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初めてのミサで自分を神様にすることを考えた。

先日、誕生日を迎えた。自腹を切って椿山荘という名のあるホテルに宿泊するという話を元同僚に話したら、それなら近くに教会があるから行ってみるといいと勧められた。なんだかすごい建物だから見た方がいいよと。

椿山荘の向かいにあるその教会はカトリック東京カテドラル関口教会というところで、丹下健三さんが東京五輪の頃に建てたそうな。サイトを見ているとミサがあり、誰でも参加できるとある。

ミサって何するんだろう?と単純に興味が湧いて翌朝、行ってみることにした。一つ歳を重ねて、何か特別なことをしたい気持ちもあった。朝の8時から大聖堂にて。とにかく天井が高くて十字に光が入ってくる設計になっている。背面上部には巨大なパイプオルガン。グレーのシスターたちもちらほら。白いレースを被った高齢の女性もいたし、男性もいた。

入り口で初めて来たと告げると、分厚い布の表紙の賛美歌集を2冊貸してくれた。電光掲示板に数字が出るのでその歌を歌うらしい。

期待と不安の中、ミサは始まった。司会役の男性が厳かに式次第通りに進めていく。祭壇には司祭と思われる男性が二人と、そのお世話をする男性が一人。結婚式以外で賛美歌を歌うのは初めてだった。同じ音が続く楽譜は単調だけどその分重みもある音楽であるようにも思った。

言葉もとても丁寧で、祭壇には選ばれた人しか上がる事が出来ない。なんども祈りを捧げ、神を讃える歌を歌い、鐘や聖杯などの道具はとても丁寧に扱われた。ミサが終わるとみんな祭壇に一礼して帰っていた。神様に対する所作は美しかった。

私は宗教のことはわからないし、それぞれの信仰は尊重するべきだと思っている。ただ、今回の一連の様子を見ていて、日本のお寺や神社でも神様を敬うという意味では同じことが行われているんだなと思った。

神様は絶対的な存在だから、丁寧な言葉で語り、賛美歌や祝詞といった特別な手法を使い、ハレの格好で祭壇に臨む。とても丁重に大切に扱う。そのことが、神様という対象をより神々しいものに引き上げてるんじゃないかな。

だから、このことを自分自身にすればいいんじゃなかって。ほら、在宅仕事で猫もいるから毛玉だらけの1日中パジャマで過ごして、近くのコンビニなら上着だけ羽織ってそのまま出かけて、寝癖があっても気にしないふり。それも悪くないけど、24時間365日続いたら、そういう存在になる。なっちゃうって。

でも、丁寧な言葉で自分を語り、美容や運動といった特別なルーティンでケアし、背筋が伸びる装いをする。こういう時間が増えると、自分で自分を神様にすることが出来る。誰かに崇められたいわけじゃなくて、自分が自分を敬うことを、形から始められると思った。自分神様化時間、増やすぞ。

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