「自分が納得できる投票」に至るまでのコストの重さ

選挙のたびに思うのですが、選挙で自分が納得できる投票を行うために必要なコストって社会人が負うには大きすぎるのではないでしょうか…。

将来のために選挙が重要なのは重々承知なのですが、それぞれの政策の良し悪しを先入観無くして見極めるのはなかなかに大変な作業で、たとえば脱原発ひとつ取っても、あるいは経済政策の方向性なんかでも、学者達でさえ意見が反目しあってる中で選び取るのは至難の業。

かといってノリで支持を決めるのも無責任だし、さりとてより抽象度の高いゴールを政党間で比較しようにも大抵レイヤーが揃ってないので如何ともしがたい。

https://steemit.com/blockchain/@haruru/21-liquid-democracy

現実性は不明ですが、リンクにあるリキッドデモクラシーのようなシステムがあれば、自分の関心の強い政策分野とそうでない分野に力を分けることもできるし、もう少し時代に即した形になるのかもしれない。

もしくは、政治家の皆様には選挙公報に流派みたいなものをもう少し詳しく載せていただく、みたいな。支持している理論とか学者とか。判断の切り口を揃えて切り分けてくれるサービスとかでもいいのかな…

いやちゃんと勉強しろ、というのはそうなのですが、その真面目さを全国民に要求できるんですか? という。個人的には選挙のシステムそのものが、国を正しい方向に導くものではなくみんなで責任をうすーく持ち合いましょう、というだけのものに見えてきている。

普通選挙の重みはそりゃあわかるけれども、もっと先に進めることは間違いではないでしょう。

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