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運営する阿呆だったあの頃

私がダメダメだったOL時代に超頑張ったことが、3つくらいあって、そのうちの一つがアワード委員だった。

なんのこっちゃだろうけれど、私が新卒で入った会社は3ヶ月ごとに数字を追う会社で、アワードとはその成績優秀者のための表彰式のこと。

ノリノリのベンチャーだったので、ただの表彰式で終わるはずもなく、余興の要素もたっぷりのお祭りみたいな会だった。入社当時はまだ200人くらいで六本木のクラブでやっていたけど、その後は方向転換もあってホテルの宴会場などで行う格式高いものに変わっていった。

凝った音楽やパワポ、コンテンツでその会を取り仕切るのがアワード委員だった。私が関わったのは4年くらいだと思う。コンテンツ用の動画を撮影しては編集して、音楽を探して付けて、表彰される受賞者の名前のパワポを作って、3ヶ月前から用意しても、当日もバタバタの役回りだった。

キツイながらも、とにかく社員にとって楽しいものを企画するのは楽しかった。徐々にお互いの顔や名前がわからなくなり始めた規模だったので、コンテンツでは、様々な社員に光が当たるよう企画した。

踊らせたり、歌わせたり、楽器をやってもらったり、大食いさせたり、受電スピードを競ったり。すごく協力的でいいメンバーが揃っていたんだと今になって思う。

そんな歴代のアワード委員が集まるパーティーがあるからと、退職して5年も経つのに呼んでもらってこの週末に参加してきた。

おそるおそるだった。リア充感出さなきゃと変な見栄も出てきた。会社を辞めたことに、なんだかんだ自分でわだかまりを感じていたことに気付かされた。ダサすぎるね。でも気づけてよかった。当日どんな気持ちになるのか全く予想出来なかった。つまらなかったらすぐ帰ろうとまで思ってた。

30〜40人集まった新旧メンバーのうち、半分くらいは知った顔だったけれど、それでも退職以来な人が大半で、ものすごーくドキドキしてた。

でもね、みんな優しかった。「あやのじゃん、久しぶり!」って声かけてくれた。わざわざ話しかけてくれた人もいた。久しぶりに会えた同期もいた。大好きな先輩や後輩がいた。受け入れてもらうって嬉しいね。

当日は、懐かしい過去の動画のコンテンツも、流してくれたりして、タイムスリップしたみたいだった。肌も心もボロボロになりながら準備してた私が、時を経てニコニコしながら抱きしめにきてくれたみたいだった。

本当に素敵な人たちが、関わって作り上げた空間だったんだなぁと、じぃんと来てしまった。 いいメンバーといいプロジェクトに関われたんだなぁとしみじみ思えた。私のOL時代もなかなかええやん。

私がアワード委員になったのは、自分が表彰されないと拗ねたからだった。スネノが爆発してた。間接部門にいて、サポートする側だった私は、営業してバンバン受注しては目標達成して表彰されてくメンバーに嫉妬してた。かといって営業をやりたいわけでもなくて、本当にどうしようもない心持ちで働いていたんだねぇ、私は。

頑張りようは、他にもあったろうけど、(間接部門でも表彰される人はいたしね)どうせ表彰されないアワードで、ひたすら座って眺めるのはいや。だったら運営する方に入っちゃおうというのが人に言えないアワード委員参加理由だった。見る阿呆より、運営する阿呆に私はなった。

勿論やるからにはスーパー本気だった。普段の業務を進めながらも、当日までバレないようにコンテンツを作ったり、朝から会議したり、夜遅くまで動画作ったり、機材を借りる業者を探したり、イベント運営のための特殊スキルがメキメキ上がった。インカムで連絡取り合うくらいの会場規模でもやりきった。当日のインカムは副音声みたいでいつも楽しかった。おかげで結婚式の2次会幹事も難なくこなせるようになり、当時は多くの会を盛り上げさせてもらった。売れっ子幹事だった。

話がズレたけど、私のように退職したメンバーも現役のメンバーも一堂に会して、こんなにワイワイ出来ることって、レアなんじゃないかな?面白く会社を盛り上げたいって利他の思いが溢れる人ばかりで、美味しくて本格的な料理を作ってくれたり、誰かがコップを倒せば、ささっとペーパータオルを差し出したり、連れてきた子供と遊んだりと、すごく気持ちのいい時間だった。

楽しすぎて飲みすぎて、記憶を飛ばして粗相をする私の安定のクズっぷりを差し引いても(たくさん、助けていただきありがとうございます。本当に。)この上なく、素晴らしい体験だった。

好きで頑張ったことは報われるんだね。時間が経ってスペシャルな出世魚みたいになって、あの日が戻ってきた。頑張った私、ありがとう。

スネノが出てくる話はこちらにも⬇️


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