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産声のない誕生日







令和3年5月8日、2度目の胚移植で陽性反応。
妊娠した。
5月の終わりには悪阻が始まり吐いたり気持ち悪かったり。
仕事も切迫流産で休職した。
赤ちゃんグッズ調べたり情報集めたりしてなんとか乗り切った6月。
徐々に体調も回復してきてできることが増えてきた7月初旬。
7月14日、13w2d、妊婦健診。
元気な様子を見せてくれた。

7月29日、もうすぐで安定期という15w3d。
エンジェルサウンズで心拍音を聞いてみるも確認できない。
代わりに今まで聞いたことないような雑音が大きく聞こえた。
ゴーゴーザーザーガーガー、みたいな。
なんか嫌な予感がする。
その日、夢を見た。
親しい人たちに何故か自分は酷く責められていて、すごく悲しい気持ちになり、お腹に子がいることをわかってるのに、身を投げた。
初めて夢を見て泣いて起きた。

30日朝、やっぱり音が聞こえない。
週明けには職場復帰も控えていたので念のためエコーだけでも見てもらえないか病院に相談。
「心拍聞こえなくて」って言うのは何故か躊躇われたため「復帰前に安心したい」と言った。
心よく了解を得たのですぐに病院へ。
サクッと呼ばれて診察室へ。
「復帰前に安心したいもんねぇ~まだ15wだから性別はわからないかなぁ~じゃ、みてみよっかー」
明るいおじいちゃん先生とエコーを見る。

すぐ異変に気付いた。
どこかこうなることを予想してたんだと思う。
「んー、んん〜??」
先生が言葉を探す。
赤ちゃん、明らかに動いてなかった。
心拍の可愛いピコピコもない。
今も目に焼き付いて離れない。
「心拍取れないなぁ・・・」
なんとか粘ってくれるけど、結果はわかっていた。
「何で今日来たの?」
改めて聞かれる
「実は自宅で心拍が聞こえる機械があって。昨日も今日もそれで聞こえなくて不安になって・・・」

「そっかぁ・・・その機械は正確なんだね・・・」

心臓動いてないね・・・。

先生はぽつりと呟いた。

まじですか・・・。
泣いた。

先生も看護師さんも何も言えない。
自分も涙が止まらなくて悲しみだけが診察室を埋め尽くしてた。
後から聞いた話だけど、この時裏にいた看護師さんたちも泣いてくれたらしい。
ありがとう。

少しだけ落ち着いたあとこれからの話になった。
「このままお腹に赤ちゃんを残しておくことはできないんだ。赤ちゃんのためにもママのためにも生んであげよう」

旦那も呼んでいいですか。
病院は本来妊婦以外入れない。
だけど、コロナの抗体検査を急きょやってくれて旦那も一緒に説明を聞けるようにしてくれた。(ちなみに検査代無料にしてくれた)

旦那と話を聞く。
赤ちゃんは何らかの理由でお腹の中で亡くなってしまった。
週数が経ってるから生んであげなきゃいけない。
入院して、生む。

一旦待合室に。
旦那が泣いた。

旦那が泣いたとこ、結婚式以外見たことなかった。

ああ、旦那の子でもあるんだもんな、なんて当たり前のことを思った。
ごめん、て泣けてきた。

今日が金曜日だったので週明け月曜日に入院することになった。
特に張りや痛みがあったわけではないので自宅に帰る。

12w以降の胎児は死亡届を出して火葬しなければない。
そんな手続きのことなんてなんにも知らない。
知りたくなかった。
それでも時間は過ぎていく。
止まることはできない。
職場に伝える。
葬儀屋さんに電話して話を聞きにいく。
義両親にも連絡。
上の息子を預かってもらう。
その日は義両親の家で夜ご飯食べた。

夜が耐えられなかった。

色んなことを調べた。
12w以降の流産率1%??
そんな確率引くことある??
入院して誘発分娩てどうなるの?
赤ちゃんの状態は?
何したらいいの?
何してあげれるの??

涙を流しながら寝落ちた。

31日、ネットで見つけたおくるみを作ってあげようってのを見てやりたいって思った。
義母さんとちょうどいた姪っ子と布を買いに行って手縫いでおくるみを作った。
なお、私は縫い物まったく得意ではない。
横で姪っ子がちっちゃな帽子を作ってくれた。
夜勤に行った旦那に写メ送った。
また義実家で夜ご飯食べた。


8月1日、入院の支度。
お茶やスポドリなど4、5本。
Twitterで教えてもらった延長コードやハンガーなどカバンに詰め込む。
気合いを入れるため妊娠中我慢してたお寿司をテイクアウト。
義実家でみんなで食べた。
うに、美味かった。

夜はずっと旦那とあーでもない、こーでもないって泣きながら話した。

8月2日、昼過ぎコピー機の音が聞こえる。
寝室に旦那現る。
おもむろに一枚のカラーコピーを渡す。
そこにはひよこのイラストに「虎伯」と手書きで書かれていた。
以前子どもの名前を考えているとき「寅年だし宝石にあって響きもいい琥珀って名前どうよ!強そうだし良くない!?」と言ったことがある。
「強すぎる」と言って難色を示したくせにちゃんと覚えていたらしい。
字、違うけど笑
ありがとう。

16時入院。
悲しみもあるが処置にビビる。
ラミナリアとかちょー痛いっていうし。
処置してから病室かと思いきやいきなり病室に通される。
呼ばれるまで待機。
ルートキープが20Gの太い針でビビる。
しかもルート中々取れない。
左手背にブスッと入る。
注射や点滴の痛みは全然平気なんだけどなぁ~。


・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・


呼ばれない。

「お待たせしました~」

23時40分。
おいっ!!!(´・ω・`)

産科のおじいちゃん先生ではなく不妊治療の先生登場。
どうやらオペやらなんやらやってたみたい。
ここの病院待ち時間4時間とかザラだから慣れた。

いよいよ恐怖のラミナリア(子宮口広げるために突っ込む枝みたいな棒、水分含むと膨らむ)・・・。
私は子宮口がとても狭いらしく卵管造影も胚移植もいつも痛い。
まじ恐怖。

「入れますね〜」

いってぇ!!
けど耐えられる!!
よし!!

この時は知らんかった。
これはラミナリアではなくラミセル?(なんかスポンジっぽいやつ、しかも一個だけ)だったことを・・・。

続いて硬膜外麻酔のためのルートキープ。
誘発分娩(無痛)でやるらしい。
深夜0時にオペ室でエビになる。
シュール。
プスッと刺される。
これはあんま痛くなかった。
足が痺れる感じがあった。
麻酔自体は入れずに終了ー。

0時半、病室(個室)に帰り就寝。

8月3日、朝ごはんを食べ8時半ごろ呼ばれる。
ついにラミナリア。
おじいちゃん先生がサクサクと進める。


いよいよ・・・。


いやいやいやいやいや!!!!
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
泣き叫ぶ。
無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理。
激痛。
今こそ麻酔使うときじゃないの!?ってくらい痛い。
しかも2本しか入らんかった。
午後4時に更に本数増やすと。
え、地獄??

だがしかし。
本当の地獄はここからだった。


病室に帰るも痛みが治まらない。
入れるときだけ痛いんじゃないの?
その後も痛いってどんだけ??
ずっと泣く。
「痛いー!!」って子どもの癇癪かってくらい叫ぶ。
他の患者がいない遠いとこの病室にしてくれてまじさんきゅー。
あまりの痛みにロキソニン飲む。
効かない。
最大級の生理痛と最強の下痢と最高の便秘が全部一気に襲ってきた痛さ。
生む前にこっちが死ぬと本気で思う。
汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃ。
持ってたハンドタオルが絞れるか?ってくらい色んな水分を吸収する。
耐えられずナースコール。
12時、「痛いですぅぅぅううう!」
ナースさん「先生に聞いてみるね!」

1時間後。


「痛み止めの点滴持ってきたよー」

おっっっっそ!!!!

打たれる。


中級生理痛くらいになる。
泣き叫ぶことに体力使ったのか寝落ちる。

14時、点滴なくなる、と同時に痛み再開。

うーんうーん・・・。
耐える。

もう一回あんのか。
まじかよ。
死んじゃうよ・・・。
とビクビクしていたらなんと15時、「じゃ行きましょう〜」

早くない!?∑(゚Д゚){絶望!


ここから人生痛いことランキングをどんどん更新していく。


ラミナリア2回目。
さらに激痛。
世の中痛いことってこんなにあんの?
上には上があるとは言ったもんだ。
多分待合室まで響き渡ってたと思う、自分の絶叫。
先生が深呼吸してーゆっくり吐いてーとか言ってるけどそれどころじゃない。
ラミナリア5本に増やし終了。
診察台から降りれない。
痛すぎて無理。
涙も止まらん。
過呼吸。
車椅子さん登場。
下履かないまま乗車。(上のパジャマ長いのでよかった)
2階の病室に向かうためエレベーター。
降りると猛烈な吐き気に襲われる。
吐く。
お昼ごはんは出なかったので痛み止めの点滴中に飲んだ栄養ゼリーと枝豆のスナックが見事に融合した緑色のデロデロを吐く。

ヘロヘロになりながらベッドへ。
ここでも痛くて泣き叫ぶ。
ロキソニンと痛み止めの坐薬を刺される。

少し寝る。

夕飯食べたはずだけどもう覚えてない。
でもあんまり食べれなかった気がする。

20時ごろ、やっぱり痛くてナースコール。
しばらくしてナースさん登場。

「これ以上痛み止め使えないから麻酔します」

もっと早く使ってくれぇぇ!!!

✳︎病院として赤ちゃんをきれいな状態で出してあげたいから麻酔はあまり使いたくない。力むことができないと掻き出すことになる可能性があるとのこと


麻酔ってすごいね。
なんか背中を冷たいものが駆け抜ける。
15分くらいすると痛みが引いていく。
ゼロではないが余裕で耐えられるレベル。

病室戻って就寝。
0時ごろ抗生剤点滴のため起こされる。
再度就寝。

8月4日、朝。
ごはん出されるも昨日の恐怖であまり食べられない。
8時半、診察台へ。
「まだあんまり開いてないけどラミナリア抜いてメトロ(バルーン)入れよう」
ラミナリア免れる。
抜かれるときはそんなに痛くなかった。
メトロ(45cc)挿入。
これも痛くなかった。

ナプキンつけてひょいひょい動いて分娩室に移動。
陣痛促進剤の膣剤を入れて待機。
ちょっとチクチクぎゅっとする痛み。
耐えられる。
30分後トイレに行きたくなる。
歩いてトイレへ。
ナプキンが真っ赤に染まっている。
しかもびっしょり。
パジャマもやられている。
びっくりする。
着替える。
バルーン挿入時に出血したらしい。
再び分娩室へ。
ここら辺から痛みが出てくる。
定期的な収縮。
バルーンを牽引される違和感。
声が我慢できなくなる。
ずっとナースさんついててくれる。
「痛いー!!」と泣き叫ぶレベルになるとナースさんが麻酔科(不妊治療)の先生を呼びにいく。
ただこの先生多忙すぎてナースさんが3回くらい呼びに行ってやっと来てくれる。
チュウっと注入される。
15分くらいすると効いてくる。
つまり1時間以上は陣痛に耐えることになる。
無痛分娩ってこんなんなん??と無痛の意義を霧散した脳みそで考える。(虚無)
麻酔により寝落ちる。
麻酔切れると再びジワジワ痛みが出てくる→泣き叫ぶ→ナースさん先生呼ぶ→遅れて先生登場の繰り返し。
途中産科の先生が来て内診。
これがまた痛い。
死ぬ。
2回目の膣剤。
以下略。
ちなみにこの時職場から電話きたけどかなり取り込み中なので無視した笑


15時半、おじいちゃん先生来る。
この時麻酔効いてるから内診も痛くない。
「柔らかくなってきてるね〜バルーン抜いちゃおっか〜」
バルーン抜かれる。
モニョモニョ内診されているとバシャッと何かが出る。
「あ、破水しちゃった。ま、いっか」

破水ってあの破水??
こんな感じなん??

力むってやつやるのか??
と思ってるうちにお腹の中をにゅるにゅるとなんか動く。
「あ、なんか出てくる」と言ったと同時にツルンとなんか出てきた。

赤ちゃんだった。

「綺麗に出てきたね〜15時39分、生まれましたよ〜」

最後は思ったより呆気なく出てきた。
あんなに悲しかったり痛かったりで泣きまくってたのに生まれたときは全然涙が出なかった。

ナースさんたちが集まってきて口々に「おめでとう」と声をかけてくれた。

分娩室に入るときにお願いした。
生まれたらどうかおめでとうと言ってあげてくれ、と。
この子にとって命日であると同時に誕生日でもあるのだから。
みんな笑顔で、目頭を熱くしながらたくさんのおめでとうをくれた。
本当に感謝しかない。

綺麗にしてくるね、とちっちゃなトレイに乗せられた我が子を見送る。
先生は何やら胎盤を出そうとガサゴソしてる。
痛みはなかった。

トレイにちっちゃなちっちゃな赤ちゃんが眠っていた。
男の子だった。
米粒みたいなパオンがついてた。
16.5センチ、77グラム。
人の形をしていた。
横向いて寝てた。
生まれたばっかのパンダの赤ちゃんをびしょびしょにしたような姿だった。
「臍の緒が捻れて細くなってるね。過捻転だね」
動き回り過ぎたのか。
なにやってんだよ。
ちょっと泣けた。

ほんとは良くないのかもしれないけどこっそり一枚だけ写真撮った。


ほんとはダメなんだけど旦那も分娩室に入れることになった。(抗体検査やってたのもあり)
5時ごろ旦那到着。
ぱっつぱつの予防衣を着て現れ思わず爆笑。
私の隣に寝かされている虎伯を見て涙ぐむ。
そしてお疲れ様、と私の頭をポンポンしてくれた。
泣く。
しばし3人の時間を過ごす。
棺を持ってきてくれたので2人で納棺?することに。
半日ぶりに起き上がったら麻酔の副作用か、とんでもない吐き気に襲われる。
尋常じゃないくらい吐く。
オロロロロロロ・・・

気を取り直して。
作ったおくるみの上に乗せる。
めっちゃ軽かった。
死後硬直とかないんだね。
ぐにゃぐにゃして大変だった。
ちっちゃいし。
そっと乗せて整える。
姪っ子が作ってくれた帽子とリボンもつける。
可愛い。

棺に入るとよりちっちゃい。
死亡診断書が完成するまで待つ。
その頃後陣痛?襲来。
痛い。
気づけば子宮収縮剤の点滴が・・・こいつか!


旦那にお願いして出棺。
しばしお別れ。


・・・腹減った。


20時、やっと病室に戻る。
ごはん〜!!
でも座ると腰が痛い。
立ち食いする。

産後ハイってやつなのか疲れてるの寝れない。
Twitterで報告したり今後のこと調べたり。
抗生剤打たれたり。
結構出血するのね。
パンツが血まみれだったよ。
ひとり、はっぴばーすでーとぅーゆーを歌う。


日付けが変わって眠りにつく。


翌日。
身体はもうなんともない。
痛みもないし吐き気もないし出血もそんなにない。
もうお腹にいないんだと思うと不思議。
あんなにすぐ息切れしてたのに死んじゃってるってわかったあとは全く苦しくなかった。
今はもう元の身体に戻ってる。
胎動も感じてなくてほんとにいるのか?って思ってたけど、ほんとにいたんだなぁ。

今日明日、明後日?まで入院して。
退院したら火葬が待ってて。
あ、今日義母や姪っ子甥っ子、息子も虎伯の顔見に行ってくれたらしい。
息子めっちゃ泣いてたって。
お兄ちゃんだもんなぁ。

死産でも産休になるらしい。
知らんかった。
遠慮なく使わせてもらおう。
ちょっと温泉にでも行きたいな。
お骨になったら家に祭壇作ってあげなきゃなぁ。
まだまだ色々やることあるけど。
ふとした時に自然と涙が出る。
心の整理なんてつかないよ。


まだまだ一緒にいてほしかった。
生まれたら色んなとこ連れて行っていっぱい笑ってほしかった。
おバカでも、運動ができなくても、たとえ障害があったって生まれてきてほしかった。
なんで行っちゃうのさ。
お前の居場所はここだよ。


出産は奇跡だ、ってコウノドリでも言ってたけど本当にそうだと思う。
身をもって体験した今、より強くそう思う。

受精卵ができること、着床すること、心拍が確認できること、胎盤が形成されること、身体機能が成熟すること、外の世界で生きられる強さを得ること。
どれだけの奇跡を乗り越えて人は生まれてくるのか。
子を亡くしたからこそ、生きる全ての命が尊いと感じる。
当たり前だと思ってたけど全然わかってなかった。

これから先どうしていくのか、どうしたいのかよくわからない。
でも時間は勝手に進んでくし。
でも虎伯の時間は止まってる。
もう進むことはない。

それでも、虎伯がいてくれたのは紛れもない事実だから。
それだけは変わらないから。
いつかその意味を知ることができるといいな。

本当に、私たちの元に来てくれてありがとう。

生まれてくれてありがとう。


✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

長文・乱筆失礼しました。
お付き合いいただきありがとうございました。
少しでも私の体験が誰かの糧になればと思い書かせていただきました。


皆さんの大切な命が健やかであること、心よりお祈りいたします。



#死産 #子宮内胎児死亡 #ラミナリア

#15w #無痛分娩 #陣痛誘発剤


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