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どんな山に登るか〜パランパルミルをウィーズの事業にするまで②〜


『ひとりひとりが価値ある自分を信じられる社会へ』

これはウィーズが掲げてきたビジョンです。

私たちのもとにきてくれる子どもたちは、『自分には生きている価値がないんじゃないか』ということを感じたり、考えたりしていることが多いです。

生きているだけで価値があるんだ、ありのままで素晴らしい存在なのだ、と思えないことは、その人のせいではもちろんありません。

ですが、ないがしろにしてよい人などいませんし、大切にしなくてよい命などありません。


それぞれに、持って生まれたものがあります。

それはときに本人を苦しめることもあるかもしれませんが、持って生まれたものと共に生きる経験も含めて、その人の尊い糧になります。その人の自信や力に変わるだけでなく、誰かのために役立てるものにもなっていきます。

自分の価値を適切に知っていれば『自分はいらない存在だ』ということにはなりません。

当然、自殺や自傷が起きたり、自暴自棄になって他殺や他傷、非行、犯罪につながる心理が起きたりすることもないでしょう。


そういう社会をつくりたいのです。

そんな社会ができたら、私たちのような活動も必要なくなるので、ウィーズは解散します。

『一刻も早く解散したい。』

これは、2021年に5周年イベントをしたときのスピーチでもお話しています。
(周年、というのも5年続いたことを祝うようで言いたくなかったのですが、適切な言葉がわからず。笑)

私と長くお知り合いでいてくださる方も、私がそう発言するのを一度は聞かれたことがあると思います。



しかし、そう願いながらも、


『そういう社会をどうしたらつくれるのか?』

仮説もなければ、ちゃんと考えたこともありませんでした。

事業の先に自動的にそれがある、くらいの感覚だったかもしれません。


その問いに、ちゃんと向き合うきっかけをくれたのが、社会起業塾でした。

どんな山にのぼるのか
その山に誰とのぼるのか
その山をどんなルートでのぼるのか
そして、いつまでにのぼるのか…

最初に投げられた問いがこれでした。



解散という山の頂点に行きたいと願うくせに、待っているだけでその時は来るはずがありません。
それに、『一刻も早く』といいながら、早く実現しようという具体的な行動も意識したことがありませんでした。

この問いに向き合う中で、メンターのお一人からこんな言葉をもらいました。


『焦っていくことも大事』


……
焦る、なんてのも考えたことがありませんでした。

むしろ現場にいると『じっくり向き合う』ということを重要視することが多いです。

確かに支援の中ではそうなのですが、もっと広い目で見れば『焦る』必要性があることに気付かされます。


こうしている間にも、父母の喧嘩を目にし、心を痛めている子どもがいます

こうしている間にも、手首を切ろうとする子がいます

こうしている間にも、生きている価値がないと感じている子がいます

減るどころか増えている『ひずみの犠牲』


すでに切羽詰まっている状況が至る所にあり、そのすべてに私たちは手を差し伸べることができていないのです。

それは『仕方ない』ことでしょうか。

それを『仕方ない』と諦めて、ひとりひとりが価値ある自分を信じられる社会は実現できるでしょうか。

焦らなければ、生い立ちを起因としたひずみの犠牲はうまれつづけます。

私たちは多くの人と共に手を取り合いながら、予防と対処療法のしくみを動かしていくことを冷静に考えなければいけないのです。

この焦り感への気づきは重要であるとともに、多くの人と共有していかなければならないと思いました。

ICCサミットでは、この点をふまえてウィーズの活動と社会課題を伝えるチャレンジしようと思い、7分間のプレゼンを言語化していくことに取り組みました。


次回に続きますm(_ _)m

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