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手作りクッキーと自己肯定感

「チョコレート、ぱきぱきしなきゃね」
 二歳の子が、楽しげに笑って言う。
「たまごと、こなと、ぐるぐるするのね」
 そうだね、と頷くと、子はますます嬉しそうだ。

 チョコがたっぷりとはいった、ザクザクっとした食感の、カントリークッキー。口の中でほろっと崩れて、甘味と幸福感がいっぱいに広がる。

 お店で買ったそれを一枚食べた子は、大変気に入ったようで。「たくさん食べたいのー!」と騒ぎはじめた。よろしい、それなら手作りして、気がねなくたくさん食べてしまいましょう。

 バターは、最近一歳になったチビに、手でこねて柔らかくしてもらう。感触が楽しいのか、チビはラップの上からむにむにとよく揉んでくれた。

 柔らかくなったバターは、上の子に見本を見せてからボールで練らせる。「できなーいっ」と悩んでいるときには、「手伝っていい?」と訊いて一緒にこねこね。砂糖を加えて、更にこねこね。

 子が、コンコンと卵を割る。二歳なのでそんな上手にはできるはずもなく、ぐちゃっとなるけれど。まぁ、殻が入ってなければオッケーでしょう。バター、砂糖と一緒にぐちゃぐちゃとまぜてしまう。

 そこに、粉とベーキングパウダーを混ぜていく。本当は分量をはかって入れるべきなのだけれど。生地の固さをみながら、ちょっとずつ加えていく。混ざりきらない粉が、勢いよくマドラーを動かす子によって、ボールから飛び出していくけれど、それもまたご愛敬だ。

 その様子を見ながら思う。――実は、私はこれまでクッキー作りで成功したことがほとんどない。それはそうだ、こうして毎回分量も適当なのだから。それでもいつも、「今回は成功するのでは」という妙な自信がある。

 ツイッターで少し前、「自己肯定感」について話題になっていた。この「自己肯定感」という単語は、実は私のなかでは結構重要なテーマだ。

 私はそんなに、自己肯定感が強い方ではない。他者からのプラスの言葉は、自分のなかのフィルターで引き算した分しか受け止められない。フィルターとはつまり、「お世辞じゃないか」だの、「社交辞令じゃないか」だの、うかがい知れない部分まで敢えて考えて、差し引いてしまうのだ。

 逆に、マイナスの言葉はダイレクトに受け止め過ぎてしまう。ちらりと言われたことを、頭の中で何度も反芻して、その度に更にマイナスの要素を自分の中で付加してしまって、どんどん落ち込んでいく。時間差で涙が出そうになることもある。 

 そして多分、そういう人は私以外でも多い。だからこそ、今回話題になったんだろう。

 日本はそもそも、自己肯定感の低さが国民性として問題になっているくらいだ。「自分が嫌い」という中学生や高校生の割合の高さは、他国と比べてもかなり高い。

 「他人に迷惑をかけてはいけない」「空気を読むことが大切」「出る杭は打たれる」という価値観が、社会性として重要視される以上、どうしたって第三者の視線や見えもしない頭の中が気になって仕方なくなるものだろう。「いかに周りと同じようにできているか」がそこでは大切だから、ありのままの自分なんて求められておらず、そんな自分への肯定感なんて育つ余地がない。

 その割りに自分が問題なのは、自尊心が高く、変なところで(根拠のない)自信はあるということだ。その自信を自分で支えてあげられればベストなのだけれど、自己肯定感の低さからか結局は他者からの肯定を求めてしまうから、そこが噛み合わないと一気に気持ちが突き落とされる。中途半端に上がりかけていたものが、一気に地面に埋められてしまう。なんとも上下が激しく、生きにくいものだ。でもそれが自分だと、割りきっていくことが自己肯定感を高めるための一歩なのかもしれない。

 子が、板チョコを楽しげに割る。パキパキと細かく割ったそれを生地に混ぜ込んで、ラップをして冷蔵庫で休ませる。
 オーブンを余熱したら、いよいよ生地をスプーンですくい、形を作っていく。スプーン二つを使って、オーブンシートの上に落とされた生地は、一つ一ついびつな形をしているけれど、私の手を借りながらそれをしている子は真剣そのものだ。

 いびつな形のクッキー生地は、それでも焼き上がると甘い甘い香りを漂わせて、さくりと美味しく、幸せな時間を届けてくれるはずだ。子が作ったクッキーなら、そのいびつさがむしろ愛しくさえ感じられる。

 この世界にいる人たちは、みんなこのクッキーのように一人一人形が違って、少しずついびつなはずで。なのに、まるで工場で作られたクッキーのように「正しい形である」ということを求められ過ぎていて。でも、そのことに息苦しさをおぼえる声は増えてきていて、それはきっと、少しずつ社会自体が形を変えようとしてきているということなんだろう。

 どうかどうか、この小さな子らが大きくなる頃には、そのいびつさを楽しめる社会になっていてほしいと思う。そして自分ができることと言えば、「そんなきみたちのありのままの形を、愛しているんだよ」と、子らに伝え続けることなんだろうだなんて。オーブンの前でクッキーの焼き上がりを楽しみに待つ子を見ながら。膝の上でこてんと眠りこけているチビの顔を見ながら。そんなことを、思ったりするのだ。

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