まにうける

『真に受ける力』

プロフェッショナルとして信用するかどうかの判断基準として、私は個人的に「その道で10年食べている」という指標を持っている。10年続けるというのは“まぐれ”や“運”だけではできないことだと思うからだ。

人生山あり谷ありでなんだかんだありつつ、10年抜けてやっと実力が少しついてきて、しかしやればやるほどまだまだ気が遠くなるほど奥が深く、先が長いということも見えてようやく一人前なんじゃないかと、そんな風に思う。

クリエイティブな方面ではなく、過酷なスポーツの世界だと、むしろそれで引退する人もいるくらいかもしれないが、「10年」という単位はどんな世界でもひとつの節目として目安になりやすいのかもしれない。

「しんせかい」(まだ未購入で読んでもいないのだが買う予定)で芥川賞をとった山下澄人さんは、あの倉本聰の「富良野塾」2期生だという。その富良野塾に入所する際の映像ががちらっとテレビに映し出され、本書の中にある一文が紹介されていた。

倉本は新しく入ってきた生徒たちの前でこう言ったという。「10年は僕のいうことを“真に受けて”ください。そのあと、自分ならこうするというのが出てくるかもしれないが、それまでは真に受けてください(趣意)」

「真に受ける」=言葉どおりに受け取る。

よくわかる、と言ったらおこがましいけれど、それはそうだろうと思った。演技のことも社会のことも、右も左もわからない青年たちだったからじゃない。何かを学び取ろうというときは、とにかくこの人の言ったことは全部やる! 言葉通りに受け取って全部信じる! と決めてやらないと、身につくものも身につかず、伸びるものも伸びず、芸事の本質にたどりつく前に浅きについて終わってしまう可能性があるからだ。

私も一応紆余曲折ありながらも15年くらいはなんとか文章や演出中心で、娯楽の最前線で揉まれながら現役を続けてこれて(演技者としてのキャリアをいれるとなんだかんだでもっとになるが)、ようやく客観性が少し芽生えてきて、人を楽しませるものが書けてきたかなあという段階に入りつつあるようだけれども、まだまだ描きたいものは全然書けず、きっと大器晩成型なのだろうと言い聞かせている今日この頃である。

なぜ、「真に受ける力」というタイトルでこんな話をしたかというと、これからとあるメールのやりとりを公開していこうと思っているからだ。

実はそのときの私は文芸の道に入ってまだ6年目くらいで10年たってもいないのだが、ある人から頼りにされ、NOとは言えない典型的な日本人であった私は人様の文章をみることになったのである。

頼んできたのはミクシー仲間だったSさんという女性のピアノ教師で、その方のピアノの生徒さんが大○芸大を受けることになり、相談にのってあげてほしいと頼まれてしまったのだ。

その子は舞台音響がやりたくてそこを受けることに決めたそうなのだが、舞台についての予備知識もまるでなく、文章もかなり苦手だというのに、その試験で必要なのが感受性(センス)と文章力だという。

やれやれ、私の手に負えるかなと不安になりながらも、毎日終電で帰るような暮らしの中、引き受けたからにはムサビだろうがタマビだろうが大○芸大だろうが受からせてみせようじゃないかと腹をくくり、試験に向けておよそ一か月間にわたって彼女とのメールのやりとりを続けた。

彼女が私の言葉をいかに“真に受けて”いったか、そして彼女は試験に受かることができたのか。その記録を公開してみようと思う。真に受けるからこそ出る力があるとしたら、なんだかおもしろそうじゃないか。

追記:引き受けると同時に、彼女には、舞台の知識を得るために何をしたらよいかのアドバイスや、狙っているクラスの教授の人物履歴チェック、さらにどういう試験が過去に出されてきたのかなどの傾向を調べてもらったりした。

水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。