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人生ではじめて死にたくないと強く思った話

人間の「寿命」というものはあらかじめ決まっているのだろうか。

日刊かきあつめのテーマが「死」ということで改めて考えてみたのだが、私は身体の機能的な寿命は明確に存在していると思う。


というのも、動物は生きていく上で身体を構成する物質や臓器を摩耗させながら生きていくものだと思うからだ。


例をあげるならば酵素。

酵素は食べ物の分解や吸収だけでなく、呼吸や運動をつかさどる身体にとってなくてはならない存在だ。

私たちは一生のうちに作られる酵素は限られていて(潜在酵素という)、身体の中の酵素を使い切ると少し大げさな言い方だが、死ぬとさえ言われているのだ。

ただ、諸説ある。


もうひとつ例をあげるならば、心拍数。

哺乳類は一生のうちに打てる心拍数は決まっていて、一定数の回数を超えると死ぬと言われている。

体の小さい動物がより心拍数が早いのは、その分短命だからだ。

ただ、これも諸説ある。


そんな単純なことでもない気もするのだが、人間に限らず、動物というのは生きるために消費していくものであることは確かだ。使い切ったら死ぬ。

ただ、これは自然死の場合であり、事故や病気の場合は別の話だ。

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つい先日のことである。私は人生で二度目の乳がん検診に行った。

一度目は7〜8年前。20代前半の時だ。その時はエコーの検査を受けた。


エコー検査とは超音波の反射波を画像に映し出して、異常などを調べていく方法だ。

乳腺の割合が多い若い方に推奨されていたり、マンモグラフィで見きれなかった部分の補佐的な役割で使われることが多いようだ。


当時、検査を受けた結果は異常なく、医師からは血縁関係に乳ガン患者がいる場合は、30歳から本格的に検診をはじめた方がいいと言われていた。

※乳がんは遺伝性があると言われているが、これも諸説ある。


今年、私は29歳になった。

1年の猶予があったのにも関わらずなぜか突然思い立って受診を決意したのだ。

特に自覚症状があったわけでもない。ただ、迫り来る恐怖に耐えられなくなったのだ。


なぜ、こんなにも恐怖が芽生えてしまったのだろうか。

ひとつだけ心当たりがあった。

自分の将来を考えるようになったからだ。


先週、親に恋人を紹介する機会があり、ひとりではない生き方が急に現実味を帯びて迫ってきた。


今まで自分ひとりの足元だけみて生きてきたのに、急に目の前が拓けたような感じがして、猛烈に「死にたくない」と思ったのだ。

今思うとなんの根拠もない恐怖による受診だったが、自分の健康をかえりみるいい機会になったのは間違いない。


幸い、検査の結果は異常なしだった。

よほど険しい顔をしていたのだろう、診察室で医師は開口一番に「全く問題ないです!」と言ってくれた。安堵で笑みがこぼれたのを覚えている。

病気を完全に防ぐことは難しいかもしれない。それでもできる限りの検査で、病気を未然に防ぐことは意味のある努力だと思う。


私はやっぱり自分の大切な人のために、これからも長生きしなければならないと思うのだ。

できれば、この心拍数を使い切るまで。


編集:アカ ヨシロウ

参考文献:
ゾウの時間ネズミの時間(中公新書)


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