私の百冊 #15 『レ・ミゼラブル』ヴィクトル・ユゴー

『レ・ミゼラブル』〔全4冊セット〕ユーゴー https://www.amazon.co.jp/dp/4002010163/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_fog2FbHREMVC7 @amazonJPより

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いつもは書影を載せるのだけれど、今回はコゼットの挿絵にした(後ほどこれに言及するためである)。リンクは僕が読んでいる豊島与志雄訳の岩波文庫版で、原書の挿絵もたっぷり入っている。

ところで――下の写真ですが、 ぱっと見、本に見えませんか? 実は、開くとフィナンシェが6つばかり入っています(食べちゃったのでお見せできませんが)。ひとつ食べたところで、おいしいなあ…と思いつつ箱を眺めた僕は、まず、「ヒューゴ&ヴィクトールって読めばいいのかなあ」と思ったわけです。が、次の瞬間、「これ引っくり返すとヴィクトル・ユゴーじゃん! PARISて書いてあるじゃん!」と仰天し、慌てて奥さんをお呼びしたという事件が、つい先日ございました。(奥さんは、例によって例のごとく、「ふ~ん、そうかな?」とかなんとか、フィナンシェを頬張りつつ、いかにも彼女らしい反応を残し、僕の部屋を去ったわけですけれど) 

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さて、『レ・ミゼラブル』である。原作を読んだという人に、残念ながら、僕はまだ数名しかお会いしていない。が、それもやむなし…とも思う。なにしろ革命やら暴動やらの挿話が、ちょっと多過ぎやしないか?というくらい、しつこく(改行も少なく)延々と描かれており、「そう言えばジャン・バルジャンて今なにしてるんだったっけ?」という具合になり兼ねない構成なのだ。が、それがないと魅力が半減する作品でもあったりするので、実に厄介である。

とは言うものの、恐らくミュージカル化が大成功を収めたせいもあり、さらには――実はこちらのほうが重要なのではないかと密かに睨んでいるのだが――身長の倍くらいの長さがある箒を持って顔を上げる少女時代のコゼットの挿絵があまりに可憐であるがために、他に類例を見出せないほどの知名度を誇る作品となっている。知らない人はいないというところだけを取り上げれば、意味合いはまったく違うものの、あの『ロリータ』に比肩すると言ってもいいだろう。

僕が初めて本作を読んだのは、高校二年の初夏のことだ。古本屋さんで岩波文庫の全冊セットを買い求め、父の前に立った。今日からこれに読み耽りたいので読み終えるまで学校を休んでもいいか?と、ゴールデンウイーク前でも夏休み前でもない、ふつうの或る日曜日にお伺いを立てたのである。父は、僕が抱えている文庫本をちらりと目にし、いいよ、と言った。実際、僕は本当にこれを読むためだけに、三日ばかり高校をサボった。風邪をひいて熱があるとかなんとか、母が電話してくれていたらしい。――という事実を、数日ぶりに顔を出した学校で友人から体調を尋ねられて知った。

いま思えば、なんとも偉大な父であった。(いや、まだ元気だけど)

ここにひとつ、「学校をサボって読んでも父親に叱られない本」という、新たなジャンルが誕生した瞬間である。しかしながら、高校ではほかに試してみた本がなく、大学になればサボるもなにもないわけだから、僕の実体験として保証できるのは本作限定である。しかしながら、これはちょっと考えてみたいテーマではある。息子が将来(今は小学五年生だけど)どんな本を手に僕の前にやってきたら、学校をサボってもいいと認めるか? たとえば『失われた時を求めて』ならどうか? 確かに作品の質としては認めるにやぶさかでないとしても、ボリューム面からとうてい認めるわけにはいかないだろう。数日サボったくらいでは読み終わらないので、風邪ではなく、もっと重篤な病気なり怪我なりを、奥さんのほうで見繕わなければいけないからだ。そこでお見舞いに来たいとか言われたら大いに困ることにもなるだろう。なにしろ息子はベッドに寝そべって昼も夜もなくただ本を読んでいるだけなのだから。

……ちょっとなんの話をしているのかわからなくなってきたので、きちんと『レ・ミゼラブル』に向き合おう。――主人公のジャン・バルジャンは刑事罰に相当する悪事を働いた。実際、刑務所に収監される。罪は償わなければならない。しかし彼は脱獄を繰り返し、出自を隠しながら社会的成功も収め、かりそめの家族すら手に入れる。一方ここに、脱獄囚を追う正義の人・ジャベール警部が登場する。脱獄囚は改めて収監されなければならない。さらに重い罪を背負わされて。なぜならこの世は法によって治められるべきであるのだから。――と、まあストーリーは皆さんもよくご存じの通りであり、結末もまたご存じのことかと思う。

作中、もっとも苦しむのは警部・ジャベールである。もっとも魅力的な人間も、やはりジャベールである。ユゴーはきっとジャベールを描きたかったのだろうと、僕はずっとそう思っている。ジャベールには極めて重たい葛藤がある。なぜなら、多くの人間の幸不幸を決するのが、ジャベールの一存にかかる事態となってしまったからだ。結果、ジャベールは葛藤――心の内なる争い――に決着をつけない、という選択をする。葛藤もろとも地上から消え去ってしまう、という例のやつだ。ジャベールの葛藤はダブルバインドになってしまっているので、そうするよりほかどうしようもない。

僕はそう読んだ。様々な読み方があっていい。今でも多くの人の心を揺さぶるのは、きっと様々に読めるからなのだろう。ただし、現代に於いては成立し難い物語かもしれない。ジャン・バルジャンが社会的成功を収めた時点で、「我に正義あり!」と言わんばかりに、ネットや週刊誌が彼の数奇な過去を暴き立てるだろうから。彼らにはジャベールが抱え込んでしまったような葛藤など微塵もない。きっと「メシウマ」とか嘯くに違いない。しかしジャベールだって最初はそれこそ「正義は我にあり!」と信じて疑うことを知らなかったのである。繰り返しになるけれど、作中もっとも悲惨で哀れな人物――そしてもっとも不器用で人間的に愛すべき人物は、間違いなくジャベール警部だと僕は思う。皆さんはどんなふうに読みましたか?(綾透)


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