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うたがわきしみうわごとだものⅡ

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感じたことあれこれ。日常。コラム。創作日誌。エッセー的な。作品にはならないうわごと系の。二個め。文芸を志す方にオヌヌメ。
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#うたがわきしみ

『寂しさの正体』

“寂しさ”かあ。 まあ、人それぞれ自分だけの寂しさレンズを持ってるだろうし、 レンズによっちゃ、なんでもかんでも寂しく見えちまうだろうが……w そうさな、乱暴にくくっちまっていいなら、 寂しさには二種類あるんじゃねえかな。 1つは、タチの悪い友人みたいなヤツで、 普段なにげなく過ごしてるときにはとんと顔を見せない。 そのくせ――たとえば学校帰りだ。 公園で友達と暗くなるまで遊んでいたとする。 「○○ちゃん、もうお夕飯だから帰るわよー」 「はーい! 今日のごはんは何かなあ?

『偉大なる先人の智慧より』

糞して寝れば治る

魂が震えてからが本番

『オンリーワン』 さあ授業の季節は終わりだ もう誰かの物差しで生きなくていい 君よ君自身を存分に生きたまえ 君だけのレンズを誰にも奪わせちゃいけない 本来奪えるはずのないその輝きを奪っていたのが君自身だとしても これ以上他人のダンスに付き合う必要はない 君だけのてっぺんを目指せ

深くておいしい小説ってやっぱり『拳をギュッとね理論』で出来てるよね。

まあ、いろんな小説がありますからね、あくまで一条件といいますか、イメージといいますか、振り返ると「ああ、なるほど」って思うかもしれない一例なんですけどねw まず、そもそも、自分だけのレンズで、自分だけの角度で、世界の景色や、真理や、痛みや、「どうしてなんだろう?」みたいな違和感、オンリーワンな問いかけ等を、ギュっと掴める作家性があることが前提なんですが。これはもう持って産まれた先天的な資質やらセンスやら後天的に芽生えたもの含めて、深いもの掴めてなかったらどうあがいても深くは

『無駄じゃない無駄』

『雑感抄』でも書いたけど、無駄に見えることってのも案外大事で、逆にいえば無駄なことなんてないかもしれなくて。 前の『雑感抄』は消しちゃったので、コメント残ってないですが、そこにあれを書いた背景というかノウガキをたれていたのを少しだけ、メモとして残しておきましょうかね。 御存じない方がほとんどだと思うんですが、僕は舞台や声優やってたりしてて、まあ、演劇の道にいたんですけど、そこで教わってきたこととして、というか、僕はそういう世界だと思ったから飛び込んだわけで、声優とか芝居に

『Xファイル ~じゃねえよな、どう考えても(笑)~』

そんなに言うなら、今日だけは本当のことを話そう。 もちろん僕が夕飯に食べたのは、かけそばとカツ丼のセットだ。 あの、いつも行く立ち食いソバ系列のお店の。 おいしいからいつも食べにいくのか、といえば、そうでもない。 なにせ、ここは"つゆ"へのこだわりが果てしなく強く 時間帯によって、煮詰まったり、薄かったりして いちいち安定しないパフォーマンスを日々醸してくるほどのお店だ。 カツ丼もそれ相応のアレで、推して知るべしなクオリティだ。 だけど、ね。 果たして――これはなんて

うたがわきしみのうわごとだもの過去選 創作日誌『読者って。創作って』

きしみは、昨日TSUTAYAに久々にいったですよ。 行ってしまうと本屋大好きっこなだけに、 現実を逸脱するほど散財するので 避けてきたのですが、調べたい雑誌があって……。 まあ、それは結局たいした雑誌ではなかったから アマゾンでポチせず、自分の目で確かめてよかった。 ジャケット群というか新作たちの表紙を眺めて、 めぼしい漫画も新たにチェックだけして、 財布のひもは緩めなかった。 って、そんなきしみの日常話はどうでもよくて、 この日の本当の収穫は 10代後半の女の子たちの

『ほんだなだな』

書斎のやつ。 寝室の方の。 これじゃよくわからんか。 こんなところか。 これ以外に大きめの本棚がひとつとカラーボックスが三つあって。 たとえばこんな感じの↓があと三つあって、どれもホンがたくさんつめこまれていて、買って来てはそこに詰め込んでいて、そしたら、そこにも入れられなくなって、今は、そのカラーボックスの上にビルを作っていて、とてもお見せできる環境ではない。 ちなみに↓のカラーボックスの隣のちらっと茶色の本棚うつってるのが、今回うつしてない大き目の本棚で、北方謙

してみると歴史も長い長い未完の物語というわけですな 我々はそれを最後まで拝むことができない宿命と? さあて詩人なればその限りではありますまい、彼らは見えない翼で未来を自由に観て来れますからな ふうむ詩人の特権とは左様なもので 如何にも詩群の墓標参りもまた斯くの如し ほう

『君は心の露出狂か』

ちびまゆこ←(最近おしてるやつ)さんがいいことをおっしゃっててね。 あたしらは、どこかその、もう、"心の露出狂"なんじゃまいかって。 あたしは間違いなく、その大家で心の露出卿だけどさ。 むき出しの自分を出すか出さないかってのは人によるよね。 人によっては、自分を出さない表現者もいるものね。 自分から遠いのを描く人。 遠いから描ける、みたいな人。 でもそれでも、自分が出ちゃうのが表現だと思うけど。

『尻~その真白き双丘の狭間で~』

私は短気な父が嫌いであったし、許せもしなかった。 とうに亡くなった今でさえそうだ。 あるとき、なぜ母親と結婚したのか、 家族でその馴初めを訊いたことがあった。 「尻が一番でかかった」 父は確かにそう言った。 母の尻を見て一緒になったと。 それを聞いた瞬間、ある種の生理的な嫌悪を感じるとともに どうしようもなくその血が流れていることを受け止めざるを得ず 行くことも戻ることもできないような 尻の持っていきようのない狭間で 私はこれからも尻を愛していくしかないのだと ひとり

『文縁の友よ……ひとごとじゃないよね(笑)』

ネットだと本当に、 長文読んでもらうの大変だね。 本ならどれくらいのボリュームか 見当つけながら安心して読めるけど ネットだと、だらだらどこまで 続くのかわからないっていう ストレスかデフォルトでありつつ、 読まなきゃないわけで。 文章が研ぎ澄まされてうまくて、 物語にサスペンスもあって、 読みやすく改行や成型がなされてたりして はじめて読む気になるっていう。 じゃなきゃ、ネームバリューがあるとか。 やっぱネットだと、 140文字くらいで表現できる 詩とか超短編あたり

『引き出しの中の雨』

140文字以内で雨をテーマにした短文です。 雨嫌いなあなたにもそっと寄り添える雨があるかもしれません。雨の宝石箱やあ (❀ฺ´艸`)