見出し画像

『10年前そこにあった命のゴトゴト感』

2007/6/8(金)

新宿。終電前。
0:40くらい――つまり、正確には6/9。

目の前で30代のサラリーマンが泥酔状態で
線路に飛び降りた。

入ってきた中央総武線にしっかりぶつかるように
完璧なタイミングで。

冗談みたいにふっと消えて、
すぐに――
ガゴッ!ダダンダンッ!!
と何か大きくて重たくて硬いものが
ぶつかってくだけるような音がして
キキィィイイーーーーーー!!
と急ブレーキがかかった。

私は彼が飛び降りて音がなった瞬間、
目を閉じ、耳をふさいだ。

なんてゴトゴトとナマナマしい音だったのだろう。
わななき、立ちすくみ、血の気がひいた。

すぐに駅員が駆けつけ、誰か見た人はいませんか!?
証言者としてご協力いただきだたいのですが?

並んでいたのは3列目だったのに、
いつのまにみんなが引いたのか、
先頭にたっていた私は、何もできず、
ただわなないていた。

右横の列の人が手をあげて、事情を説明しに
どこかへ連れられていった。

場は週末の終電前で、混雑し、騒然としていた。

私は妻(今では元妻だがここは当時の日記のまま記す)
に電話をかけ、事故で電車で帰れないことを伝えた。

震えながらしゃべり、一度、駅の外にでて
ふらふらと彷徨うように歩いた。

改札口には、チケットを払い戻そうとする客が
殺到していた。

私の頭の中には、
飛び降りた男の背中が何度もフラッシュバックして映り、
そのたびに、あの強烈な命が砕ける音が鳴り響いた。

人間は死のうと思えばすぐに死ねる、
すぐそこに死があるんだ。
あんな音を出して砕けていくんだ。
怖かった。

サイレンが鳴り響き、消防車などが駆け抜けていった。

しばらく、どうしようもなくその呪縛から抜けれず、
しかし、ふらふらと私は戻った。

駅はまだ混雑していた。

警察の人や消防隊員が緑色の幕をはり、
緊急停止した電車の下に入って現場検証をしていた。

やじうまが隙間からのぞいて、写メを撮ったりしていた。

泣いてる人、それを慰めてる人、
茫然としている人、笑ってる人、
いろんな人間がそこにいた。

怖いものみたさも。

客を乗せたまま停止している電車の中は暗かった。
作業するために、一度完全に電気系統を
遮断していたらしい。

彼が飛び降りて、電車が止まったとき、
彼を行き過ぎて、目の前の車両は
6号車目になっていた。

ホームにいた人はみな、顔面蒼白で、
6号車の下に目をやっていたと思う。

6号車の人たちも自分達の足元を大勢に見つめられて、
さぞかし具合が悪かったことだろう。

何があったの?
まさか、あれなの?
私たちの足元にあれがあるの?

私は一度も電車の隙間を覗き込むことはできなかった。
どうなったのか、知らなければ
呪縛から解き放たれそうになかったが、
とても覗けなかった。

となりで電話している声が漏れ聞こえてきた。
足首が千切れてたのがあったとか……。

やはりバラバラになったのだろう。
あんな音がしたのだものな。

私はまたフラッシュバックを見ていた。

1時間もしただろうか、
こちら側のホームから死体らしきものが
運ばれることはなかった。
おそらく向こう側の小田急線のホームの方から
搬出したのだろう。

停止していた電車が所定位置まで動き、
扉が開いて客を昇降させた。

そしてその電車がゆっくりと出ていく。

私は妻に迎えにきてもらう約束をしていたので
もうその電車に乗る必要はなかった。

ただ通り過ぎた跡を見たかった。

向こう側には、数十人の警察の人や消防の人や
鑑識の人がいた。
みな、こちらのホームにのぼってくる。

私の目の前で彼らのやりとりがあった。
「あと2本電車ありますから、それが全部行くまで
ここにいてください」
警察の人が頷いた。

その後すぐ、黄色い線に沿って警察官数人が、
等間隔で立った。何かを防ぐように。

次の電車が来るので、黄色い線まで下がってください!
としつこいくらい館内放送が流れた。

私は、自分が飛び降りるかもしれない、
そんな幻想にかられて恐怖していた。
隣の人をみると、その女の人も下唇をかんで
何かを耐えているようだった。

みな呪縛されているのだな、と私は感じた。

次は自分の番だ。
自分が飛び込む番。
警察がいようと、この黄色い線から
向こう側に飛び降りるのは簡単なことだ、
いくらでも隙間がある。

電車がくる。
緊張感が増す。
が、電車はこれ以上ないくらい
ゆっくりとしたペースでホームに入ってきて
停まった。

ほっとする感じが体の中に満ちる。

飛び降りなくてもよかったんだ。
自分は死ななくてもよかったんだ。

あの男の背中を自分に重ねあわせていた
呪縛が半分だけ解けた気がした。

その電車にホームに残ってた人々が乗り込み
過ぎ去っていった。

そこで私は本当にほっとできた、
とりあえず呪縛からは解放された気分がした。

まだフラッシュバックはあり、心はさざめき
毛羽立っていたが、なんとかまともな自分を
取り戻した感じはあった。

これで帰れる。

私はゆっくり線路を眺めた。

すると、赤紫ピンクをした内臓のようなものの欠片と、
千切れた繊維のようなものがガレキの上に残っていた。
あとは血の染み込んだ丸い跡があるだけで奇麗だった。

人間は、あんな肉塊になって死ぬべきじゃない。
けして。

そう思っていたとき、妻の電話に気がついて
待ち合わせ場所に走った。

留守伝にすでに到着していた電話が入っていた、
気がつかなかったらしい。

小田急ハルクまでの道、呪縛はなくなったとはいえ、
まだまだビクビクしていて
ナーバスになっていた私は
横断歩道で後ろから走ってくる音にびくつき、
冗談抜きで飛び上がり、
道路にぶちまけられたナマゴミが
内臓の飛び散ったものに見えて、
更に声を出して飛びのいて驚き、
行き交うバイクの轟音にびびり、
ひたすら震えていた。

こんなにも人間の死を浴びたものは
恐れおののくものなのか。

私はこの死の経験をいかそうと思う。
逆に命の尊厳を知ったのだ。

本来なら戦争地域ぐらいでしか見られない光景だったかもしれない。

しかし、私は確かに目の前で
命が無残に打ち砕かれるのを見た。聞いた。

あの命のゴトゴト感を、私は一生忘れまい。

水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。