私の百冊 #13 『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ

『存在の耐えられない軽さ』 (集英社文庫) ミラン・クンデラ https://www.amazon.co.jp/dp/4087603512/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_DvlXFbNFW1560 @amazonJPより

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できることならば、本書はあまり時間を置かず二度、読んでみて欲しい。一度目はどうしても、共産主義体制下のチェコという政治的状況のほうに意識が向いてしまうのだが、二度目になると、男と女が人生を共にするとは如何なる事態なのか?という、本書の主題がすんなりと沁みてくる。つまり、二度目には思わず胸が熱くなる、というわけだ。

たとえば、一回目は「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-3」のほうで毎晩ベッドに寝ころびながら読み、二回目は上にリンクした集英社文庫版のほうで通勤電車の往復に読むとか。訳者が違う二冊で読んでみるのもまた一興かと。「20世紀恋愛小説の最高傑作」かどうかまで僕には保証できないけれど、少なくとも僕にとっての百冊には間違いなく入ってくるわけで、実は僕自身がこのようにして二度読みしたのである。そして、二度読みして初めて、「ああ、これは素敵な小説だなあ……」と感嘆したのだ。

しかしながら、本作を「恋愛小説」と括るのには、少しばかり抵抗したくなる。最初にも書いたように、「男と女が人生を共にするとは如何なる事態なのか?」を主題にした小説なのだ、と言いたい。そこは、「恋愛の感覚」とでも呼ぶべき、あの苦しくも切ない断続する瞬間とは、ちょっと違う。恋愛が苦しい(嬉しい)のは刹那的な瞬間が断続するからであり、人生が苦しい(嬉しい)のは時間が滔々と淡々と流れるからである。恋愛と人生とは、時間の繰り返し方が異なっていると思う。

本作は、以前この「私の百冊 #07 」でも紹介した『眺めのいい部屋』のような紛うことなき恋愛小説とは、いささか趣きが異なっている。そこには共産主義体制下のチェコが舞台であることが、やはり少なからず影響しているのだろう。『眺めのいい部屋』の最終章のタイトルは「中世の終わり」、本作の最終章のタイトルは「カレーニンの微笑」――「カレーニン」とは、主人公に寄り添って生きた犬の名前だ。

恋愛の成就が「中世の終わり」と大袈裟に象徴されるほどの大事件である一方で、人生の歩みは愛犬の微笑に慰められるくらいのささやかな出来事であるのかもしれない。確かにその大事件だって人生の中の一コマには違いない。けれども、人間はいくつもの異なる時間を並行して生きる。暴発する恋愛的瞬間を生きながら、昨日となにひとつ変わらないような今日を生きる。そうしたものではないかと僕は思っている。

上手くお伝えできないもどかしさが残るなあ……。(綾透)


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