私の百冊 #01 『山月記・名人伝』中島敦

『山月記』

隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽っ た。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。

この、稀代の名文を目にしまったがために、うっかり「自らを頗る厚く恃んで」しまい、人生を棒に振った人間はいかほどの数に上ることか…。なんていう時代は、とうの昔に終わっているのだよなあ。確かに、「下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈する」のは嫌だけれど、「詩家としての名を死後百年に遺そう」などとは一瞬たりとも考えておらず、ただ漫然とイヤだイヤだと愚痴をこぼしながら毎日を無為に過ごし、遂に発狂することもなく、迷惑な年寄りに成り果てて行く。――それが大方の人生の諸相に違いない。だからこそ、遂に発狂し人を食う虎に姿を変じた李徴の物語に、僕らは憧れるのではないだろうか?


『名人伝』

飛衛は新入の門人に、まず瞬きせざることを学べと命じ た。紀昌は家に帰り、妻の機織台の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。・・・理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。・・・彼の瞼はもはやそれを閉じるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、紀昌の目はカッと大きく見開かれたままである。ついに、彼の目の睫毛と睫毛との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛衛にこれを告げた。

最初から最後まで、全編この調子で続く。いわゆる「デッドパン」と呼ばれるやつだ。大真面目な顔で表情ひとつ変えることなく、冗談を口にする。だから余計におかしい。この妻もまた、この先でもいい味を出してくれる。

ある日ふと気が付くと、窓の虱が馬のような大きさに見えてい た。・・・矢 は見事に虱の心の臓を貫いて、

いやいやいや(笑)、虱(シラミ)の心臓を射るほどに細い矢を作った職人がいたという話であり(そんなことは一言も書かれていないのだが)、そいつこそすでにとんでもない名人ではないか!

ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘蠅が、やがて、見えざる矢を無形の弓につがえ、満月のごとくに引絞ってひょうと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。紀昌は慄然とした。今にして始めて芸道の深淵を覗き得た心地であった。 

それはまあ戦慄するだろうなあ(笑)。なにしろ「無形の弓」に「見えざる矢」をにつがえて放ったら、空から鳶が落ちてきたの言うのだから。――前半の飛衛が弓の達人であれば、後半の甘蠅こそ弓の名人である、という話である。やがて紀昌もこの域に達し、街に降りてくるのだが…。結末は本編でお楽しみください。

いずれもすでに著作権が失効しており、kindleで無料で読むことができます。(綾透)

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