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『きれいごと、なきごと、ねごと、』パート3(戯曲)《完結》

20 「遠い街」

翠雨 豪くんと気まぐれに電車を乗り換えて、眠っているうちにたどり着いた街は、みおぼえのない遠い街で、ここで誕生しなおすんだと決意するとめまいがした、そう、ここからわたしは赤ちゃんになる、不純物のない赤ちゃんになる、第二の赤ちゃんになる、おじいちゃんとかが生死の境をさまよって生還した後に「これから第二の人生だ」なんていうけど、人生っていっちゃうと以前のわたしと地続きになるから、別の羊水、別の胎盤、別の子守唄を準備して、生まれなおしたことにする。意識の底から洗いなおそう。

豪 翠雨は電車内で購入した菓子パンを駅のごみ箱にためらいもなく放り込んだ。買ったばかりのものを捨てるっていうのはどう考えても異常だったから俺はそれを咎めたけれど、「絶対に食べないものを持っていても仕方ないでしょう?」とケロッとした顔で翠雨がいうもんだから、それ以上追及する気をなくしてしまった。俺がここまで翠雨をひきずってきたようなものなのに、街に着くや否や、翠雨のほうから俺の手をひっぱって、ずんずんと前を歩いていく。希望に満ち溢れているんだろうか。それとも空っぽなんだろうか。

翠雨 ホテル、空いてないもんだね。
豪 まだ三軒目だから。
翠雨 野宿もいいかもね。
豪 大胆すぎない?
翠雨 だってせっかく知らない街に来たんだよ? ホテルって、なんだか安全じゃない?
豪 知らない街だから慎重になるに越したことはないよ。ただでさえ俺たちまだ子供なんだし、あっというまに警察にみつかって、強制的に家に戻されるんじゃつまらないだろ?
翠雨 それはそうだけど。
豪 あ、ホテルみつけた。ここで待ってて。空いてないか聞いてくるから。

翠雨 豪くんの姿がみえなくなった瞬間に、耐え難い空腹がわたしを襲う。意識を持っていかれるほどの空腹。豪くんがそばにいるときは我慢できるのに、一人になった瞬間に空腹のことしか考えられないなんて、滑稽で仕方がないけれど、そばに笑ってくれるひともいない。普段だったらここで何も考えずに菓子パンを胃に押し込んでいたことだろう。そうした瞬間に、今回の旅のなにもかもが台無しになるだろう。わたしは、好きなひとといっしょに、三食きっちり決められた時間に食べて、お互いの安らかな顔を眺めながら眠る、そんな単純な幸福を繰り返したいだけなんだ。こんなに単純な願いなのに、もうわたしの家では絶対に成就しないんだ。わたしは、わたしを殺さないと、幸福になれないんだ。

21 「奇遇」

溝口 やあ、奇遇だなあ。こんなところで何してるの?
翠雨 なんで溝口くんがこんなところにいるの?
溝口 いやあ、たまたま一人旅をしていたら翠雨の声がどこからかきこえてきて。
翠雨 こんなちょうどいいタイミングで学校も休んで一人旅するわけないでしょ? あれだけの醜態をさらしておいて、まだわたしに見え透いた嘘をべらべらと喋るの? 恥ずかしくならない?
溝口 ………どう転んでも俺ニヤニヤして翠雨のことみてるからね! っていっただろ。
翠雨 わざわざ追ってきたの?
溝口 ちょうど週に一回の日課になってる盗聴の時に旅行の話なんてしてたからさあ、いい機会だから俺も一緒にって思ってさあ。
翠雨 帰れよ!(恫喝)
溝口 冷たいじゃないかよお。俺は翠雨のことが心配でこうして忠告しにきてあげたのにさあ。
翠雨 そんな、嘘ばっかりつく口から語られる忠告に、どれだけの重みがあるっていうの?
溝口 レイプ未遂、あれぜんぶ豪くんのせいだよ。
翠雨 そんな、嘘ばっかり!
溝口 豪くん、クラスで手ひどいいじめにあってるって知ってた? 君が襲われたのも、そのいじめの延長線上にある行為なんだ。やることなくなっちゃって彼女のほうに矛先が向かうっていうよくあるパターンだよね。
翠雨 そんな、嘘!
溝口 まあいじめてる奴らがいちばん悪いんだけど、豪くんも情けないよねえ。彼女が襲われてもちっとも復讐しようとしないんだから。それとも、復讐なんて考えたこともない、優しい豪くんが好きなのかな? でもさ、俺のほうがもっと優しいよ。そう思うよね、そう思わない? 思うでしょ? 翠雨にとって重大な事実が隠されたままであることに耐えられなくてさ、こうやってちゃんとみんなに盗聴器をしかけてあげたんだから。
翠雨 そんなの、どうせでっちあげでしょ!
溝口 なんなら盗聴した音声、ぜんぶデータで送ってあげるよ! ちょっと重いからパソコンのアドレスのほうに送っておくね? いや本当、いろんなひとに盗聴器しかけてみてわかるのはさ、だれのことも信用できないっていう当たり前の事実だよね。だれかがいないあいだに、だれかはだれかの悪口を言って、だれかはだれかに責任をなすりつけて、だれかはだれかのことを勘違いして好きになってるんだ。ああ、大丈夫、俺は翠雨を好きな理由は勘違いじゃなくて、ルックスがドンピシャで俺のタイプっていうそれだけのことだから! ええ? クズだと思う? 俺のことどうしようもないクズだと思う? こんなに正直な人間もいないと思うけどなあ。だって翠雨にいろんな言葉を並べて近寄ってくる男たち、結局は俺といっしょでルックスがドンピシャでタイプっていうそれだけのことなんだから。みんな理想的なおかずを探してるだけなんだよ。美味しいおかずを手に入れるためならあらゆる手段を惜しまないということ、それを便宜的に「恋愛」って呼んでるんだよ。翠雨、君は俺が出会った中で、生涯最高のおかずだよ! これが俺のからだのなかから絞り出せる、唯一無二の愛の告白だよ。
翠雨 帰るわ。
溝口 え?
翠雨 溝口くんが帰ってくれないなら、わたしのほうから帰るわ。じゃあね。二度と姿を現さないで。
溝口 俺の生涯最高の愛の告白を、あっさり無視するんだね。そういうツンデレなところも、いいね!
翠雨 溝口くんみたいなひとが、これからなるべくこの世に生まれてこないことを、切に祈ってるよ。

22 「我慢」

溝口 もー、みんな、素直じゃないんだからあ。だれも俺の欲望を真摯に受け止めてくれないんだもんなあ。やましい欲望を抱えてるのに偽りの笑顔でひた隠しにしているほうが健全で、こうして一字一句綺麗に欲望を伝えてる俺のほうが不健全だって罵られるんだから、世の中間違ってるよな。我慢するのは不健康になるためのはじめの一歩なんだから。我慢我慢我慢が降り積もってダムが決壊してからじゃ遅いんだよ。毒抜きは毎日欠かさずが基本なんだから。翠雨、認めてくれよ、俺が翠雨の声をきいて朝目覚めることを認めてくれよ、俺が翠雨の写真をあらゆるところに忍ばせておいて安心することを認めてくれよ、俺が翠雨の生活の実態を少しずつ独自の調査で知っていって少しずつ俺の生活リズムもそれに合わせていって少しでも翠雨に近づこうとしている俺の涙ぐましい努力を認めてくれよ、認めてくれなくても俺は翠雨にずっと話しかけるからね、翠雨にじゃなくてもずっと話しかけるからね、俺の欲望をすっぽりと包んでくれる適切な器がみつかるまでずっと話しかけるからね。待っててね、適切な器。

翠雨 溝口のことも豪くんのことも置き去りにして、わたしは一目散に走った。一刻も早く離れたかった。すべての男たちから離れたかった。すべての男たちのなかに多かれ少なかれ溝口は巣食っているんだろう。男たちに限らない、大通りの真ん中に、路地裏の片隅に、溝口は形を変えて、息を殺して待ち伏せているんだろう。蛇口が壊れるみたいにだれかの欲望はあふれて、わたしの生活を水浸しにする。カビが生える。胞子で喉が詰まる。息苦しさを我慢できずにわたしは叫ぶ。だれかがいないと満たされない欲望なんて要らないと。ひとりで眠るだけ眠ってひとりで食べるだけ食べるひとりだけの毎日を送りたいと。どれだけ醜くなったってどれだけ不健康になったってどれだけ周りのひとたちを悲しませたって知ったことじゃないと。だれにも聞き取れないであろう、言葉にもならない叫びを垂れ流しながら、わたしは一目散に走った。豪くんから奪い取ったお金で何を食べようか、それだけを楽しみに夢想しながら。

23 「欲望」

だれにだって欲望はある。欲望を持つことに罪はない。欲望を吐き出すときに罪になるだけだ。
食欲も。性欲も。睡眠欲も。
逃れることなんて出来ないんだから受け入れるしかないのに。膨らむ欲望をどこに持っていけばいいのかわからない。処理の仕方はいつまでたっても安定することがない。
膨らめば膨らむほど気球みたいに宙に浮いて、地表で叫んでいるわたしたちを置き去りにする。
あの気球に乗ってどこかにいってしまいたいけれど、そんなことは許されないだろう。
なぜならあの気球はいつか萎んでしまうから。あるいは破裂して無残に墜落するから。
ただ食べるだけの豚になりたい。ただ交わるだけの猿になりたい。ただ眠るだけのなまけものになりたい。
肥え太ることもいとわずに、お気に入りの異性を檻に監禁して、目覚まし時計を壊してすやすや眠っていたい。
わたしたちはもともと醜い獣だっただろう? 欲望に素直になることをだれが拒んだのだろう? 自然に生きてゆくことはいつから禁じられたのだろう?

24 「ピーナッツ」

続 白雨、やつれてる?
白雨 は? やつれてなんかないよ。
続 顔が死んでるよ。
白雨 元に戻ったんだよ。こないだまで太り気味だったから。
続 白雨が太り気味だったことなんて、これまで一度もないだろ。
白雨 お兄ちゃんの基準では、でしょ。ファッション誌とか読まないからわかんないんだよ。
続 なあ、正直に言えって。なにか隠してるよな?
白雨 お兄ちゃんは家族を疑うことが習慣になってるんじゃないの?
続 こないだのゴミ当番、白雨だったよな。なんであんなにゴミ袋を持っていったの? そんなにゴミはないはずだろ?
白雨 破けてたから新しい袋が必要だったんだよ。
続 ごめんな、白雨。気になってついついゴミ置き場まで足、運んじゃったんだ。なにあれ。なにあの大量のお菓子の袋。
白雨 翠雨の部屋の押し入れに、ゴミが残ってたから捨ててあげたんだよ。
続 翠雨、ピーナッツアレルギーなのに柿の種買う?
白雨 ピーナッツだけ捨ててたんじゃない?
続 ハニーピーナッツもあったんだけど。
白雨 ………ピーナッツだけ捨ててたんじゃない?
続 そんなはずないだろ! なあ、白雨、もしかして吐いてるよな?
白雨 吐いてないよ。
続 もしかしなくても吐いてるよな? あんなに翠雨を軽蔑してたのに。
白雨 吐いてないよ!
続 ぶくぶくと太るのも嫌なのに、食欲を我慢することもできないなんて、白雨には理性というものが備わってないの? しかもその罪を翠雨になすりつけて平気な顔でいるなんて、もしかして罪悪感を抱く回路すら備わってないの? 翠雨に紛れて気づかなかったけど、うちのトイレの悪臭、本当は白雨が原因? かがせたいなあ! 白雨の好きなひとに、あの悪臭をかがせたいなあ! 百年の恋もさめるよ、きっと!
白雨 うるさい! うるさいうるさいうるさい!
愛雨 どうしたの? なにかあったの?
続 マジで笑えるんだけど、白雨がさあ、
白雨 言うな!
続 お菓子を大量に食べてさあ、
白雨 言うなってば!
続 大量に吐いてたんだってよ! これまでずっと!
白雨 お姉ちゃんには言わないでよ………!
続 翠雨がいなくなってもトイレの悪臭がとれないわけだ! ははは。マジで笑えるだろ。ははははは。
愛雨 白雨、本当?
白雨 嘘。
愛雨 本当に、そうなの?
白雨 嘘だってば。
愛雨 白雨、
白雨 嘘だって言ってるでしょ!
愛雨 わたしたち、別々に暮らしたほうがいいかもしれないね。
白雨 え?
愛雨 ずっとまえから考えてたんだ。もう二度と修復できない状況なのかもしれないなって。
白雨 もっと早めに言ってよ! もっと早めに言ってくれれば、こんな醜い姿を晒すこともなかったのに! 鏡に自分の姿を神経症的にうつして毎日のように泣くこともなかったのに!

25 「再々襲撃」

   盛大に窓が割れる音。投げ込まれる石。

霰 ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろなんだ!
白雨 ワンパターン! ワンパターンだよ!
霰 自業自得! 自業自得! 自業自得なんだ!
白雨 憤りが麻痺しちゃうよ! 同じぐらいの刺激を定期的に受けるだけじゃ憤りが麻痺しちゃうよ!

   白雨、霰を強引に家の中に入れる。

霙 まあまあまあ、すみませんうちの霰が、、、あれ? 霰? 霰! どこにいるの!?

   白雨、愛雨と続の手をつかみ、強引に外に出る。

   家の中に置き去りにされる霰。

続 離せって、
愛雨 ちょっと、なんなの?

   白雨、家の鍵をかける。

白雨 まどろこっしいから壊したいだけ壊してもらうことにしたの!
霙 はい?
白雨 だってそうでしょう? 何回も何回もちょっとずつちょっとずつ石を投げるだけじゃなんの解決にもならないでしょう? 物事を極端に起こさないと世界は変わらないでしょう?

   霰、家の中で暴れまわる。不定期になにかが壊れる音。

霙 だからってひとの家の子供を監禁していいと思ってるんですか!
白雨 いいと思ってます!
続 断言しやがったこいつ!
愛雨 白雨、待って、冷静さを失ってるのよ、いま。
白雨 冷静さを失ってるうちにしたいことぜんぶ成し遂げないとまた元の木阿弥でしょう!
霰 死んじゃえばいいんだ! 死んじゃえばいいんだ! みんなみんな死んじゃえばいいんだ!
白雨 そうだよね! 本当にそうだよね!
続 賛同しやがったこいつ!
白雨 みんなみんな壊れてしまえばいいんだよ。忌まわしい記憶の痕跡や澱んだ空気の臭いなんて完全に消し飛んでしまえばいいんだよ。こんな狭い所に閉じ込められていたからいつのまにかバランス感覚が鈍っていたんだよ。跡形もないところからまた始めないといけないんだ。
霙 責任を持ってくれるんですね、どうなっても知りませんよ! 霰は程度っていうものを知らないんですからね、そんなの押し付けていいっていうならいくらでも押し付けてあげますよ、でもね、きっと大きな後悔が待ち受けていますよ、霰は精査っていうものを知らないんですからね、家宝だって粗大ごみだって分け隔てなく壊しますよ、残るのは使い物にならない瓦礫の山ですからね、それでもいいんですね?
白雨 瓦礫の山に埋もれて霰くんが窒息するまで放置してみようじゃないですか!
続 めちゃくちゃな提案しやがったこいつ!
愛雨 白雨、頼むから冷静になって!
白雨 みんな、頼むから冷静さを失って!

26 「ばらばら」

白雨 もっと早く冷静さを失っていればよかったんだ。変な膠着状態を続けるぐらいなら、全員の欲望を引きずり出して戦わせて、どんな惨たらしい結果が出てもいいから物事を進展させるべきだったんだ。理性なんてなんの役にも立たない。ブレーキを何回踏んだって前に進まないことぐらい子供にだってわかることだ。欲望というアクセルをためらいなく踏むこと。絶壁から何人か落ちたとしても、わたしだけ助かればそれで万々歳なんだ。

霰は凄まじい勢いでわめき散らして、視界に入るあらゆるものに、容赦のない力を加えていった。窓は割れ、扉は倒れ、壁は崩れた。たまたま近くにいた人間は、祭りの出し物を囲むように、わらわらと群がりはじめた。興味本位の野次を飛ばす者がいた。目が痛くなるぐらいにフラッシュをたいて写真を撮り続ける者がいた。深刻な顔つきで詳細を説明して警察に通報している者がいた。それぞれがそれぞれの判断で、なんの統率もなくばらばらに動いていたけれど、霰を止めに直接動こうとしないことだけはその場の全員が一致していた。

続 ははははは。おかしくて仕方がないなあ! いつかはこうなるってわかっていたんだ、むしろ待ち望んでいたんだ、自暴自棄な人間に怖いものなんて何もないんだ、視界に入るあらゆるものを壊し続けて、やがて自分自身をも壊し始める。破片という破片が新たな亀裂を作って、これまでに走った亀裂を広げるだろう。世界中の亀裂から噴き出すようにあふれる欲望で右往左往する人々、その光景を満面の笑みで俺は眺め続ける!

愛雨 お父さんの悲しむ顔を思い浮かべて、お父さんの悲しむ顔なんてみたくなくって、お父さんが帰って来るまえに一刻も早くこの場から離れよう、この街を後にしよう、この地域に足を踏み入れることを金輪際やめにしようって潔く誓う。わたしは誓いを破らないから、これまでは家を守ろうという誓いを忠実に破らずに来たから、この家から立ち去ろうという新たな決意を揺らがせることは絶対にないから。

翠雨 生涯で最も長い距離を走ってへとへとになりながら、ようやく家の近くまで辿りついたとき、耳障りな叫び声が飛び込んでくる。「すべての窓が割れた」? 家の中から外に向かって、無数の石が飛び出している。霰が家の中に入り込んでいるんだ。わたしがほんの少しのあいだ家を離れたっていうだけで、いくらなんでも代償がでかすぎる。急速な睡魔に襲われる。世界が遠ざかる。虚無感の支配に下る。

27 「夢の中」

翠雨 夢の中で、あなたを抱きしめたって、強く抱きしめたって、からだがくっついてしまうぐらい抱きしめたって、仕方がないだろう。それはわかってる。わかってるけど、目覚めるたびに、抱きしめたあなたのことを思い出して、わたしはわたしの味方を永久に確保したような錯覚に進んで落ちる。復讐できないわたしを、殺気立っているわたしを、地雷を踏んで突き進むほどの自信を、あとちょっとのところで見失っているわたしを、なくさめてくれる味方が常に隣にいてくれないと、一歩も前に進めないから、たくさんのわたしをかきわけて、白旗を振りそうになっているわたしを、血眼で探しだして、ぎゅっと、抱きしめてあげるんだ。わたしはわたしにしがみついて、いつもそばにいる味方はわたししかいないことを再確認して、緩やかな眠りにまた落ちる。奥へ、もっと奥へ、まぶたの奥へ。また、ねごとが口を突いて出る。

翠雨 「わたしは、わたしの手で、みずからの、この、両手で、かつて、大切にしていた、こぼれおちていった、抱きしめていた、あらゆるものを、台無しにして、打ち砕いて、抹殺してしまわないと、この世界から、消して、なくして、綺麗さっぱり忘れてしまわないと、気が済みません、気が済んだためしはないんです、」

28 「泣けば?」

愛雨 叫んでばかりで疲れない?
翠雨 大声で言わないと実感できないことってあるから。
愛雨 翠雨が実感しようとしまいと、だれにも覆せないような事実だってあるでしょ。時間の浪費にしかならないよ。
翠雨 口に出さないと消えてしまうことだってあるんだ。知らず知らずのうちに黙殺されていくことだってあるんだ。いまのうちに痛感しないと衰える痛覚だってあるんだ。
愛雨 翠雨がどう頑張ったって、すべては衰えていく一方だよ。
翠雨 抱きしめて固めておかないと崩れ落ちていく叫びだってあるんだ。
愛雨 いちいち抱きしめていられないでしょ? 通過するままに任せておくのが自然の摂理だよ。
翠雨 大好きなものだけを抱きしめて眠ってしまいたいと願うことが、そんなにいけないことなの?
愛雨 いけないことだよ。人間は凍結するわけじゃないんだから。時間は静止するわけじゃないんだから。
翠雨 お姉ちゃん、つまんないよ。目の前の現実をそのままの形で受け入れるだけなの?
愛雨 現実を直視する勇気のない、目蓋をすぐに閉じる翠雨にいわれても説得力ない。
翠雨 現実しか見えないの? 理想を抱かないと理想が叶うわけないのに。きれいごとに取り囲まれて息苦しくならないの?
愛雨 起きててもねごとみたいなことばっかりいってるから、収拾がつかなくなって過食に走るんだよ。
翠雨 お姉ちゃん、本当に現実主義者なんだね。いっていいことと悪いことの区別もつかないんだ。
愛雨 区別はついたうえでいってるんだけど?

白雨 お姉ちゃんはひとの視線を気にしないから容赦なくものがいえるんだ。
愛雨 白雨が気にしすぎなだけでしょ。わたしが普通の状態なの。
白雨 だって、だれかにみていてもらわないと、輪郭が粉々に砕けそうになるでしょ?
愛雨 揺らぎすぎだよ。もっと自分を強く持ってよ。
白雨 ひとの視線をはねのけることが自分を強く持つってことなの? お姉ちゃんは無視してるだけでしょ。興味を持とうとしないだけでしょ。そうするのは簡単だけど、
愛雨 簡単だけど、なに。
白雨 本当にはだれとも関係を取り結べなくなるよ。これから先ずっと、だれかの運命の糸が絡んでくることはないんだよ。
愛雨 運命の糸って。言ってて恥ずかしくならない? 大げさだなあ。
白雨 だれかと関わるっていうことは大げさなことなんだ。大げさに受け取らないと太刀打ちできないんだ。お姉ちゃんは適切な距離感を取ることに慣れすぎているんだ。胸の中の声に耳を澄ますこともなくって、きれいごとだけべらべらと喋って、悦に浸っているんだ。寂しくならない?
愛雨 人一倍寂しがりの白雨に、そんなこと言われたくないよ。
白雨 だって、お姉ちゃん、あたしがこうでも言わないと怒ってくれないじゃん!…やばい、泣きそう。
愛雨 泣けば?
白雨 いいなあ、お姉ちゃんは、だれのことも見放せて! どんな糸にも絡めとられないんだもんなあ!

29 「ボーダーライン」

愛雨 白雨も翠雨も偉いなあ。変わらない生活から抜け出したいんだね。わたしはもうとっくの昔に諦めちゃった。たとえば革命が起こったとするじゃない? 昨日と今日で明らかに違うっていう、太い太いボーダーラインをひけるような革命。わたしはボーダーラインの真上に居たいんだ。ちょうど真ん中で瞑想していたいんだ。起こる前と起きた後で比較して、どっちのほうがよかったかを後から判断して、その気になったらいつでもどちらにでもいけるような、ちょうどいい位置に立っていたいんだ。でもね、そんな立ち位置を死守していたら、どこにもしがみつけないんだよ。いつでも置いてけぼりをくらうんだよ。だれかの前に立つことは絶対にできないんだよ。それだけわかってて、動けないわたしは確かに異常かもしれないね。でも、これだけは忠告しておくよ、白雨にも翠雨にも、わたしは絶対になりたくなんてないって!

30 「全肯定」

翠雨 始まりから、一時間経ちました、わたしたちは、一時間前と、なにか変わりましたか、なにも変わっていませんか、変わったとして、それは、進展ですか、衰退ですか、振り子のように元に戻ってくる変化ですか、それは、本当に変化ですか、

愛雨 あと五分後には、わたしたちは、いっせいに口をつぐみます。一時間かけて、熱弁してきた一切が、「きれいごとだよ。」の一言で片付けられるものだとしたら、喋る意味なんて、もうどこにもないから、一秒も、一分も、一時間も、一日も、一週間も、一ヶ月も、一年も、一世紀も、ぜんぶぜんぶぜんぶ、いっしょの泥沼のなかで、溶けていくだけだとしたら、どれほどの時間をかけたところで、飲み込まれていく言葉を量産するだけだとしたら、わたしたちは喋らないから、あなたたちも口を出さないでください。これまでの言葉は約束です。約束を忘れないでとは決して言いません。ただわたしたちはいつでも、約束を、もろいかもしれないけど、約束を交わせるという事実を、脳裏に焼き付けておいてください。決して忘れないでください。決して。決して。決して。

翠雨・白雨 この状況は、ラストシーンにふさわしいですか?
愛雨 答えられません。
翠雨・白雨 この状況を、黙殺できますか?
愛雨 答えられません。

霙 あんな頭の悪い弟は殺して頭の悪い奴はすべて殺して少しでも欠陥のある人間は全員殺して頭のいいひとだけの社会を築きたい!
霰 ざまあみろざまあみろざまあみろ自業自得自業自得自業自得死んじゃえばいいんだ死んじゃえばいいんだみんなみんな死んじゃえばいいんだ!
溝口 女の子の裸や女の子の苦しんでいる表情や女の子にふるわれる暴力や女の子の弱さに対する恥じらいをもっともっと目撃したい!
豪 いろんなひとの欲望にひきずりまわされずにからっぽでいいじゃないかって安堵して考えることはやめにして日常を真っ白にしたい!
続 目の前にたちはだかるあらゆるものを片っ端から壊してその後片付けはだれかに押し付けたままで脇目もふらずに進んでゆきたい!
愛雨 家族とか友人とか蔓延しているしがらみをすべて断ち切って知り合いのだれもいない場所で粛々と暮らしていきたい!
白雨 だれもがわたしのことを好きになってわたしより綺麗なひとはこの世に存在しないって嘘でもいいからいってほしくて鏡という鏡を割りたい!
翠雨 何もかも忘れてひたすら目の前の食べ物を詰め込むだけ詰め込んでどん底まで不安になる空腹を感じないままでだらだらと生きていきたい!

愛雨 あなたたちは幻滅する。
白雨・翠雨 わたしたちは見放される。
白雨・翠雨 わたしたちは幻滅する。
愛雨 あなたたちは見放される。
白雨・翠雨 わたしたちは見放される。
愛雨 あなたたちは幻滅する。
愛雨 あなたたちは見放される。
白雨・翠雨 わたしたちは幻滅する。

霙・霰・溝口・豪・続 わたしたちの幼稚な欲望を肯定して! 留保も躊躇も遠慮もなく肯定して! 歴史も時代の流れもないがしろにして肯定して! 法律にも常識にも暗黙の了解にも違反するけど肯定して! 全肯定して! 全肯定して! 全肯定して!全肯定して! 全肯定! 全肯定! 全肯定!全肯定! 全肯定! 全肯定! 全肯定! 全肯定!

愛雨 この状況は、ラストシーンにふさわしいですか?
白雨 ラストシーンにふさわしい状況なんて存在しません。わたしたちは続いていくから。
愛雨 この状況を、黙殺できますか?
翠雨 黙殺したことなんて、これまで一度もありません。あなたたちがここにいるから。

愛雨 断言できますか。
白雨 断言できます。
愛雨 断言できますか。
翠雨 断言できます。
愛雨 断言できますか。
白雨 断言できます。
翠雨 断言できますか。
愛雨 …。

白雨・翠雨 この状況は、ラストシーンにふさわしいですか?
愛雨 …。
白雨・翠雨 この状況を、黙殺できますか?
愛雨 …。

白雨 あたしが癒してあげたひとも、あたしが消えないあざを残したひとも、あたしの窓に飛び降りてみて。あたしが、みんな、見送ってあげる。
翠雨 あたしを癒してくれたひとも、あたしに消えないあざを残したひとも、あたしの胸に飛び込んでおいで。あたしが、みんな、飲み込んであげる。

31 「耳を澄ます時間」

白雨 耳鳴りが消えた、生きていくよすがになるものを失った気がする、そのかわり、耳鳴りの向こう側も、こちら側も、確かに繋がっている、地続きの世界にあるということが、おぼろげにわかるようになってくる、あたしは耳鳴りに苛まれていたんじゃない、耳鳴りの向こう側に逃げ込んでいたんだ。拒みにくい声を、抗いがたい声を、目障りな声を、耳障りな声を、かき消すことに専念して、鼓膜の震えに鈍感になっていったんだ。

愛雨以外全員 いま、わたしたちに到来する、耳を澄ます時間。

白雨・翠雨 これまでの熱弁が、「きれいごとだよ。」の一言で、片付けられるものだとしたら、この話が終わるまで、あと、一分も、ありません。

翠雨 わたしは諦めるために思考回路を短縮して、思考力を劣化させていったんだ、諦めている暇なんてない、思考停止している暇なんてない、同じ結論にたどりついても、それは決して無駄なんかじゃない、これまでの道のりを踏みしめた、足の裏の感触が残っているかぎり、わたしは何度でも前に進めるんだ、思考停止して、思考停止して、思考停止して、思考を上書きしていくんだ、塗り直していくんだ、間違っていたわたしを、これまでのわたしを、正しいわたしなんて一瞬できれいごとになるんだから!

翠雨・白雨 無数のわたしが残していった、無数の足跡をかき乱そう。砂の城を波がさらうみたいに、誰かの努力の結晶を粉々に打ち砕こう。壁に刻まれた落書きや爪痕やメッセージを、真っ白なペンキでべったりと覆い隠そう。わたしたちの妥協のない潔癖さに、忠実に生きるために。

愛雨以外全員 いま、一斉に着地します、準備はできましたか? この瞬間のために、欠かさず、準備はしてきましたか?

翠雨 これまでの熱弁が、「きれいごとだよ。」の一言で、片付けられるものだとしたら、この話が終わるまで、あと、一秒も、

愛雨 泣きそうなんだけど。
白雨 泣けば?

   唐突にブツッと切れるように、幕。

(了)

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