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弔うということは忘れないということ~亡きジョンヒョンさんを想う~

今日、12月18日は私にとって特別な日です。特別な日になってしまったという表現の方が正しいかもしれない。

そう、12月18日はSHINee(シャイニー)のジョンヒョンさんの命日です。


SHINeeは、韓国のアイドルグループです。2011年には日本でもデビューを果たし、ジョンヒョンさんはそのなかでメインボーカルとして活躍していました。

私はSHINeeのペンでは特にありません(ペンとは韓国語でファンの意)ただ、長年、同じ事務所であるSUPER JUNIORのファンだったため、後輩のSHINeeを知るのは当然の流れでした。


私がジョンヒョンさんを強く意識したのは、SHINeeのメンバーのひとりというよりも、ソロで活動をするようになってからです。

彼は非常に多才な方で歌手としてだけではなく、作詞作曲の才能もありました。

特に、印象に残っているのは彼らの事務所のライブ「SMTOWNLIVE」で聞いた「Déjà-Boo」という曲。


あまりのかっこよさに一瞬で好きになってしまいました。


この曲が好きすぎて、掛け声を必死に覚えたくらいです(韓国アイドルには歌中にファンが叫ぶ掛け声があります)

確か、翌年と翌々年の事務所ライブでも同じ曲を披露してくれたので、念願の掛け声ができ、私は完全に彼の歌の虜でした。

でも、まさか彼の「Déjà-Boo」を聞くのがあの時が最後になるとは思ってもいませんでした。



2017年の12月18日。忘れもしません。19時頃にKstyle(韓国の芸能ニュースサイト)から、ジョンヒョンさんが自殺したと、速報が届きました。

あまりにも信じられなくて、友達やTwitterから情報を集めました。病院に運ばれて重体の状態という憶測も飛び交うも事務所は黙ったままで、公式の発表が出たのは日付が変わる寸前でした。

韓国では、訃報を聞きファンが集団で後追い自殺をするという事態も起きたほどです。


あとから彼の遺書が出てきて、内容から鬱病を苦に自殺したのではないかという話も出ました。でも、実際のところは私にはわかりません。

ただ、事実なのは、彼がまだ27歳という若さでこの世を去ってしまったということ。彼が私と同い年だったということもこの時はじめて知りました。



彼が亡くなってから7カ月後、これまでと変わらず、事務所ライブはおこなわれました。SHINeeはフォーメーションダンスが魅力的ですが、ジョンヒョンさんのダンスパートはダンサーさんが代わりに入っていました。

メンバーのミノさんが曲中にジョンヒョンさんと連携して魅せるダンスを、天井に向かって―まるで天国にいるジョンヒョンさんに向けて―おこなった時、言いようのない悲しみに襲われて、私は掛け声ができませんでした。


どこかで嘘なんじゃないかと思っていたことがやっぱり本当のことだったんだ、と。

私でさえこんなにも胸が痛むのだから、ファンや彼の近くにいた人、SHINeeのメンバーの悲しみを考えると言葉も出ません。



彼が亡くなってから1年。ここ数日は、芸術祭で追悼礼拝がおこなわれたり、関係の深かった韓国の芸能人から追悼の声が続々と届いたりと、ジョンヒョンさんのニュースが絶えませんでした。

改めて、弔うことは忘れないでいることなんだと、そう思います。それが唯一、できることなんだと。


彼はその多彩な才能を生かし、ファンへ多くの楽曲を残してくれました。今はまだ悲しみが大きく曲を聞くことすらできなくても、心が落ち着いたらでいいから彼の素晴らしさが詰まった楽曲たちを―彼の分身である楽曲たちを―たくさん聞いてあげることが大事なんだと思います。

約1年ぶりに聞いた「Déjà-Boo」はやっぱり大好きな曲のひとつで、私もまた変わらずにこの曲を愛し続けようと思います。

―改めてジョンヒョンさんのご冥福をお祈りします―


 

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