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「片思い」と書いて「叶わない恋」と読む

その昔、私がまだうら若き高校生の頃、どうしようもなく片思いしている人がいた。

それは学校の先生だ。

歳はたしか8つ上。周りの友達にはなぜ好きなのかわからないと延々と言われていたが、当時の私はとにかく先生に夢中だった。


特別にかっこいいわけではないし、ちょっと熱血でうざったい(私はその熱血さも好きだったけど)。でも笑顔が素敵でフレンドリー。スーツがよく似合うところも好きだった。

単純な私は少しでも先生の目に入ろうと授業終わりに質問に行ったり、くだらない用を見つけては話しかけに行ったりした。授業も真剣に聞いていたし(の割には赤点ばっかりだったけど)、いい生徒を演じて少しでも気にかけてほしかったのだと思う。




あるとき、先生は授業のなかで好きな画家としてフェルメールの名前をあげたことがあった。

私は当時フェルメールのことなんてこれっぽっちも知らなかったけど、東京で展示会が開催されると聞き、美術館好きの母をそそのかして見に連れていってもらった。

今思うと、先生とフェルメールのことで話したいという気持ちだけで片道4時間かけて東京まで行ったのだからすごいことだ(筆者は山形出身)。


美術館での思い出話をたくさん用意した私は、お休みが明けるとすぐ職員室にいる先生のところまで出向いた。

いかに展示会が素晴らしいものだったかを話すと先生は嬉しそうで、彼の好きなものを共有しているという時間は私にとってこのうえなく幸福だった。


最後に向こうで手に入れたフェルメールの絵がプリントされたフライヤーをプレゼントすると、先生はそれはもうすごく喜んでくれてすぐに自分の机に飾ってくれたのだ。

もうそれだけで幸せの頂点だったし、単純な私は同時にフェルメールのことも大好きになってしまった。別の用事で職員室に行っても、先生の机に飾られたあのフライヤーを見るだけでその日のモチベーションは好調をキープするほどだった。


まさに私の1日は先生に始まり、先生で終わるといっても過言ではなかったように思う。




こんなに先生のことが大好きだったのに、当時の私は思いを伝えようとかそういった類のことはあんまり考えていなかった。まったく考えていなかったのは嘘になってしまうけど、たぶん卒業して先生と離れる自分がうまく想像できなかったのだと思う。


私は卒業式までの間も相変わらずくだらない用事で職員室に行って、廊下で会ったら話しかけて、そんなことを繰り返していた。

でも、こんな状態がずっと続くはずもなく、時は着実に経過しとうとう卒業式を迎えてしまった。


卒業するとは言え同じ日本にいるから二度と会えないなんてことはないけど、地元を離れ東京の大学に進学する私と地元で教鞭をとる先生では道が大きく違っていることは明らかで、その事実に私は打ちひしがれた。


先生と離れることが急に現実味を帯びだし慌てた私は、卒業アルバムにコメントをもらっている時に職員室でみっともなく号泣してしまった(先生、困らせてごめんなさい)。

言いたいことはたくさんあったのに涙でまったく言えなくて、一旦教室に戻った私は結局手紙で感謝の気持ちを伝えることにした。

ほんの数十分で書いた即席の手紙を帰り際に渡すと、先生はいつもの笑顔で「頑張れよ」と言って握手をしてくれた。


その時は笑顔で応じた私だけど、家に帰ってから次の日に目が腫れるほど泣きまくった。


私は別に先生の特別になれるとは微塵も思ってなかったけれども。誰かの特別な存在でいたいと思うことはすごく切ないことなんだなと思ったんだ。


私は手紙の内容は全く覚えてないけど、ただひとつだけ「好きです」と書かなかったことだけは覚えている。

#日刊かきあつめ #恋愛 #あの恋

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