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【被災者の「大丈夫」を絶対信じてはいけない件について】

今年2019年。1月に熊本と2月に北海道で大地震。6月は九州で大豪雨。8月には浅間山の噴火……多くの自然災害がここ日本列島を襲った。そして現在も、千葉で台風15号による被害が未だおさまっていない。


こうしたニュースを目の当たりにするたびに、日本は災害大国なのだなと改めて思う。

2018年の『今年の漢字』は「災」の字だった。災害の多さから選ばれたわけだが、2019年もその勢いは衰えていないどころか増している気すらする。


そんな背景があって日本全体で防災意識が高まる昨今。私が自然災害の恐怖を強く意識したのは、やはり東日本大震災である。私の生まれ故郷・山形でも多くの被害を出した。


といっても震災時、私はすでに東京に住んでいた。だから自然災害の恐怖を「強く意識」したものの、「体験」したわけではない。

ただ、東京にいても怖さを感じるほどの大きな揺れとその後のニュース報道で、私はかなりショックを受けた。人間は自然に到底太刀打ちできないのだと、否が応でも認識せざるを得なかったのだ。


幸い身内や知人に被害はなかったが、あれ以来地元の災害情報にはかなり敏感になった。実家は内陸に位置するためほとんど災害の起きない地域であるものの、台風やら地震が発生するたびに心配で母に連絡を入れてみる。

母はいつも決まって「ここは災害が少ない地域だから大丈夫」と言う。実際に大きな被害に結びつくことは1度もなかったので、あれほどの恐怖を味わったにも関わらず、月日がたつと次第に私の災害に対する意識は薄れていっていた。


そんな折、山形を記録的な大雨が襲った。昨年の夏のことだ。

国内最長の最上川が氾濫し、浸水被害に見舞われる地域もあった。

電話の母はいつものように「こっちは大丈夫」と言う。心配しつつも日々の忙しさからそのことを忘れていた私。ところが次の月に帰省してみて驚いた。母に「大丈夫」と告げられたあの時、地元には避難指示が出ていたのである。


ところが……なんと、我が家族は避難しなかったらしい。「氾濫するんだかしないんだか、ハッキリしない状況だったし、周りも避難してなかったから」などと能天気に話す父。そんな両親の姿を見て、私は「この人たちの言うことを鵜呑みにしてはいけない」と痛切に感じるのであった。


愚かなのか賢いのか、人はどんな状況にも慣れることができるらしい。災害に慣れかけてしまっている両親に私は「とにかく被害に合わなくてよかったね」と言ったが、折を見て「何かあってからでは遅い」ことも伝えてやらねばならぬ。


株式会社ウェザーニュースが2018年におこなった減災調査によると、同年の西日本豪雨では全体の8割の人が避難しなかったようだ。


そして亡くなった方は275人にものぼるという。

結局のところ、日頃どんなに災害対策をしても一番大事なのは「本番で逃げられるかどうか」だ。

疲れた。眠い。ああ、またいつもの避難指示か。財布と通帳はどこへやったか、めんどうだからこのまま寝てしまおうか……そんな状況で自分の命だけを持って逃げる覚悟が、自分にはあるのだろうか?


これ以上、自然災害が起こらないように祈りつつ。でも日本に生まれたからには、逃げ足の速さは絶対に会得しなくてはならない。


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