BE:FIRST LEO ソロインタビュー 「苦しみ、そして光溢れる日々のすべて」を読んで
※この記事にはロッキング・オン・ジャパン5月号「BE:FIRST LEOソロインタビュー」の内容を含みます。
メンバーやファンのあいだで、BE:FIRSTの太陽と呼ばれるくらい、その明るさでグループを照らすような存在のレオ。
そんなレオの葛藤や苦悩、その迷路から抜け出し、本当の意味で「BE:FIRSTになる」までの話がこの5ページの文章に詰まっていた。
不器用だからこそ、苦しんだ。
苦しんだからこそ、でてきた言葉。
THE FIRSTを見ていた人ならわかるように、レオはああ見えて不器用なところがある。
最初から何でも器用にこなせるようなタイプではなく、"努力"でここまで這い上がってきた人だと思う。
そんな不器用さはBE:FIRSTとしてデビューしたからといって変わる訳ではなく、今もなおそれは続いていた。
BE:1ツアーのラスト2曲。長尺のMCでレオはこう言った。
この言葉を聞いて救われた人はたくさんいるのではないだろうか。
わたしもこの言葉に救われた一人だからだ。
このMCはレオ自身が経験したことから出てきた言葉だったのだと、このインタビュー記事を読んで気付かされた。
不器用で、自分にとっては大きな一歩でも他人からしたらなんてことない。自分が努力したことに対して、相応の評価をされない。
そんな苦しみを経験したレオだからこそ、出てきた言葉なのである。
少しわたし自身の話になってしまって申し訳ないが、自分の話を例に出そうと思う。
わたしは高校生の頃、一生治らない難病に罹った。一生薬を飲み続けなければならなく、病院に死ぬまで定期的に通わなければならなくなった。
今でこそ、病気を受け入れて、毎日を幸せに生きている方だと思うが、
病気に罹った当初は、「なんでわたしが」と絶望に打ちひしがれた。
けど今になってこう思うようになった。
わたしが病気になったのは、
人の痛みや苦しみを理解するためだったのだと。
たとえば、悩みを抱えた人がいたとして、自分がその同じ悩みを経験していればその痛みに気づくことができる。
すべてを理解できなくても「苦しんでいる」ということ自体を理解し、寄り添うことができる。
わたしは病気になったから気づけたことがたくさんある。
そんなふうに、苦しみを経験することは、
同じような経験をしている人を理解することにもつながるように思う。
レオ自身も、自分が最初から何でもできるスーパーマンじゃなかったからこそ、こんなにも人の心を動かすことができるMCができるようになったのではないだろうか。
感情に蓋をするということ。
その蓋を外し、心を解放すること。
レオが練習生の頃、人間の黒い部分を初めて見たという。
悲しいことに、生きていれば、遅かれ早かれそういうものに出会ってしまうことはあるだろう。
ただそこで、自分の感情に蓋をして、なかったことにするということは、
その場しのぎにはなるが、後々ウジが湧いてくるように自分を苦しめてしまう。
自分の感情と向き合うというのは、めんどくさく、体力もいる。
しかし、自分の気持ちを理解し、それを表現することで、救われる感情もたくさんある。
レオはりょんりょん先生からの指摘により自分が感情を出しきれていなかったことに気づき、
自分を受け入れてくれるメンバーに出会い、
自分の感情と真っ向から向き合ったことで心が解放されたのではないかと思う。
ステージ上で心が解放されたというのもアーティストらしいなと感じる。
レオは何かが吹っ切れたと表現していたが、自分自身で歌う「音楽」がきっかけで心が解放されたのではないだろうか。
自転車に乗れるようになる瞬間のように、何かを掴むような、急に腑に落ちる瞬間というのを誰もが一度は経験したことがあるはずだ。
きっとレオは過去のトラウマから、無意識に感情に蓋をしてしまい、自分でもそれに気づかないようになってしまっていたのだろう。
今までは隠していた、なかったことにしていた感情。それを解放する場所、受け入れてくれる人にレオが出会えて本当に良かったと思う。
インタビュー後半でも、心の葛藤をSKY-HIにぶつけてしまったという描写があったが、それをぶつけてもなお受け入れてくれる存在がいるというのはレオにとってとてつもなくかけがえのないことだろう。
アーティストになるのと同時に、より人間らしくなったレオの今後の伸び代というのは計り知れない。
「6人+1人」から「7人」へ
多くの活動の中で、配信や取材でのレオの立ち振る舞いに対して、わたしは2つの感情を持っていた。
BE:FIRSTの7人は外から見ていてもわかるくらい仲が良い。その仲の良さ故に、本題から脱線したり、空気が緩みそうになる瞬間が確かにある。それを軌道修正してくれるのがレオだと思っていた。
気持ちを引き締めなければいけない場面、ここぞというときに頼りになる存在で、周囲の人間に気を配れて、思いやりのあるところが好きなところのひとつでもあった。
ただもう一方で、社長やショウタくんなど(すごく稚拙な言葉で言うと「自分よりしっかりした人」)といるときのレオはとってものびのびしているように見えて、
あ、ほんとはこの人は実は甘えん坊なところがあって、可愛がられることで生きる性格でもあるんだなと感じた。
どちらのレオもほんとのレオで、気遣いができるレオも、甘えん坊で自由気ままなレオも好きだった。
きっとレオはまわりがすごく見えてしまう人で、それ故にいろんなことに気づくから必然的にまとめ役に徹してしまうこともあっただろう。
それを「自分を出すことができない」状況でやるのと、自分を解放した状況でやるのでは大きない違いがある。
これまでは「俺がやらなきゃ」と言う気持ちでまとめ役となっていたレオがそうじゃなくなったきっかけとして、さきほどの話にもあった、「心を解放すること」が大きな要因になったのだろう。
自分の内なる感情を、写真を撮ったり文章を書いたりいろんな方法で表現していくことで、「自分」というものがどういう人であるのか理解する。
理解したことでその感情をステージ上でも表現できるようになり、「自分を出すことができないから」まとめ役をやるというレオではなくなったのだろう。
他のメンバーにもレオの苦悩をわかっていたメンバーがいたのではないだろうか。
それに気づき、他のメンバーから率先して仕切り役をやっているように見える場面もあった。
メンバーを六角形、七角形に例えて、自分が囲わなくても大丈夫だと気づいたレオが「理想の自分」に近づき、これからどんなパフォーマンスを魅せてくれるようになるのか胸の高鳴りがとまらない。
そんな紆余曲折を経て、「BE:FIRSTになれた」というレオだからこそ、魅せれる夢があるのだと信じている。
変わらない芯の部分
「6人+1人」から「7人」へと変化したBE:FIRSTだが、そこにはレオの昔から変わらない意志が存在していた。
周囲への感謝の気持ちを常に持ち、それを忘れないこと。言葉として伝えていくこと。
それができるのはやはり、練習生時代の誰もいないライブハウスで歌ったり、一人じゃ何もできないということを実感したという、そういう苦悩があったからこそだろう。
当時の痛みがあったから今のレオが形成されているのだ。
「ダサくありたくない」というレオ。
それは彼の魅せるパフォーマンスに通ずるところがあるような気がする。
レオの歌う歌詞や発する言葉からはいつも強い説得力を感じる。
それは自分の言葉に責任を持って、理想の自分に近づくレオの、不器用でありながら、がむしゃらに努力しているのが、パフォーマンスから伝わってくるからであろう。
きっとこの芯の部分は、どれだけ大きい箱でライブをやるようになっても、たとえ世界の舞台に立ったとしても、これからもブレることはないだろう。
そんな芯を持ったレオがいるBE:FIRST。
改めて、この言葉を強く言いたい。
「BE:FIRSTはレオがいるから大丈夫」なのだと。
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