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国を追われるということ

ドイツ語を学び始めて2ヶ月経って、やっとクラスメイトと少しずつではあるが、友達になれてきた気がする。英語を話せる人も多くなく、ドイツ語があまり話せない私はクラスメイトと話をするだけでも一苦労だが、話せることが徐々に増えて、距離は徐々に近づいていると思う。

初日に席で隣り合った人はアフガニスタンから難民として逃れてきた人だった。2年前に逃れてきた時はアルファベットも書けなかったけれど、自力で身に付けた英語とドイツ語で会話ができる、バイタリティが強い人だった。他にも、トラックなどに隠れて陸路で何とかドイツまで渡って来たとか、家族が先にリビアから地中海をボートで渡って難民としてドイツにやってきたというクラスメイトもいる。

そういう話を聞くたびに、世界にドイツがあって良かったと感じる。数が多いと難民受け入れによる財政的負担は莫大なものになるけれど(我が家もドイツの高額の所得税を払っており、納税者としての意見くらいは言えるはず)、そのおかげで命を救われた人たちが何百万人といる。


そして今回トルコから難民として逃れてきた人たちからたくさん話を聞く機会があった。

トルコは世界一難民を受け入れている国だが(主にシリアから350万人以上)、同時に多数の難民も排出している。「強いトルコ」を演出しようとする一方で、自分の親族に利益誘導ばかりしている独裁者エルドアン政権は、自分に反対をする、もしくはしかねない知識層や政敵を次々と公職から追放し、逮捕するなど、迫害を続けている。

話を聞かせてくれた人たちは、母国でいい教育を受け、知的な職についていた、私と同世代の人たち。トルコで活躍していたのに、2016年のクーデーター(これは、現政権が政敵を潰し、独裁を確立ために政権によるでっち上げではという説あり)直後、独裁者にある日突然仕事を奪われた。その後、正当な理由もないまま逮捕状を出され、家族との平和な暮らしを奪われたのだという。家族もパスポートを警察から奪取されたり(パスポートがないとそうすると飛行機で通常の国外脱出ができなくなる)、逮捕から逃れるために隠れて逃げ惑ったり、家族も逮捕されたりと、追い詰められて自国を脱出せざるを得なかった。彼らは決して公に政権批判をしていたのではなく、強権的な政権のおかしな振る舞いに対し、職務上で、職業人としての正当な疑問を唱えたというだけ。それだけでドイツに逃れるまで何年も恐怖の中で過ごすことを強いられた。

正当な理由もなく、突然大事にしてきたものを奪われ、自分の生まれ育った地を捨てざるを得なかったということ ➖ 同じ目に自分が遭ったら…と想像しただけで凍りつくような恐怖感を感じる。(例えば、日本で「今」同じことが起きるとは考えられないけれど、実際第二次世界大戦前にはそういうことがあった)

彼らは、ブローカーに多額のお金を払って危険を冒して川や海を越え、ギリシアに渡り、それからドイツに渡ってきたらしい(ギリシアで難民申請をしても、そこでトルコ警察が暗躍するなどしていて安全ではない) 途中で恐怖に泣き叫ぶこともあった小さな子どもたちを抱えてやって来たというのは、本当に命がけで、どれほど大変だったのだろう。

まだ将来どうなるかわからないと皆不安は大きそうだったが、今平和の中に生活できていて、そしてその子どもたちが笑って楽しく遊ぶことが出来ていて、本当に良かったと思う。 逃れることができなかったら、一家の暮らしは恐ろしいものになっていただろう。(トルコでは死刑が復活、終身刑が次々に言い渡されている)

難民の受け入れで欧州全体も分断されているものの、世界に(難民受け入れに積極的な)ドイツがあって良かった。命の危機にさらされている人に手を差し伸べ、平和な環境を提供できるというのは、何はともあれ素晴らしい。(難民受け入れが積極化したことでブローカーがより暗躍するようになったり、今も受け入れ拒否などの問題が各地で続いている) 欧州が困難に瀕する国の住民全てを受け入れることはできないし、それは全く解決策にはなりえないけれど、でも難民が逃れてきた元の国には、今も恐怖の中で暮らす人々が数え切れない程いると考えると、人命を守るために平和な環境を提供してくれる国がある世界で良かったと思う。


…難民としてドイツに逃れてきた人たちと一緒に、同じ立場でクラスメイトとして苦労しながら勉強し、友達になってきたことで「難民」というのが本やニュースの中の出来事ではなく、より自分ごとに近づいてきた。開発援助の仕事もしていた身としては、今更かと考えるとなかなか恥ずかしい。

ドイツ語をもっと身につけて、ドイツで難民支援ボランティアに従事しようというという目標が出来た。(難民受け入れ数は減っているが、受け入れはまだ続いている)

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