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言葉にならない言葉がいちばんだいじな言葉

ヌトミックの『何事もチューン』のこと、本当に大好きだなあと思ったのは錯覚かと思ったらぜんぜん錯覚じゃなくって、半年以上経ってもその気持ちがなかなか鎮まらなくって、それがどうしてなんだろうって結構、日々のスキマ時間とかも使って考えてみたんだけど、これだ!っていう結論にはぜんぜんたどり着けなくって、でも、べつに結論とかなくったって、大好きだったら素直に大好きだってそれだけを伝えればいいんだと思う。中学生のはじめての告白じゃないんだし。でも、さすがに、もう少し言葉にしようと力んでみるんだけど、でも、逆に、むりやり言葉にしてしまったら、だめなんじゃないかって気持ちもふつふつとわいてきちゃって、それが壁。だって、『何事もチューン』は言葉にならない大切な思いが言葉にならなくてもどかしくて喉がウズウズするあの感覚を、あの感覚のまま、拾い上げようと奮闘していた舞台なのに、それを、ふんぞり返って切り裂いて、だいじなことをぼとぼとこぼして、それらしいこと喋っても、ぜんぜん、喋ったことにならないから、それぐらいだったら、あの舞台の本番中に行われた大胆な休憩みたいに、タバコとか吸って、たそがれて、もの思いにふけっていたほうがよっぽど建設的なんじゃないかって、思って、でも、さすがにずっと休んでいるのも寂しいから、誰かと、この思いを分かち合いたいっていう気持ちがふつふつとわいてきちゃって、まだ、ぜんぜんまとまってないのに、こうして、とりあえず表に出しちゃったんだけど、でも、表に出すほどの価値があるかどうかなんて(価値価値、ってそんな、ヌトミック『Saturday Balloon』観た人にしか伝わらないことを、そんな)わからない、っていうか表に出すほどの価値のあることなんて世間一般が、社会が、時代が、勝手に決めることだし、わたしが、言葉にしちゃったらなんかつまんない感じになっちゃったけどわたしが、価値があるって思ったのは紛れもない事実だからそれを、誰かが指をさして笑ったとしてもわたしは、壁とかにブツブツ話すんじゃなくってあなたに、伝えたいんだって、なんだったらマイクを通してみんなに、伝えたいんだって、なんだったらスマホを通してもっとあまねくみんなに、伝えたいんだって、何事にも思ってしまう最近の、世界に対して敏感肌なわたしの叫びが、隣のあなたの同じような、いや、わたしよりも切実な叫びで、ちゃんと届かなくってもそれが、その叫びたちが、音楽になって、まるで音楽のように響いて、響きあって楽しく、みんなの耳に届くんだったらそれはそれで、途中で違う意味になったとしてもべつに、いいんだなって思えるってことを、そういえば、叫びたかったわけじゃなかった。話しているうちに、着地点を見失ってしまった。単に、きょう食べた小籠包のこと美味しいって分かち合える相手がたまたま、わたしの隣にいなかったから代わりに、迷惑かもしれないけど、あなたに伝えたくなったっていう、それだけの日なんです。特にオチとかはないけど、毎日オチなんかないし、伝えたいことは日々生まれちゃうから、内容に関わらず聞いてくれないかな、気が向いたらマイクも、渡してくれないかな?

ヌトミック『何事もチューン』
http://scool.jp/event/20170715/

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