい。このキノコは傘が大きく、直径25センチメートルにもなるから、フライにすると一見トンカツのようだ。

ルィゼ(ムレチャイ・ルィツ)はバター焼きが美味。スワヴォーミル・ムロージェクの短篇「ハラタケ」で、監督官をもてなすパーティーのつまみとして所長が僕に買ってこいと命じるのがこのキノコである。

クルキ(ピェプシュニク・ヤダルニィ)は傘の直径3-5センチメートル、黄色からオレンジ色をしたかわいいキノコで、よく市場でも売られている。いったんゆでてからバター焼きにしたり、マリネを瓶詰めにしたりする。

マシラキの類はポーランドに9種類あり、その多くは食用。収穫するとき、傘の表面のぬるぬるした皮をすぐに取らないと、キノコ同士くっついてしまう。マシラキもよくマリネにする。今年の夏はボグダンの親戚から、手作りマシラキ・マリネの瓶詰めをいただいた。

毒キノコとして名高いのがムホモルキ(ムホモル・チェルヴォーニィ)。傘は赤地に白い斑点付きで、柄は白い。外見が派手でわかりやすいため、絵本やマンガによく描かれる。さすがにこれを間違えて食べる人はいないが、ほかの地味な毒キノコを食用と間違えて食べ、亡くなったり中毒を起こしたりする人が毎年続出する。新聞などで、何だかわからないキノコは食べないようにと再三注意を呼びかけているにもかかわらず、毎年命を落とす人がいるのは、命知らずの向こう見ずなのか、単なる不注意なのか。

プラヴジフキ(ポルチーニ)の手作りマリネ(2014年7月撮影)

ポンチキに入っているバラのジャムを作る様子を、「高い城」の中でスタニスフ・レムはこう書いている。

薔薇はかごの中でしばらく過ごし、その後、花びら一枚一枚の白っぽい先端を小さな鋏で切り取られ、さらに砂糖煮前の下ごしらえがされ、甲斐なき永劫の「あく取り」と、「保存瓶」の殺菌消毒という化学、というよりは魔法と、そしてついに山ほどの苦労が、ラベルを貼ったガラス瓶の隊列を生み、それらは食料貯蔵室を栄光に輝く博物館に変えた。それゆえ、経験豊かな家政婦たち(一体いまどこにいるのやら?)がコンポートや砂糖煮作りで工業が自分たちに匹敵しうると知ったとき、彼女らの心に去来した軽蔑と落胆のないまぜになった気持ちが私にはよくわかる。

数年前、ボグダンの従妹が亡くなったあと、形見分けにいただいたのは、彼女が作ったマシラキ・マリネと酢漬けのパプリカだった。ボグダンのお母さんが亡くなったあと、食料貯蔵室には瓶詰めが残った。いまはスーパーマーケットでいろいろな食料品がいくらでも買えるとはいえ、残った瓶詰めを食べきってしまえば、お母さんの味はもう二度と味わえない。

従妹の形見の酢漬けパプリカ(2002年7月撮影)

註:
1. スタニスワフ・レム、拙訳「高い城」は『高い城・文学エッセイ』(国書刊行会 2004)所収
2.「ハラタケ」はスワヴォーミル・ムロージェク、拙訳「所長」(未知谷 2001)所収

2004.9.10

©SHIBATA Ayano 2004, 2017

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