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梅雨の日のパン作り

 焼きたてのそれは、触れるとふかりとして、まるで子どもの頃に夢想したような――雲をつかんだらこんなふうだろうか、というような感触で。つぶれないようにおそるおそるちぎってみると、思いの外に弾力のある手応えがかえってくる。
 さぁ、なにをつけて食べようか。苺のジャムか、こってりとしたピーナツバターか。それともミルクの風味がするシンプルなバター? ハムに、卵に、アボカドに……なんなら納豆なんて変わりダネだってありかも。

※※※

「チビちゃん。今日はなにをする?」
 雨で出掛けるのも億劫な日に、そう二歳の子どもに訊ねてみる。子は「んー……」と悩むようなそぶりをすると、「わかった!」と楽しげな声を上げる。
「パン、作る!」

 小麦にイースト、砂糖、塩、バター、牛乳をまとめて練る、練る、練る。この、練る作業が特に大切で、生地が作業テーブルにくっつかなくなるくらいまでとにかく練る。グルテンの膜ができるくらいに練れば、焼いたときに美味しいパンになるのだ。

 子はそこまでうまく練ることはできないから、「一緒にやろうね」と声をかけながら、子の「許し」を得ることが大切だ。この「許し」が必須で、なんでも一人でやりたい時期の2歳児は、不意に大人の手がのびてくるとパニックになる。

「チビちゃんがやりたかったのにぃぃいっ!!」

 そうなると、パン作りどころではない。そもそも、子のレクリエーションとしてのパン作りで泣かせては本末転倒だ。面倒と思ってしまいそうになる自分の心を宥めつつ、手を添えて一緒にこねる、こねる、こねる。

 練ったら丸めてベンチタイム。この丸める際には、表面が綺麗になるようにしなければならないのだが、パンを作る行程の中で何度も同じように丸める場面がある。そうなると、丁寧に丁寧に丸めた生地がなぜか可愛く思えてくるから、なんとも不思議だ。

 ベンチタイムの間、子は遊んでいるのだが、「もうパン作りのことは忘れちゃったかな?」と思っていると、ふと近づいてきて「パンはー?」などと聞いてきたりする。なるほど、やる気があるならもうちょっと一緒に頑張ろうと、再びキッチンへ。

 ぷっくりと膨らんだ生地を手で圧し潰し、六等分してまた丸め、再びちょっとだけ休憩。その間に、オーブンを余熱したりする。

「チビちゃんは、アンパンマン作るんだー」
 なるほど、アンパンマンの形にしたいのだね。
それならば、とチョコペンもお湯につけて用意しておく。

 充分に休んだ生地を子に手渡し、あとはお好きに成型させる。さらに小さく丸めた、豆くらいの大きさの生地を手渡すと、チビなりに鼻、頬の位置に置く。ここでしっかり押しつけないと、焼いて膨らんだときに生地同士が離れ、のっぺらぼうになってしまうから注意が必要だ。目はチョコペンで描くとなにかとちょうど良い。

 子が作るなかに、アンパンマンらしくないものもある。
「これは?」
 訊くと、にっこり。
「ぱぱ!」
 なるほど、なるほど。それには思わず、わたしもにっこりとしてしまう。

 できあがったものをオーブントレーに並べると、「おいしそー!」と歓声が上がる。ちょっと待って、今食べてもお腹を壊してしまうよ。
「オーブンで焼いたらね」
 そう、オーブンへ持っていくと、余熱がまだ終わっていない。まぁ良いか。なんとかなるだろう、とそのまま突っ込んでしまう。

 そして、チビおなじみの呪文の出番だ。
「おいしくなーれ! おいしくなーれ!」
 残念ながら、パンの焼き上がりまでは時間がかかる。そんなに長い間、呪文を唱えているのは大変だから、名残惜しくも別の部屋でまた遊ぶことにする。

我が宿に 雨つつみせよ さみだれの ふりにしことも 語りつくさむ

昔の人も、梅雨の雨を家にこもる理由にしていたのか、と思ったり。たまにはこうして、雨の音を聞きながら、子と語らいながらパン作り、というのも風流かもしれない。

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