あゆち

音楽家

あゆち

音楽家

マガジン

  • 田舎娘の大冒険

    私が辿った世界を綴ろうとおもいます

最近の記事

人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った

3年前の夏、 まだ東京に住んでいた頃の僕を救ってくれたのは『八月、某、月明かり』 同じ年の秋、いろんな葛藤に負けて、僕は東京から逃げた。あれからもう3年も経つのか。 noteの最後の書き込みは2年半前。 3年もあれば人は変われる。と、思うが、この3年で何が変わったかと言うと、僕は歳くらいな気がする。あ、あと貯金額。貯金をするのは相変わらず好きで、毎月ちまちま貯めている。 まぁつまり、僕は特に何も変われていない。 なりたい自分になれてるわけでもなければ、欲しかったもの

    • 昔のノートの1ページ

      • 働くことと生きること

        気が付いたら、前回のnoteから1ヶ月も経ってしまっていた。本当に時間は待ってくれない。それもそのはず、何故なら時間というのは皆んなに平等に与えられているから。。 何処かで誰かが泣いているときに、何処かで誰かが笑っている、それすらも順番があるような気がして、平等におもえてしまう。 この1ヶ月は、なんだろう、なんだか他人から言われた言葉がチクチクと心を侵食していたような気がする。ただひたすらに、自分の人生のことを考えていた。ただ本当をみつけたくて。 働くことは、必要とされ

        • 古本屋の片隅で

          夢の中の私は何処か本屋さんに居た おそらく、ブックオフなどの大きな古本屋。 私は一冊の本を探して、 その古本屋の中をキョロキョロしながら 行ったり来たりしていた。 一冊の本というのが何の本なのかは、現実世界に居る私にはさっぱりわからない。しかし、感覚的に何か特定の分野の辞書のような専門書のような分厚い本を探していたような気がする。 何故この感覚が、夢が覚めた今でも残っているのかはわからない。わからないが何かの衝動に駆られて文字を起こしている。 極端に言えば、何処かに

        人生、二十七で死ねるならロックンロールは僕を救った

        マガジン

        • 田舎娘の大冒険
          0本

        記事

          〝頑張ってる〟というエゴの話

          「あの子は頑張ってる」 「あの子も頑張ってる」 「あの子は頑張ってない」 頑張ってる、頑張ってない、 他者によって決められるこの基準は何なのか。 頑張ってると認められた人が偉いのか。 人はいつからか比べられ、そして比べる。 誰かにそうするように教わったかのように。 「頑張ってる」と認められたい。 みんな本当はそうなんじゃないかな、 口では何とでも言えるけど、 本音はきっとみんな認められたい。 肯定されたいだけなんだよ。 ただ否定されたくないだけなんだよ。

          〝頑張ってる〟というエゴの話

          もうひとりの自分

          幼い頃の夢の話 4歳くらいの時に見た夢の中、私はひとりぼっちだった。どこかの家の窓から灯りが漏れていて、その窓から微かに見える家族団欒をすごく羨ましそうに眺めている自分が居た。私に家族は居なかった。とても悲しい夢だった。 ふとした時に思い出して、未だに忘れられないこの夢。当時の私にこの夢が何か意味があるかはわからなかったが、どうやら意味があったらしい。22歳の今、この夢の続きを見た。 夢の続き 雪が降っていた。今立っている場所は、緩やかな崖と言えるような斜面。崖を下ま

          もうひとりの自分

          いつまでも亀でありたい

          うさぎとかめ という物語のうさぎがもし途中で止まらずにゴールまで走り切るとするならば、かめよりも早くゴールするのは勿論のことであろう。 勿論のこと、ごくごく当然のこと。 って、やっぱり何処かで思ってしまう。 けれども、本質はきっとそこではない。 気がしているのです ある人はうさぎになると言いました そして止まらないと言いました うさぎとかめ 目指すところはきっとおなじなのです どちらが早くスタートしたのか どちらの方がスピードが速いのか そんなこと以上に

          いつまでも亀でありたい

          自分いがいの何者でもない

          巷では、終わりは始まりなんてよくある言葉なんだとおもう。 終わりが始まりってことは、始まりが終わりってことなのかな。 でも、始まりは終わりじゃないとも聞いたことある。 同じ言葉でも表現の仕方で随分と違った意味になったりもするし、言葉って面白いなぁ。とっても不思議。 時々、自分が何者なのかを考えてしまう。 あー自分は何者にもなれなかったな って、何かが終わってしまう時、考えて生き苦しくなる。そこに深い意味なんてないのに。 あなたは何者ですか? この問いに答

          自分いがいの何者でもない

          「置かれた場所で咲きなさい」

          タイトルは、渡辺和子さん著「置かれた場所で咲きなさい」を引用させて頂きました。 高校生の時だったかな、母がくれた一冊の本。 私の花はちゃんと咲いてる? なんて思ってしまう日もたくさんあるけど、きっと大丈夫。咲いていないのならばこれから咲けばいい。咲き方がわからないのならば咲き方をみつける。もし咲けない日が来たら、またいつか咲けるように。その日が来るのを待てばいいよ。 弱い自分に日々話しかけている言葉です。 こんなふうに今の自分で居られるのは過去の自分が居てくれたから

          「置かれた場所で咲きなさい」