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映画『自虐の詩』

面倒なのでまずコピペ。※ネタバレあるので観てないかたは読まないでくださいましねw


森田幸江(33)は、無職で甲斐性無しの葉山イサオ(35)に尽くしている。二人は大阪で一緒に暮らしているのだが、まだ籍を入れていない。幸江がラーメン屋で働きながら生活を切り詰めやりくりしているというのに、イサオは毎日ボーッとして、やることといえば賭け事ばかり。気に入らないことがあれば、ちゃぶ台をひっくり返す。ところが幸江は、周りに何と言われようと、イサオに惚れて惚れて惚れぬいている。

つまるところ、「それでも人生にイエスという」ってこと。つらいこと、悲しいことがあっても、そのぶんまたきっといいこともある。目の前の幸不幸だけで人生には意味がないなんて思っちゃだめ。っていうことを、不幸を味わい尽くしてきたヒロインがいうから、腑に落ちるっていうラストかな。

母親に捨てられ、父親は新しいはすっぱな女のために銀行強盗して刑務所暮らし、学校では貧乏でいじめられ、いいことなし。同じ学校に貧乏でフケだらけの不衛生な女同級生がおり、この子だけが友達だった。この友情にいったん亀裂が入りそうになるんだけども、それはもっと深い絆を結ぶものになる。

この物語は、なにかというとちゃぶ台をひっくりかえす駄目男、阿部寛との夫婦の物語のように見えるけれど、父子の物語であり、友愛の物語でもあり、友愛の方が個人的には勝るラストだった。

阿部寛がなぜヒロインを見染め、それなのになぜひどい扱いし、なぜ、それにヒロインが耐えられてきたのかっていう説明描写はあるんだけれど、特にそこはなんも感じない。

やはり当時いじめられっこだった者同士が生き抜いて、生き残って、最期に再会して感きわまるシーンや、田舎からでるときに、もう一人のいじめられっこの同級生がなけなしの5円をお守りにたくさんくれて、お弁当をくれたこと、このお弁当の味。涙の味。これだよね。ゲーテの好きな言葉に「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」ってあるけど、こういうことなんじゃないかと、僕は思う。

執拗なまでのちゃぶ台返しスロー演出は堤監督だよなあ、って感じで笑える。こういう不幸な話をポップな手触りで語らせると、呑みこみやすいってのはある。大事なことがすべっていきそうなギリギリなところだけどもw ベタってやられるよりは、現代ではこっちの方がコミットするでしょうな。

阿部寛がもうひとつ存在感あってもよかったかなあ。与えられた役にすっぽりおさまっていたように思う。なにかはみ出してきてよさそうなものだったが。まあ、いっか。『嫌われ松子の一生』の中谷美紀はそつなく演じてたと思う。

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水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。