まにうける

【風雲ガチンコ文章指南録!?】『真に受ける力』⑨~きしみのターン!の巻~

2007/10/14, Sun 08:34

きしみです。
林さん、西山さん、
遅くなってすみません!

課題文(?)確認いたしましたよ。
すごいじゃないですか!
以前の文面とあきらかに違い、成長が見られます。

イメージを受け取って、自分がどう感じたか、
いい感じで出てきはじめました。
どんな曲を聞いても、
ここまでは書けるようになっておくことが
大事かもしれません。

この試験において、
私が時間をかけていいと思うは、2点。


■1、まず曲を聞いて、
イメージの芯(自分にとって、その曲は
一体どういう存在として入り込んできたのか、その結論)
をつかまえることと。

最初になるだけガチっと、
(自分にとっての)曲の輪郭と芯を
つかまえておきたいです。

通り一遍の、「感動的な曲だった」「優しい曲だと思った」
というような感想なら、誰でもすぐに書けちゃいますよね。
それは何もつかんでないのと一緒です。
そんなものを読ませられても、人には何も響きません。

だから、ここに時間をかけて、
湧いたイメージの果てにある、“核”まで
つかまえることに意識を集中したいです。

> それと、質問なのですが、《曲の核をとらえる》ということ
がよく分かっていません。。

説明が抽象的でしたね^^;

> その曲が伝えようとしていることを見抜く・・・ということ
なのでしょうか?

ええ、そうです。

ただし、本当に作者がどう思って作ったのかは
この際どうでもよくて、あくまで自分にとってその曲が、
どういう存在だったか、結論を書きとどめることです。

それが、見当はずれであろうとなかろうと、
自分が、一番琴線に触れた部分の
正体を書くということ。

ひとつ具体的な例を、
西山さんの文面にあやかって
書いてみましょう。

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ある部屋にやさしい光が差し込んでいる。
その中に、温厚そうな老婆が椅子に座り、
編物をしている姿が目に浮かぶ。

顔や手に、年輪のように刻まれたしわやシミが、
老婆のこれまでの人生が、けして順風満帆ではなかった
ことを告げているようだ。
老婆は、隣で編み物を見ている私に言った。
「人生には悲しいこともつらいここともある、
しかしどんなことがあろうと、笑顔でいれば
いつか必ず幸せが舞い込んでくるものだよ」
そういった瞬間の老婆の笑顔は、本当に幸せそうだった。

この曲は優しくてどこか悲しい。
だがそれがとても心地よく、
胸の奥に自然に沁みてくる楽曲だ。

私は、目に浮かんだあの老婆の幸せそうな眼差しの奥に、
どんな傷もいつかは癒え、人は笑顔で
立ち上がってゆけるのだという、
優しくも力強い確信と、人の悲しみを分かってくれる
果てしなく大きな慈愛を感じた。

この曲には、人を“癒し”から“自立”へと導くほどの、
深い祈りが込められている気がした。

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>この曲には、人を“癒し”から“自立”へと導くほどの、
>深い祈りが込められている気がした。

ここが、曲のイメージを掘り下げて考えたときに見える、
自分にとっての結論の部分です。
なんとなくわかってもらえたでしょうか?

自分なりの、ものの見方や、手触りや、
結論が書かれたときに、はじめてその文章は
自分にしか書けないものとなり、
通りいっぺんの「感動した」「泣きそうになった」
という感想文から抜け出すことが出来ます。

曲の核をつかむことが、すべての始まりなので、
感受性を最大限に敏感にして、
ちょっと時間をかけてでも、時間がなければ
書き進めながらでも、いったいこの曲は
自分にとって何者だったのかを
考えていく必要があるかもしれません。

曲を聞いて、感じたことから、
更に一歩踏み込んだところに
結論はあります。

なので、私が書いた例文は、
西山さんの――

> そして、その老婆は
「人は笑顔でいれば幸せが舞い込んでくるよ」と
ささやきかてけくるように思えた。
> 将来、あの老婆のように幸せそうに過ごすために、
今をしっかり生きようと感じた。
 
という部分を結論だと仮定して展開させ、
拡大解釈し、出したものです。

自分なりの感じ方は出来ているので、
あとはそれをどう展開させ、まとめ、
第三者に伝えるか考えていくといいでしょう。

曲を聞いて、イメージを浮かべ、
感じたことをたどっていき、
それらの感じはすなわち、結論として
何を意味しているのか?
思考を深め、そこに脈打っていると思われる
核をつかまえる。

これは論評の根幹となる部分ですが、
一番難しいところですね^^;
しかし、つかまえられれば、
もう半分以上は出来たも同然です。

西山さんは、つかまえかけているので、
あとは、もう一歩踏み込んで
明確に、具体的に言葉に展開できれば
いいと思います。


■2、次の段階です。
曲を聞いて、イメージとつかまえた感じを
だぁーっと書いてみたあと、
それがきちんと効果的に伝えられるように
構成されているかどうかのチェックです。

つかまえた核を、もっとも効果的に
伝えきるには構成が大事です。

今回の文面で惜しいと思ったのが、
老婆のイメージと、母の連想が構成上、
うまく連なってないために、結果として、
どちらにもピントが合わせられず、
ブレてしまってる印象を与えてしまうことです。

本当に両方浮かんだのでしょうし、
どちらも無駄にせず、うまくハメて
構成したいですが、それで煩雑(散漫)な印象になる
ようでしたら、私が例文で書かせていただいたように
取捨選択し、老婆にだけピントを合わせて
書いてもいいでしょう。

もっとも効果的に、核の部分を伝えられるように
どうすればいいのか。
ここでもちょっと時間をかけて悩んでも
いいかもしれません。

イメージに浮かんだこと順番に、すべて、
書く必要はありません。

だーっと書いたあとは、
その結論である曲の核から逆算して、
その核が、もっともインパクトあるように
削るとこは削り、補完するところは補完して
構成を整えましょう。

一番感じた部分が老婆ではなく、
母親の大きさや優しさだった場合、
私の例文で老婆中心にしたように
母親中心の話に修正してもいいでしょう。

母親と、老婆の話をミックスしたい場合は...
うーん、私なら、

老婆のイメージ

そこから感じたこと

感じたことの先にあった正体・まとめ。

<デタラメの例>
老婆のイメージで感じた、あのとても心地よい
幸せな感覚には身に覚えがあった。
幼い頃、母親が髪をとかしてくれたり、
膝枕をしてくれた時の感覚だ。

あの絶対的な安心感。
母親というイキモノが持つ、無償の愛の温もり。
その人肌の心地よい温もりには、一切の理屈がいらない。
無条件に優しく、情け深く、わが子を包み込んでゆく。

今、ニュースでは親子間での悲惨な事件も多いが、
この曲の中に脈打っているような、屈抜きの愛を、
人々は今こそ持たなければいけないのではないだろうか。
瑞々しい音色に優しく癒されながら、そんなことを思った。

-------
とか、そんな感じでしょうか。

文章量を気にせずに、
時間も気にしなくていいのであれば
もっと、相乗効果を狙えるような構成にも
できそうですが^^;

西山さんの文面では――

------------

老婆イメージ

そのイメージから受けた感じと
母親の連想

母親の連想での感じたこと

老婆に戻って
老婆から感じたこと

-------------

という構成になっていて、
ちょっとまとまりが悪いようです。

一番感じたこと、一番言いたいことはなんなのか?
だーっと書いてみたあと、
そこから考えて、この構成で
本当にそれが伝わるりやすいかどうか
考えてみてはどうでしょうか。

------------

老婆のイメージ

母親の連想

そこから導き出される共通の感じたこと


つまり、感じたことの正体とは?
まとめ

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にしてみるとか?

西山さんの文面では
最後老婆に戻って
>「人は笑顔でいれば幸せが舞い込んでくるよ」と
ささやきかてけくるように思えた。
> 将来、あの老婆のように幸せそうに過ごすために、
今をしっかり生きようと感じた。

という結論にしてますが、
そこを老婆と母親のイメージから
共通して感じたものの正体と、
だからこそ、ずばりこの曲は私にとってはこうだった
というようなまとめにしちゃった方が
より、わかりやすく、感じたことを
伝えられそうな気がしました。


モチベーションもあがってきたようなので、
ここでもう一分張りです。
頑張りましょう。


ちなみに、硬い表現を使う先生だから
色々、漢字とかつかって、ボキャブラもあるとこみせて
頑張ろうという話ですが、
やっぱり、現状の、適度に漢字が入っている
西山さんの文で全然いいと思います。

ボキャブラも、それを表現するために
どうしても必要でない限り、難しい言葉を
使う必要はないと思います。

難しいことを、平たく言えるのが
本当にうまい人で、一流の人です(主観ですが)。

もっというと、教授の紹介文では
多少学術的に見栄をはる必要があって
↓の感じになってると思うんですが、
試験でこんな風に書かれて、
読みたいと思う人はいないのでじゃないでしょうか?

-----------
舞台における動態表現は空間を共有する、
演じる者と観客との同時的時間軸があって成立する。
その表現が計算されたものであっても
偶発的なものであっても観客と一体をなすことで
生命が吹き込まれ感動を与える事ができる。
つまり、帰納的に、あるいは演繹的な見地から鑑みるに~」
-----------

適度に漢字は入っていて
平明で読みやすく、その人の感じたことが
流れるように入ってきて、結論で「なるほど」と
すんなり感心させられてしまうのが
本当に、“行き届いた”文章だと思います。


悪い例になるかもしれませんが、
最後に、「樹の海」という邦画について
私が書いた感想文をのせます。

とても長くて(謝;)、読みづらいですが、
私にしか書けない感想にはなっていると思います。
どの辺でそうなっているのか、
感じてみてもいいかもしれません。
※注)これについて感想を書く必要はありません!

私みたいにヘタな文章書きでも、
自分にしか言えないことが書き込まれていると
なんとなく説得力が出てくるものだというのを
まぁ、見てみてください。
ちょうど、この映画にはアヴェ・マリアに通低するような
いい曲がかかっていてので。


ではでは。
感想を↓に載せておくので
よければご一読してみてくださいませm(_ _;)m

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映画「樹の海(JUKAI)」 監督:瀧本智行

<ストーリー(これはコピペです!)>
霊峰富士の麓に広がる広大な緑の海・青木ヶ原樹海。
この“樹の海”を舞台に、編み込まれてゆく4つの物語。
借り逃げした女を追いかけ、樹海へと足を踏み入れた
消費者金融を営むタツヤ(池内博之)の不安。
樹海で自殺した女性と、自分が一緒に写っている写真を
探偵(塩見三省)に見せられるサラリーマン、
山田(津田寛治)のとまどい。日々何事にも関わらず、
自分の経歴を隠し続けて駅売店に勤める手島(井川遥)が
樹海へと向かう、思いつめた目。
公金横領の罪を一身に背負わされ、
樹海に放り出された朝倉(萩原聖人)が、
自殺志願者の男と森の中で出会ったときの驚き、そして…。
“死”という事態に直面したときにこそ、
見つめ直せる“生”。「生きよう」という願いを編み込み、
「人間ドラマ」を紡ぎだす。

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(私の感想はここから)
丁寧に作りすぎて、ちょっぴり間延びもあったけれど、
見てよかったなぁと思える作品。

数人の自殺を焦点に語られていく物語だから、
重々しい感じなのかなぁと思ってたら、そういう雰囲気ではな
い。
たしかにせつない死や、死にきれない魂が
そこに横たわっているのだけれど、伝わる感覚は、
あくまでしみじみとした、癒しの風。

音楽の効果が非常に大きい。
なんとも心地よい、優しい曲が
生と死の谷間をなでていく。

真剣に、衝撃的に、重苦しく、
死を考えていく映画もいいけれど、
こういう角度で死を見つめていいかもしれない。
そう思った。

やむを得ず、死を選んでしまった人間がいる。
彼らを優しい曲で包むのは、
「つらかったら死んでもいいんですよー」
「間違ってないですよー」
「そういう死もありですよー」
なとど肯定しているからじゃない。

自殺は絶対いけない!
なにがあっても生きるべきだ!
それは揺るがずにある。
しかし、そのメッセージを届けるのに、
いつも悲惨な事件をショッキングに描き、
重々しく、胸を突き刺すような手法を
とらなくてもいいではないか。
そう思えた。

この映画には、彼らの悲しい心に寄り添う
慈愛の眼差しがある。
単純に死んでは駄目だ!と否定するのではなく、
そういう弱さを持った人間を引き受けた上で、
飲み込んだ上で、しみじみと、
「それでも、やっぱり、生きてみようよ」と
促すいたわりがある。

音楽は理屈を越えて心に染み込んでくる。
言葉で、「生きろ!」なんて熱く言ってみたって
なかなか届かないことがあるし、
拒絶されることがある。
なぜなら、彼らはまず、わかってほしいはずだからだ。
駄目な自分を受け止めてほしいはずだからだ。
強くなんか生きれない自分を認めてほしいはずだからだ。

音楽には理屈がいらない。
あの音楽の中に満ちている、形のない慈愛。
それは、「死にたい気持ち」をわかってくれる音。
包んでくれる音。
一緒に泣いてくれる雨であり、
一緒に歩いてくれる風であり、
ただ黙って傍にいてくれる森でもある。

生きていく勇気というのは、
「生きろ!」と言われて、簡単に湧くものではない。

それが、「死にたいほどの悲しい気持ち」にただ寄り添い、
黙って、そこにいる相手を受け止めてあげるだけで
しみじみと、生きていく勇気が湧いたりするのだ。
(これが人にはなかなか出来ないが)

「バカ野郎! 命はお前が思ってるより大切なんだ!
そんなに簡単に死んでいいものじゃないんだ!
生きてさえいればどうにかなるんだ! わかったか!?」
ではなく、そう言ってるあんたが、まずもって、
命の弱さを分かってあげるべきなのだ。

そのとき初めて、命は、少しだけ
強く生きようと動き始めるのではないか?
認められ、受け止められたスペースを地盤に
ゆっくりと深呼吸を始めるのではないか?

「わかれ!」というのが先じゃなく、
「わかってあげる」方が先なのだ。
まぁ、ついつい逆をやってしまうのが人間だが…。


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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。