かいぎ

『事件は会議室で起こってる』(よね?)

社内のコミュニケーションを活性化させるために
会議室で社内研修が開かれた。


その日はディベートの練習をしましょうというのがお題で、
あえて賛否両論がでそうな議題をみつくろい、みんなで議論しあった。

TVでは論破することが勝利でよしとされてるが
ビジネスでは違う。互いに言いたいことを言い尽くして
最適解の落としどころを見つけだすことが勝利となる。

ディベートを進行するのは講師のTさん。
この人は、反対にまわったり賛成にまわったりして
潤滑油として、議題を回して掘り込んでいくのが役目だ。

とある議題で、いつも空気をよまない発言で周囲をヒヤヒヤさせるKさんが
「それが気に入らないなら会社をやめればいいだけ」という意見をだした。

そこでその議題に対し、賛成でも反対でもない位置を表明していた
Aさんが「え、それ極論すぎるでしょ。それいったら議論する意味すらないんじゃないの?」と発言した。

すると講師のTさんが「いや、いいんですよ、どんな意見でも。はじいちゃだめだから。そういう意見があってもいいんです」ととりなそした。

Aさんがそれにくらいついた。
「いや、だっておかしくないですか? この議論っておとしどころ探すためのものなんですよね? それで、いやなら会社やめろって、議論するまでもない、って言ってるようなものじゃないですか。それOKならそれで議論終わっちゃわないですか?」

Tさんが「いや、ブレストと同じように言いたいこと言っていいのがディベートだから、言ってもいいんです。とにかくはじかないで、そういう人もいるんだあって思って、ね?」

Aさんはまだ納得がいってないようだった。
Kさんはぶすっとしたままだ。

Kさんはそもそも前回の研修で「こんな研修をやっても何も変わらない。
意味がない」とTさんに対して表明していた一人で、Tさんは確かそのときも「ああ、なるほど、貴重な意見ありがとう」といってはじかなかった。

はじいて不参加者をだしたくなかったからだけかもしれないが。

しかしAさんからしたら、「はじいた」というのは心外だったろう。
なぜなら、彼はKさんが、アナーキーなテロリストよろしく
「そもそもこんな議論意味がない」というニュアンスをもって
「いやならやめればいいいだけ」と言っているのに対し、
“研修自体をはじく態度をやめて”、協調性をもって、
一緒に取り組むべきという思いで発言したであろうからだ。

それが、TさんのKさんに対するご機嫌とりなし――
(――感情論に向かわせないめに必須だったとは思うが)によって、
逆に排他的な立ち位置に置かれてしまったかたちになる。
(「こうあるべき」「こうあらねばならない」と提示すると、その時点でその人もテロリストと並列な存在になってしまうのを垣間見た気がする。白か黒か、独善的に、一方が一方を否定しかしない場合、善悪はふいに不透明になる)

Tさんの立場もわかる。研修はみんなで成功させたいだろう。

だが、「やめてしまえ、こんなものには意味がない」という
意味を含んだ意見に対し、研修を進めるために
「そんなことをいうべきではない」とはじく態度をとった意見自体を
はじいてしまっているのが他ならぬ講師のTさんだった気もする。

「話し合いなんて意味がない」と
研修そのものの屋台骨を破壊しかねないテロリストに対し、
はたして「はじかないで話し合いを!」という訴えは
いつか通じるときはあるのだろうか?

通じないかもしれないが、はじかず、巻き込んで、
常に話し合いを求めていく態度はあっぱれだし、
最後は正しいのだと思うが、
研修自体を否定する意見をはじかなかったために
議論はそこで止まり、落としどころは藪の中へと放られてしまった。

原理主義者のような極端な意見は排他的で
戦争の引き金になりやすいのかもしれない。

ミクロの世界でもマクロの世界でも。

正義はいったいどこにあるのか。
事件は会議室でもじゅうぶん起こってると思う。

水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。