自分を支えてるもの
両手に持てるものしか駄目だつまり、2つ以上のことをこなそうとするとなにかが隙間から溢れてしまう
高校時代のテニス部の顧問からチームの中でプレーヤーとして、また1人の人間としてこれから生きていく上で大切なことをたくさん教えていただきましたが、その教えの中のひとつです
なぜかこの言葉は自分が岐路に立たされると頭に浮かびます まさしく今も
厄年なのか今年は
というぐらいに、色んなことが起こります
神様は試練を与えすぎてるようにも思えてきますね
まあ、でも神様恨んでも仕方ないので
自分が立ち直ってなんとか生きていくしかないです いつも悪い方に考えてしまって消えてしまった方がいいと何度も思いました
色んな人と触れ合って、話して、笑って、時には人前では泣かずにひとりで泣いて
わたしの毎日はそんなことの繰り返しなわけですが、その時間がないと崩れてしまう 支えてもらってるものです
私を
好きだと言ってくれる人
私の
絵を好きだと言ってくれる人
字を好きだと言ってくれる人
言葉を好きだと言ってくれる人
部屋を好きだと言ってくれる人
服を好きだと言ってくれる人
センスを好きだと言ってくれる人
そんな人たちに支えられてます
私は特に見返りを求めて人に何かをするということは考えなくて(考えられないに近い)、好きでしてることが多々あります 急に花をプレゼントしたり、アクセサリーを渡したり
でもそれは普段からどういう形であっても、支えてもらってる、それがあるからです
よく、欲がないよねと言われます
ないんじゃなくて欲が見つからない
私なんかが欲張ったら駄目なんじゃないかと思ってしまってるからかな
でも欲がないと、目標も立てれないし毎日楽しめないのかなって最近気付きました
自分が楽しんでないと周りも自然と離れていく
私は最近、支えてもらってた人と距離を置くことになりました
でもそれはネガティブなものではないです これからも会うこともあります 影響も与え合います
自分の身の回りで変化が起こりすぎて、自分さえもコントロールできなくなってたので、それが伝わってしまってたのかなと思います
ちゃんと言葉にして伝えてくれる、それだけでも尊敬する それなのに背中を押してくれる言葉を残してくれる 本当に好きなんです
まあ、謎の好きです発言は置いといて
好きって思えること、ものが自然と支えになる
何か意図して支えてもらおうとするのは違う、気がします
両手に花、ということばがありますが
「良いものを同時に2つ手に入れること」
花は生きてても枯れていても綺麗ですよね
しかし、良いものかどうかはその人の判断です
私はどちらも良いものだと思います
人に置き換えると"今見つめていること"と"過去"ですかね
言葉では2つですが、片方にはたくさんの見つめていることがあるかもしれない そうすると手から溢れてしまうかもしれない
でも片方の手(過去)で支えてあげることができる そういう考え方でも良いのかなって今は思います
顧問の考え方を自分なりに更新してみました
そうしたら岐路に立った時、自分の中で整理がつくようになりました
時間があれば、小さなことでも見つめ直すって大事だなと思います
みなさんの支えになっているもの・ことを聞いてみたい
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