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家族と一緒に仕事をするということは、全てを他人にさらけ出すということ

 
 皆さんこんにちわ、あやすけです。


 ・・・やはり、良くないことが起きました。


 前回の記事でも書きましたが、最近わたしは毎晩飲む酒の量が増えていたのですが、私の短い人生の経験上、それは良くないことが起きる前兆の、危険信号でした。
 
 ・・・ん?・・・いや、皆さんどんな想像をしているかは分かりませんが、大した事ではありませんよ。


 私の嫁が、勤務中に「プッツン」しました。ただそれだけの事です。


 いやもうほんと、お店中に聞こえるくらい、我が嫁の連続した叫びの言葉が、数分間に渡って店内に響き渡りました。

 そしてそれは、夫である私にとって「由々しき事態」であると同時に、「ただそれだけの事」なのです。

 
 その理由は、単純でシンプルです。それは、親父オーナーも、おかん店長も、そして何を隠そうこの私も、これまでのコンビニ経営という長い人生において何度か、今回の嫁と全く同じことを自分がやらかしているからです。
 

 当然の事ではありますが、その嫁の叫びの言葉が店内に響き渡っている最中であっても、来店して下さるお客様はいらっしゃいます。レジに向かってくるお客様も、当然いらっしゃいます。レジに立って接客中である私の耳に、叫びまくる嫁の「本気の声」が、背後の事務所から聞こえてきます。私の耳に届くのですから、お客様の耳にも当然届いています。


 当店のコンビニを運営している経営陣は、いわゆる典型的な「家族経営」というやつです。法人化もしていませんし、何より単店経営ですから、社員として店長を雇う必要性は低いです。つまり、お店を回すために必要なシフトの工数の半分程度が「家族同士」という事になります。

 したがって、自分の1日の時間のうち、家族と一緒に仕事をする時間は自然と大きなウエイトを占めることになります。プライベートな時間を共に過ごしている時にも、仕事の話が話題に上ることが多くなります。そんな毎日を今日も明日も、何年も何年も繰り返していると・・・不思議なものですね、仕事において「論理的に行動する自分」と、プライベートで「感情的に行動する自分」の「境」が無くなって行きます。


 境が無くなる毎日においては、職場とプライベート、家と外、身内と他人、本音と建前、そういった区別が薄くなっていきます。すると、他人の目や世間体というものが、どうでもいい、価値の無いものに感じて来ます。だって、両者を隔てる境が無いんですから。そしてそんな毎日を繰り返していくと、ついには「地位」や「名誉」や「権威」に対する欲が無くなってしまいます。何故なら、生きていくのに必要ないですから。家族の力って、すげぇな(笑)


 私達の毎日がそんな状況であるが故に、嫁が仕事中にプッツンしたことも、叫び声が店内に轟いたことも、その叫び声が来店中のお客様の耳に届いたであろうことも、その後の数日間スタッフ同士で小声で会話する場面を目にすることが増えたことも、「ただそれだけの事」となります。家族と一緒に仕事をするということは、外から見れば全てをさらけ出すことに見えますが、当の本人達にとっては大したことではありません。私達には最初から、境がありませんから。


 ・・・一番大変だったのは、この2週間ちょっとの間、戦線離脱した嫁のシフトを埋めたことでした。


 それでは今日はこの辺で。

 このクソッタレな世界で戦う皆様と明日もともに。


 

 

 


 

 

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