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これからも隣でそっと寄りそっていて

「周りと一緒じゃなければならない」

目立ちたがり屋だったわたしに、そのプレッシャーはとても重く両肩に乗りかかってきた。

個性なんて口では言いながら、みんな同じようなスーツを着て、同じような髪形をして、同じように面接で受け答えをする。
そんな就活の一場面を彷彿とさせるような、みんな同じという”暗黙の了解”は、一人でだって進みたい方向に歩いていきたいと思っていたわたしには、まるで魚が無理やりに陸を歩かされているような息苦しさを感じさせていた。

自分がやりたいことをやりたいようにやって、周りと衝突したり周りになじめなくなってしまったこともあった。
そんな時決まって言われていた言葉、それが「変わっている」だった。
その言葉が決して褒めているわけではなく、やんわりと距離を置くための言葉だということに気付くまでにさして時間はかからなかった。

「生きづらい」そう一言で片づけてしまうこともできたこの気持ちだけれども、どうやっても片づけることはできなかった。日を追うごとに大きくなっていく気持ちは、気づいたときにはもう目をつぶれないほどの大きさにまでなっていた。

 

最初はきっと単なる憧れだったんだと思う。
「外国」というものに漠然と憧れを抱いていた。
日本にない豪華絢爛な建物、美味しいご飯、スケールの違う自然。

「いつもと違う環境がきっと私を変えてくれる」

他人任せの期待を膨らませていたわたしを、テレビやネットで見かける情報たちはいとも簡単に海外へ連れ出してしまった。

 

そんなわたしの目の前に並んだ選択肢中で、わたしが選んだ道は留学だった。
3日や1週間の短期間ではなく、1年間腰を据えて違う国に住んでみる。
もしかしたらこの環境を打開できるかもしれない。
もしかしたら解決の糸口が見えるかもしれない。
もしかしたらわたしは変われるかもしれない。

辞書や参考書がたくさん入った重いスーツケースにたくさんの期待や不安を詰め込んで日本を発った。

 

いろいろな国から、いろいろな国籍の人が集まり授業を受けたり、パーティーをしたり…。
憧れていた”海外での生活”がそこにはあった。
英語というツールを使い母国語が違う人同士でコミュニケーションをとり、共通の話題で盛り上がり笑いあう。
そこには国籍も宗教も関係なく、ただの一人の人としてわたしと接してくれる友達がたくさんいた。

「わたし」という一人の人間の人となりを完全には理解せずとも、こういう人がいるんだと理解してくれようとしている姿勢。
自分との違いを否定せずに認めてくれる人たち。
これまで周りと一緒でなければいけないとプレッシャーをかけられていたわたしに、自分らしくいていいよ、とプレッシャーから守ってくれているような気がした。

 

けれども、わたしが憧れていた生活には理想のすべてが、楽しいことばかりが詰まっているわけではなかった。

わたしは現地で語学学校に通っていた。
留学先の大学とは違い、現地の人と結婚して語学が必要になった人や、ワーホリで滞在している人、中東にある祖国から逃げてきた人。

彼らの話はそれまでのわたし生きてきた狭い世界の常識を簡単にひっくり返してしまった。
仕事のために、生活するために、生きていくために…。
必死に言語を習得しようとする彼らに、環境に自分を変えてもらおうとどこか他力本願でこの国に来たわたしの甘さを痛感した。

なんでこの国に来たの?
目的を持った彼らとは違い、新しい環境がなんとなく自分を変えくれる気がして、なんとなくこの国を選んだ自分。
そんな自分がとたんに恥ずかしくなってしまったと同時に、自分の理想は自分で必死に叶えてこそ意味を成すことを教えられた。

あれからもう何度目国境を越えただろうか。
気づいたときには「海外へ行くこと」が自分にとって特別なことではなくなっていた。
気づけばパスポートのページにはたくさんのスタンプが押されていた。
これまでの旅の記憶をひとつひとつ思い出しながらページをめくる。

こんなにたくさんの国を旅していても、やっぱりわたしのなかに残っているのは留学中の1年間で起こったたくさんのできごとたち。

 

「自分らしく生きること」
当時のわたしにとってとてもとても難しかった難題は、今のわたしにとっては自分を成す大切な根幹となっていた。
いつだって自由で、目立ちたがり屋で自分のやりたいことにまっすぐで。
そんなわたしらしい私になるために、帰国してから自分なりに自分の力で歩いてこれたのは、自分らしく生きることが間違っていないと教えてくれた留学先の友達と、行きたい場所には自分の力で行くことの大切さを教えてくれた語学学校の友達がいたからこそだと思う。

 

「自分らしく生きる」
その中に旅と生きていくことも入っている。
それは旅がわたしを他の誰でもない、ありのままのわたしにしてくれることを知っているから。
旅の途中で出会う非日常はいつだってわたしを新しい場所へ連れて行ってくれる。

スマホの小さな画面でしか見たことがなかった絶景が目の前で広がっている感動も、
日本にとどまっていては知ることができなかったであろう世界中の面白い文化も、
ニュースでは報道されないような外国の事情も、
そして旅をしているからこそ出会える非日常も。
そのすべてがわたしに「生きている」ことを実感させてくれる。
この世界で私という存在が確かに存在していることを、まるで写し鏡のようにわたしに教えてくれる。

 

気づいたら隣にいた親友。
辛いことがあったらふらりと寄ってしまう行きつけの居酒屋。
きっと旅はわたしにとってそういう存在なんだと思う。

旅と生きていくために選んだ今の道、
いろいろな偶然のめぐりあわせで、好きを仕事にしながらタイに住んでいる。
もしも、昔悩んでいたころのわたしに出会えるのであれば、今は苦しいかもしれないけれど、進もうとしているその道は、これから目指そうとしている場所は間違っていないよとそっと背中を押してあげよう。

これからはわたしの好きな道を、自分らしく生きていける道を歩いていく。
それはもしかしたらこの道ではないかもしれない。それでもいいんだ。
だってわたしは自分らしく生きる方法の探し方を知っているから。
たった1年間で出会った人たちに教えてもらったから。

 

教えてもらったことを大切に抱きしめて、
これまでも、そしてこれからも。
わたしは、自分らしく、旅と生きていきたい。

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