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お前はスランプという言葉の本当の意味をわかっているのか

スランプっていうことば、よくいう。創作の世界に飛び込んだとき僕も昔は使ってた。小説書けねえ。これはスランプだ。そう言ってた。

その言葉、できない事の言い訳につかってないか。

僕は自分に問いかけたんだ。ある日、森の中、絵をかけねえぞ、小説をかけねえぞ。なんてこったい。別に命や生活かけてやってるわけじゃないので、それほど苦痛ではないが。いや苦痛だ。どうしよう。そうだ本を読もう。みんなの絵をみよう。

ああわかった。これスランプじゃない。

実際には50時間を費やしたあと、90%が脱落する。好きになれない、向いていないという理由でだ。そして、さらに50時間費やした人の90%があきらめる。このような普遍的なサイクルがある運だけでなく、続けるだけの熱意も必要だ。1万時間費やした人は、ただ、1万時間費やした人ではない自分で選び、さまざまな過程の中で選ばれた人なんだ。 / ビルゲイツ

お前は1万時間を絵に要したのかと。してねえな。僕は5年前に絵を描き始めて、だいたい毎月15ページくらい漫画を描き続けて、年間250ページくらい描いてて、そろそろ1000ページにいくんだけど、だいたい1日3時間〜4時間くらいは絵にあててた。はいはい。これガチで365日なんだ。よう描いたわ。と思う。休日八時間やったりしてるときもあったので多少上下はすると思うが、これでだいたい5500時間くらい。まじかよ。あと5年?

ああわかった。こいつはスランプじゃない。プラトーだ。

以前はなんか書けないけどっていう理由ってだいたい「今の絵が気に食わない」とかもあるんだけど「絶望的なほど反応がねえ」みたいなのもあって、正直そっちのほうが要因としては多かった。感想がないとかな。絵を褒められないとかな。最近そういうこというと、実際にくれるひとが「わたしはノーカウントか」みたいなことを言ってしまうっていうツイートもあったね。 この正確な意味合いとしては数がないことで「見られている数が少ないか、僕をフォローしてくれているフォロワーにすら届くことはない絵を書いている」っていう事実に絶望する(今もするときはある)っていう意味。それを感じて、筆を起きそうになる。僕はそこまで酷い絵を描いているのか。ぐるぐると回転して、結果そして見返して「ああ酷い絵だ」と思っていた。コミケにくる1000人のための絵を描いているわけじゃないのになあ。

そこで僕は陥った。かけないぞ。絵がかけない。いつも3時間トライするけど進まなかったり、諦めてしまいそうになった。実は今、The Sky Strikersを全然書けない。前出した本、感想なかったんだよな。完売したのに。それを一つのバロメーターにする気はないけど(言っておくけど好きだから描いているというのが前提にあることを忘れないでいるように)自分の話、実はつまらないのではないかという結論に至ってる。

でも放置して、いくつか勉強したりして、書き直すといい感じのとこに到達できていることが多い。自分が自分で感じる。そして筆をとると前よりいいものが描けている。そしてまた描きはじめる。そのサイクル。

でもどうしてもだめなら信頼できる絵描きの友達に相談する。ていうか今でも相談したい。「なあ、僕の絵、どこが変だと思う?」

とか書いてるけど、プラトーに陥るその不調、実は乗り越えられなかったこと、いまんとこない。よかったね。でも、こないだどうしても心が折れそうで、絵描きの友達を頼った。自分の絵の違和感は自分が一番わかってるつもりだけど、どうしてもわからなかった。なんで他人は僕の絵を見てくれないんだろう。なにが悪いと思う? 彼女は一つ教えてくれて、僕はそれを克服しようとがんばったと思う。それなりに。自分なりに。しばらくあとに彼女は教えてくれた。「綾瀬さん、がんばったね。上手になったね」。心にしみた。

大勢からみた違和感も必ずあるはず。ただ聞けないんだそういうの。Twitterでこういうの聞いたら、炎上するかスルーされるかどっちかだろうし。あとパブリックな場所で公開説教されるの、あまり好きじゃないし。

ただここを乗り越えたら成長した自分がいるのかも、と思うと一時的な不調はつらくなくなった。それは自分が成長するためのごほうびだ。たくさんきてほしいとは思わないが、二、三ヶ月に一回はあってもいいとは思うことはある。さすがにそれだと困るかもしれないけれど。

あと最近は絵を褒められないことに慣れてしまって、数がないことも「まあそんなもんか」で済まされるようになった。できた絵の違和感も見えるし、まあしかたないよな、これに反応しろっていうのが無理なもんだわ、と思う。人間って肯定されないだけでも落ち続けるのかな、と最近は感じる。違和感解消に走ることができているので、落ちている感覚は、そんなにない。

そうだなあ。絵描くの1万時間できたらそのときはスランプってことばつかってもいいかも。ただこれから絵描くならスランプって言葉使いたくない。若くないと成長できないということばを、僕は信じていないからだ。年齢を理由に諦めるのは簡単だ。でも僕は年齢を理由にするくらいなら、「子供の世話で絵を描く時間がねえんだ」のほうを理由にしたい。子供いないけど。

だから前から言ってるとおりだ。僕にスランプはない。あるのはプラトーだけ。スランプなんて言葉、怖くて使うこともできない。だから大丈夫。気分が落ちた先には絶対成長した自分を見せることができるはず。でもね、誰かを頼りたいときもある。だから聞かせて。信頼できる君の声が、僕には必要。

「僕の漫画や絵、君からみてどこがまずいと思う?」

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