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なぜ おっさんずラブ を観ると優しい気持ちになるのか

『おっさんずラブ』

この作品を1話観終わった後の疲れは異様だ。
ドキドキしたり、やきもきしたり、キュンキュンしたり、春田おまえそういうとこだぞ!と画面に向かって説教したり、牧くんマジ牧くん切ねえ…つれぇ…と嗚咽したり、ぶぶぶぶぶぶ部長おおおおおおおおおと戦慄したり…

CMのぞいて約40分、感情の休まる瞬間がほとんどない。そして毎回、まさかまさかの次回予告が追い打ちをかける。トライアスロン完走した後に実はゴールはまだ先でしたっつって駅伝のタスキ渡されるようなものだ。そこから1週間、我々視聴者は地べたを這いずり血ヘドを吐きながら箱根の峠を越え、次の回へタスキをつないできた。何の話だ。ドラマの話だよ。

なぜこんなに心が忙しいのか?

もちろんストーリー(シナリオ)がそうなっているからなのだけど、やっぱり俳優さんの力が本当に大きいと、今さらだけど私は思う。いや私なんかが書くまでもなく皆さん感じているだろう。


まったくもって個人の見解なのだけど、私、俳優さんって、
観ている人に痛みを伝えること
が大事なお仕事のひとつだと思っていて。

自分ひとり分の人生だけで味わう痛みって限られていて、それ以外の、経験しようのない悩みとか苦しみは、もうそれは無限にある。

同性を好きになったがゆえの痛み
恋心に気づくのが遅すぎたがゆえの痛み
自分の気持ちを受け入れてもらえない痛み
過ぎた別れを悔いて悔いて悔いる痛み
30年の幸せな結婚生活を終らせる痛み
愛の伝え方がわからない痛み

こんな痛みを、1回の人生で全部味わうなんて無理だし、できれば味わいたくない。

だから私たちは代わりに経験してもらうのだ。ドラマの中の登場人物に。それを追体験することで、私たちはある種、心のエクササイズをする。物語は、娯楽だ。
だが、時にこちらが受け止めきれないほどの痛みを彼らはぶつけてくる。いや、ぶつけるつもりなど彼らにはなく、ただただ、まっすぐ全力で、彼ら自身の人生を歩んでいた。

そこにウソがなかった。

出演者の方々もスタッフの方々も口をそろえておっしゃるように、誰もウソをついていない。ただただ役を生きている。
ウソのない彼らの姿を観ているうち、私たちはうっかり娯楽を通り越して没入し、共鳴し、シンクロし、そして、疲れ果てた。それほどまでに求心力のある作品だったのだ。


話は逸れるけど、昔とあるドラマを観て、もう胸が痛くて痛くてつぶれそうになったことがある。
そのドラマは、旧満州へ渡った開拓民たちの話だった。
正直、戦時中の話だし、「中国残留孤児」と聞いてもピンとこない。

ところが、そのドラマを観て、自分が経験していない、知識もほとんどない時代に生きた人々の苦しみ、悲しみ、痛み、すべてが流れ込んできたのだ。
誰かが苦しめば私も苦しい。誰かが悲しめば私も悲しい。
つらい、帰りたい、逃げたい、会いたい、会いたい、会いたい。
いっそ死にたい、でも生きたい。

主演は満島ひかりさん。すさまじい生き様(あえて「演技」ではなく「生き様」)だった。

そのドラマを観て、私はごくごく自然に、戦争を憎んだ。
経験もしていない戦争を、心底憎んだ。
絶対に、二度と起こしてはならないと心に刻んだ。一度目を知らないのに。
自分の腹の底からこんな気持ちが沸きあがってくるなんて、まったくもって驚きだった。
俳優さんたちの壮絶な仕事ぶりに、心底感動し、感謝した思い出深い作品である。
レンタルなどで観られるのかな? ちょっとわからないのだけれど、もし興味があればぜひ触れていただきたい作品だ。

(まさかおっさんずラブについて書いててこの重いドラマをオススメする流れになるとは思わなかった…)




つまり何が言いたいのかというと。

力のある俳優さんが本気で仕事をすればするほど、こちらの心はガンガン動く。知らない世界を経験する。知らない感情を味わう。そして疲れる、ということ。

毎週『おっさんずラブ』を観終わった後の私(たち)は疲れ果て、放心状態になり、しかし興奮は冷めず、眠れない夜を過ごした。

だが、どうだろう。
つらいストーリーを目の当たりにして、心がすさんだ人はいただろうか。

すでに多くの方が言及しているように、この話には悪役はいない。
だれもがだれかのことを思って行動している。(それがすれ違うからまた切ないのだけど) 優しい人たちばかりが登場するから、観ていて優しい気持ちになれる。確かにそうだ。

だけど、加えて私は思う。痛みを知るから優しくなるのだ。

人の痛みを、自分の痛みとして感じることができる。そんな体験が、このドラマには詰まっていた。

全7話を通じて、牧の痛みをどれだけの視聴者が共有しただろう。
部長の苦しみを我が事のように感じた人はどれぐらいいただろう。
春田だって、春田だって。

ああ、あの人も、つらかったんだなあ。

観ていた人それぞれが、身近な誰かを思い浮かべたのではないか。

誰かの痛みを、私は春田に、牧に、部長に、みんなに、教えてもらった。
だから、観ていて疲れたけれど、決して嫌な疲労感じゃなかった。
何人分もの人生を並走したような、そんな心地よい疲れだった。

ドラマを観た次の日、(疲れているけど)ほんのちょっと誰かに会いたくなったり、ほんのちょっと笑いかけてみたり。
その、ほんのちょっとが重なって、世界は少し優しくなる。

優しい優しい、ドラマだった。

とことんプロの仕事をして、私に優しい世界への入り口を示してくれた『おっさんずラブ』出演者の方々に、心からの敬意と感謝を送ります。




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