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ブラームス:ピアノトリオ第1番 初稿(1854) 本気で弾いてみた

この曲の存在を知ったのはもう20年以上前。
「ブラームス:ピアノ三重奏曲 全集」の楽譜をめくりながら友人とお遊び初見大会をしていて、第3番が終わった後に現れたこの初稿版に驚き、興味本位でほんの少し弾いてみたのが初対面。4ページほど弾いて、「あ、これは弾かなくていい曲だね、、、」とそっと楽譜を閉じたのであった。。。
そのまま私の中で"駄作"と位置付けられたまま、再び弾いてみることもなく時が過ぎていった。
その間、一流の奏者がこの作品を演奏会で取り上げていたのを発見し注目していたが、お客さんの反応はいまいち。この人たちが弾いてもこの程度なら、それだけの曲なのだな、と思い、ますます深いところに閉じ込めた。
大体、自分の書いたこの作品を何十年も経ったのちにほぼ丸々書き直したブラームス本人のことを考えると、「書き直したくなった方」の作品をわざわざ掘り返す必要はあるのだろうか?ブラームスはこの作品をこの世から消し去りたかったのではなかろうか…。私の中ではそんな思いがぐるぐるしていた。

そんなある日、カフェ・モンタージュのオーナー高田氏から、この作品を取り上げてみていただけないかとオファーが。。。
大好きなブラームスの望まないこと(←私の勝手な思い込み)はしたくないなぁと、上記の私の考えを伝えてみた。
この作品を弾く気はないのですが。。。
しかし、高田氏の思いはことのほか熱かった…!
その熱意と、彼の考えてくれたプログラム(シューマン=キルヒナーとの組み合わせ)、またその先に待つプロジェクトへのつながりを考えて、
一大決心、この作品の演奏を引き受けることにした。
ブラームスだって一度は「出版」をOKするほど自信を持って世に出したのだから、と毎日自分に言い聞かせ、
腹を括って真剣にこの曲と向き合ってみることにした。



【Op.8】

恐らくブラームスにとって初めての室内楽作品。
Op.1, 2, 4, 5 はピアノソナタ3曲を含むピアノソロ作品
3, 6, 7 は歌曲。
ピアノソナタは第3番(op.5)を大事なリサイタルで取り上げたこともあり、隅々まで読み込んで勉強したし、その他のソナタやスケルツォ(op.4)を見ても、この頃のブラームスは、ピアノ一台でどれだけオーケストラ的な音が表現できるかを実験しているように感じる。
音楽のスケールが大きいことに加え、
2本の腕、10本の指では到底掴みきれないような幅広い音程の和音が多用されている。
同じようなことをこの初稿トリオにも感じた。
トリオの編成でどれだけオーケストラの音に近付けるか。
「トリオで演奏する交響曲」
そんなつもりで演奏するとしっくりくるのかもしれない。

【第1楽章】

◎冒頭
音符のならびはいつも弾く改訂版と全く同じ、ピアノが一人で弾き始めることも一緒。
しかし、音符以外の部分が大きく違う。

改訂版[1889年 大人ブラームス 56歳] は
2分の2拍子、Allegro con brio

今回の初稿版[1854年 青年ヨハネス 21歳] は
4分の4拍子、Allegro con moto

同じ譜面でも、2拍子で捉えるか、4拍子で捉えるかでは、表現や曲の流れがまったく異なる。
con brio と con moto の違いも興味深く、この冒頭はあえて通例の大人ブラームス版とは違う弾き方をした。

◎呈示部
大人版と大して変わらず、多少アレンジが入った程度のまましばらく進んだと思ったら、突如変なところに連れて行かれる。
ついさっきまで分厚い和声を共に奏でていた弦2人が急にいなくなり、ピアノ一人、しかも右手のみの単旋律で第2主題?を始める。
なにこれ。
もう、なんか変だし、わけわからない。
でもこれは、「いつもの音楽」が終わる場所の弦のエネルギーを受け取りそのままキープしてその後の単旋律に注ぎ込むと、うまく関連性をつくれる気がして、本番もそのように演奏した。
しかしその後もなんとも謎が多い。
ピアノが長く静かなソロを弾くのだがそれがなぜか両手ユニゾンだったり、
チェロのソロでまるで受難曲のような暗く重いモチーフが登場したり、
pやppがどこまでも続くような、どこに山を持っていって良いのか戸惑うような作り。

◎展開部
初期ブラームスの特徴として、ピアノがかなり技巧的というところがあるのだが、この展開部はまさにそれ。めっちゃさらいました。

◎再現部〜終結部
ドラマティックでハーモニーも分厚くて、
結構感動ポイントがあったりしました。。。♪


【第2楽章】

これはほぼ改訂版の通り。ちょこちょこ変に和音の音の配置が違うくらい。
最後の最後だけ、弦が二人でピチカートをポンポンやって終わるのが謎。
あまりにも謎すぎてリハ中毎回みんなで笑ってた。
でもよく見るとちゃんと和声で進行していっていて、綺麗に終わっているのだけど…
なにせ聴かせ方(書き方)が上手じゃない感じ。。(上から目線でごめんなさい)

【第3楽章】

冒頭は改訂版とほぼ変わらず。
この美しいAdagioが青年時代にもう完成していたことにはビックリ。やはり彼も天才だったのだなぁと改めて。
ただ、本来重音で弾くはずのヴァイオリンが単音になっていたり、
改訂版ではチェロが1拍早くH音に上がるところがヴァイオリンと同時に動くタイミングにしてしまっているところなどには、若さを感じる。(再び上から目線)
逆に円熟期の改訂版ではさすがの小ワザを効かせたのだなぁ、とブラームスくんの成長を感慨深く感じていた。(笑)
聴き馴染みのある美しい姿のままA部分が終わり、さぁ、チェロの聴かせどころのgis-Mollが来るかと思いきや、肩透かしを喰らう。
ここは初稿版ではピアノが主旋律を担当。しかもE-Dur。
ドラマティックな改訂版に対して、穏やかな初稿版。しかしこれはこれで美しい。
その後また聴き馴染みのある感じが戻ってきてこのまま静かに終わるかと思ったところで、
突然のAllegro。なんで。
Doppel MovimentoでウキウキとH-Durの山登りが始まり、辿り着くとベートーヴェンばりのしつこい1度の和音の連続!
なんでこの楽章でここまで派手にする意味があったのだろうか。。。
そのまま終わるのではなく、再び聴き馴染みのある美しい終結部に戻り、夢のようにおわる。

【第4楽章】

フィナーレも、冒頭は改訂版と大差なく、しばらく「うんうん、これこれ」が続く。
突如厳しさと力強さのある別の世界に引き込まれ、その後は3小節単位(3拍子感覚)で流れる第2主題。
チェロが歌ったりヴァイオリンが歌ったりピアノが歌ったり。
再び怪しげにテーマが現れてはまた別の場所に行くのを繰り返し、
突然ピアノがコラールを奏でるような場面も。
クライマックスに向けて音数は増え、ピアノの右手が忙しなく高音中音を駆け巡る。
コーダは改訂版とほぼ同じように進み盛り上がりをつくるが、やはり円熟の大人ブラームスには敵わない印象。
しかし元気に、やりたいことを詰め込んで試行錯誤した初トリオ、
改訂版では綺麗さっぱり姿を消してしまい、初稿版にしか出て来ないフレーズの中にも、美しいもの、かっこいいものがいくつかあり、
これはこれで、出会えて良かったと思える作品であった。

【感想】

全体を通して、やはり改訂版は弦楽器の扱い方が格段にうまくなっていて、クライマックスへの盛り上げ方も秀逸。
初稿版はフレーズが終了する場面がしばしばあり、その都度新しいテーマが現れて立て直すので、まるでパッチワークのような音楽に聴こえてしまう。演奏者がいくら気をつけて繋げようとしても限界がある印象。
改訂版の方はその点やはり成熟しており、場面が変わる時もそのまま自然な呼吸で次に入れるような音使い、リズム使いをしているように感じる。
一人の作曲家の成熟する様を目撃するような特別な機会だった。
若く、作曲技法は未熟ながらも、溢れる思いや好奇心、探究心を感じる1854年初稿版。
ヨハネス青年の奮闘する様子と、開花する才能、熱い想いが垣間見れて、良い演奏経験となった。

Special thanks to Mr. Takada from Cafe Montage Kyoto!

2024.1.25-26 at Cafe Montage

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