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僕が今、稼ぐべきもの

ここのところ、かなり悶々としている。

自分が「何者」でもないということに悶々としている。

そう思うようになったのも、自分が所属しているオンラインサロン「箕輪編集室」のメンバーが次々と何かをなし得て、「何者」かになっていく姿を見ているからだ。

自分のサロンを立ち上げる者、ゼロからはじめたドキュメンタリー映画を地上波の著名番組に流せるようになった者、自分なりに新しいことにチャレンジし居場所を見つける者…全てが輝かしく見える。

そんな人たちを見て、僕は「何者」でもないし、正直何かを得ている実感もあまりない。


お金は稼いでもスキルは稼いでいない

フリーランスとして独立して、約1年半が過ぎた。初年度の売り上げは1,000万円を超え、今年は現時点の見込みで1,500万円に到達する見込みだ。

アフィリエイトや広告、サロンなどのコンテンツワークではなく、対お客さの仕事であるクライアントワークとしては、それなりに頑張っている成果だと思う。しかも、前職からのつながりなどはなく、ゼロから仕事をとってきたから、なんとなくこの結果には自負がある。

ただ、この成果はあくまで「お金」という観点で見た場合の結果であり、「スキル」という観点でみるとどれだけ自分を成長させることができただろうか。

この点がとても引っかかっている。


想定内は経験済みのこと。経験済みのことで稼げるのは、たったの「お金」だけ

さて、そんな1年半の中身を振り返ってみると、単価も高く効率の良い仕事は、実は自分の経験や既存スキルを活かした「想定内」の仕事がほとんどだったこと。

「想定内」というのは、自分がすでに経験したこと、もしくは経験から大きく逸脱していないこと、だと思う。そして、「経験済み」というのは新しい経験価値を得られない反面、効率的に動くことができる。

「お金」「資本主義」という観点ではめちゃくちゃ素晴らしいことだ。

でも一方で、効率化というのは「無駄なこと」をしないということで、実はこの「無駄なこと」にこそ経験や新しいスキル修得のチャンスがある。

ただ、残念ながらこの「無駄なこと」ではお金は稼ぎづらいのだ。

そういう構造があるから、資本主義にどっぷり浸かっていた自分は「無駄なこと」を省き、効率的に稼いできてしまった。結果が今の自分である。


お金にならない新しい経験に感じる充足感

そんな振り返りをする中で、自分の血となり骨となっていることは何か。「スキル」の観点でみてみると、やはり何か新しいことができるようになった経験は自分にとってかけがえのないもので、大切なことだと実感した。

最近では、少しずつ時間を作ってはIllustratorを立ち上げて、箕輪編集室のイベントのバナーを作ったり、カメラを抱えてイベントの撮影に行ったりしている。

なんというか…全然お金にならないんだけど、充足感とスキルの向上感を感じられるのはこれらの動きなのだ…皮肉なことに。

あとは、時間対効果を度外視して、没頭した仕事。これも充足感とスキルの向上感がある。

要は、「お金」という制限を取っ払って、やりたいようにやってみることがスキルを稼ぐ唯一の方法なんだと思う。「この仕事はあと◯時間で終わらせないと想定の時間単価を割ってしまう」という強迫観念に狩られてたら、試行錯誤もあったもんじゃない。

試行錯誤にかけた時間が自分のスキルを上げることに直結するからだ。


「お金」を稼ぐことに突っ走ってきたこの一年半。間違っちゃいなかったけど、もうちょっと「やりきった!」とか「めっちゃ面白かった!」って言えることをやりたいな。

今の自分が稼ぐべきは金じゃない、スキルなんだ。


悶々としながらそんなことを考え、朝5時半くらいからこの文を書いていたらなんかスッキリしてきた。

朝日の撮影にでも出かけようかな。



浅見 ゆたか

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