私の百冊 #09 『ぼくだけが知っている』吉野朔実

ぼくだけが知っている〔文庫〕(1) (小学館文庫) 吉野朔実 https://www.amazon.co.jp/dp/B0129D6NII/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_QWPRFb0GE357Q @amazonJPより

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ひょっとして吉野さんの作品は、まさか電子化もされないのだろうか?と恐れつつ検索してみると、kindle版があった。世の中では『少年は荒野をめざす』が吉野さんの代表作と見なされているわけだが、そちらもやはりすでに電子のみであるらしい。まあ僕も古書で買ったので文句を言う資格はないのかもしれないけど…。

『ぼくだけが知っている』――主人公である「ぼく」は、〈らいち(礼智)〉という名の小学四年生。しかし彼は、すでにこの世界の絡繰りを知ってしまっている。それも、知ってしまっていることを(大人たちに)知られると厄介なことになる、というところまで。が、コメディである。すでに世界の絡繰りを知っていると思っている、無邪気でちょっと変わったところのある少年の、いかにも小学四年生らしい日常を描いた作品だ。

「死ぬ気があるなら いっそ殺しておいで」「おんなじことだから 殺してこい」「お母さんがいっしょに引き受けてあげる いっしょに方法を考えよう」「やるなら確実に 頭(リーダー)を」

これは、ささいなことからイジメられはじめた〈らいち〉に「お母さん」が言ったこと。本当に首を括るつもりはなく、気持ちを強く持つために、〈らいち〉は或る種の「おまじない」として、桜の樹の枝に縄を下げる。それを、「お母さん」に見つかってしまった。――そう、「お母さん」というのはそういう人たちなのだと、〈らいち〉は知っているのだ。

『少年は荒野をめざす』『ジュリエットの卵』が、少女漫画家らしい作品を描いていた吉野さんの前期を代表する作品だとすれば、『いたいけな瞳』『Eccentrics(エキセントリクス)』『恋愛的瞬間』そしてこの『ぼくだけが知っている』の中期4作は、少女漫画というジャンルを超え、吉野さんが人間というものを、自在に自由に奔放に描いた作品群だ。

もしかすると、この先はもう『少年は荒野をめざす』しか、吉野さんの作品は、ふつうには読めなくなるのかもしれない。吉野さんは、ミラン・クンデラの言うところの『不滅』の存在ではないからだ。でも、吉野朔実という人は、人間の内奥を、時にゾッとするような胸の内側を、さらりと優雅に、そして繊細にやさしく描くことのできる、稀有な作家である。

なんとかkindleでは買える状態ではあるようなので、『いたいけな瞳』『Eccentrics(エキセントリクス)』『恋愛的瞬間』『ぼくだけが知っている』の中期4作を、是非、手に取って頂けたらと思う。(綾透)


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