さむね

どうして自分の漫画がつまらない漫画になっていたのか?

※この投稿は『#熟成下書き』のお題のため、1年間ほど下書きで熟成されていた記事を完成させてアップしたものです。

2016年9月に「おつぼね!!!」という初の単行本出して以降、なかなか企画が通らず、通っても版元が決まらない等漫画の仕事が停滞しています。企画は育児系エッセイ漫画でした。
企画が通らなかった時に編集さんに言われたことは「会議で他の人に意味がわからないと言われた」ということでした。その編集さんは「この企画いいですね!」と言ってくださったのに、会議では「意味がわからない」と言われてしまった理由がまったくわからず頭を悩ませました。

夫やアシスタントをしている漫画家さんに相談してみたところ、私の漫画には「内輪ネタが多く、ごく特定の読者層に向けられて描いているから編集会議のような場では意味がわからないと言われてしまうのではないか」というアドバイスをいただきました。

その時のことはこちらに漫画で描いています。
初めての単行本を出した結果

「内輪ネタが多い」という問題がわかっていても、どういうことなのかがいまいちピンときていなかったのですが、このことについてとある漫画を読んで腑に落ちたので言語化しておこうと思いました。

私は小学生の頃からよく漫画を描いていましたが、中学生になってからはずっと二次創作ばかりを描いていました。同じ学校の友達同士で漫画や自作の同人誌を見せ合って楽しむという、内輪だけの世界で漫画を描いた経験しかなかったのです。

漫画は描いていたけれど、自分とまったく違ったコンテクストを持つ会ったこともない他人という読者に面白いと思ってもらえる漫画の描き方を考えたこともありませんでした。

とある漫画を読んだことでなぜどういう内輪ネタがダメなのか、つまらないと感じるのか、読者が興ざめしてしまうのか、ようやく理解できたかもしれません。

漫画のタイトルを出すことは避けますが、その漫画の舞台は明治初期の日本で、どこか影のある正体不明の美形な男性が主人公です。
とても絵が美しく、キャラは男女ともに魅力的で服装や背景にも作者のこだわりや独特の世界観を感じ、私は一目でその漫画を好きになってしまいました。

しかし、あるシーンの登場で私は興ざめして読むのをやめました。

漫画の中でキャラクターが誰かの寝癖に対して「その髪型スーパーサイヤ人みたいだな」というようなセリフを言ったシーンです。

明治時代の話なのに全く関係のなく存在するはずもないスーパーサイヤ人が出てきてしまったことで、せっかく入り込んでいた美麗な世界が台無しになってしまったと感じてしまいました。

しかしですよ、この作者さんを以前から知っているファンの方からすればもしかすると「いや、この人いつもこういう作風だよ」ということで興ざめするまでのことではないのかもしれませんし、それが面白いと感じているのかもしれません。

でも私は今までその作者さんのことを知らなかったし、はじめて手に取った本があまりに絵が美麗で見とれていたところで突然世界観にそぐわない「スーパーサイヤ人」という単語が出てきてしまって、自分が浸っていた世界が壊れてしまったのです。
私はドラゴンボールが大好きですが、それでもこの展開には「意味がわからない」と感じてしまいました。

これって私の漫画が「意味がわからない」と言われた理由と同じ状況なのでは?と思ったのです。

私は子育て漫画を描くのによくドラゴンボールをネタにしています。
例えば、子育てエッセイを読みたい方が、子育てのほっこりエピソードや子育てのあるあるネタ、困ったけど笑っちゃうような幼児のエピソード等を読みたかったのに、たまたまネットで見かけた私の子育て漫画をはじめて読んだ時に何の前フリも説明もなく『子育てに絡めたドラゴンボール好きだけがわかるネタ』が出てきたら「意味がわからない」と感じてしまうのは当然です。
いつもブログではドラゴンボールをネタにしているため、ブログを読んでくださる方やその作風を理解してくれている編集さんとしては「面白い」と感じてくださるのかもしれませんが、一度も私のブログを読んだことのない人からすれば理解できない作風になっていると思います。

(↑例えば何の前フリも一切なく突然出してしまうこういうネタ)

そして、「いつものノリ」を面白いと思ってくださる層が私の場合は非常に狭いのです。それはまさに同じ学校のオタク友達と同人誌を見せ合いっこしていた時くらいの狭さです。

ドラゴンボールネタを絡めるにしても、初めてその漫画を読んだ読者の方にも楽しんでもらえる工夫が必要だったとわかりました。

(※↑ここまで熟成下書き ↓ここから書き足した部分)

お笑いには必ず「フリ」があって、そのフリがあるからこそネタのコンテクストが見ている人にも伝わりボケやツッコミを面白く感じるのですが、私はこの「フリ」が漫画の中にありませんでした。

漫画における「フリ」とは、キャラクターの性格がわかりやすいように表現することだったり、その漫画の世界観の説明だったり、ストーリーが進む前に読者の方にコンテキストを理解してもらうための準備やこれから起きることへの伏線のようなものだと思っています。

私がこれまで描いてきた漫画のどれにも、この「フリ」が欠けていました。
だから「元ネタがわかる人はわかるけど、わからない人はちっとも面白くない」というマンガになってしまっていたのです。

わかる人にだけ向けて描いて、わからない人に対して説明なく内輪ネタで話を進めたら、面白いと思う人が極少数なのも当然ですよね。
わからない人に対する説明をサボっていました…。

たくさんの人に読まれたい!と思いながらも、できるだけたくさんの方に読んでもらえる工夫を放棄していたら、当然売れません。

そんなことを1年以上かけて考え続けて、「なぜ自分の漫画がつまらなかったのか?」という理由がようやく言葉になり腑に落ちたので熟成下書きとして公開します。

また新しい一年を気持ちよく迎えられたらいいなと思いました。




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