見出し画像

三度目の台湾にて、初めて体験した「感情」のこと

Nサロンの「台北視察ゼミ」に参加して台北に行ってきました。
目的は、アジア最大級のテックイベント「COMPUTEX&InnoVEX 2019」(規定演技)の見学と、自らの旅の企画と実行(自由演技)です。

台北は三度目ということで、自由演技は台北ではなく「台南」行きを決めていました。
しかし、本腰を入れてガイドブックを読みあさっていると、ピックアップしていった場所と似たような施設が「台北」にあることに気付き直前で変更。まだ知らない「台北での一日」を過ごすことにしました。

そのおかげか、ゼミの講師である川端さんのアドバイスや、ゼミ仲間との偶然がかさなり全ての工程が流動的かつ刺激的な旅に。
そんな三度目の台湾にて「感情がうごいた」初体験を記していこうと思います。

1. 「白玉団子(湯圓)のかき氷」はさわやかさの最上級

スイーツ天国の台湾。
タピオカミルクティーやマンゴーかき氷など、王道のスイーツばかり求めて満足していた私は、現地の方のおすすめによりあたらしいスイーツに巡り会うことができました。

通化街夜市で出会った、ほかほかの湯気をまとい白玉団子をのせたかき氷。金木犀のシロップとレモン汁をかけていただきます。

(写真はゼミメンバーの大倉さん

ひとくち口に入れた瞬間の、金木犀のやさしい甘さとレモン汁の組み合わせの、脳天を突き抜けるようなさわやかな刺激が、なんとも極上な清涼感をもたらします。
冷たい氷上のあたたかいお団子の甘さは控えめで、モチモチ感触がさらに満足度をあげてくれました。
ねっとりとした湿度の台北の夜が、一気に浄化されたような気がして、その土地の気候にマッチした美味しさってあるんだなと、味覚が記憶に刻まれる感覚に脳がしびれました。


2. 「臭豆腐」は一生食べないと思っていた

半年前、私は鼻にハンカチをあてて「士林夜市」を歩いていました。
臭豆腐の強烈な臭いを回避するために。

それなのに今回の夜市散策では、なぜか臭豆腐専門店に着席することに。お店にいるお客さん全員が「臭豆腐のなにか」を食べているからか、臭いについてはだんだんと感覚はマヒしてくるみたい。
そしてテーブルにはこばれた「臭豆腐と鴨血」を食べる人を、ただ見学するつもりだった私ですが、目の前で「美味しい!」と食べているみんなを前に、口にしないわけにはいかなくなりました。

おすすめの「臭豆腐と鴨血」はどちらも同じスープで煮込まれています。「鴨血」の見た目はレバーみたいな色をした塊。これ自体に味はなくスープの味が染みているものの、食感はさらっとしたゼリーのよう。
あたたかいスープの中の、つるんとしたゼリーの食感に若干の違和感を覚えました。
さて、メインの「臭豆腐」を実際に食べてみると、クセのまったくないお豆腐の煮物。なぜあんなにも異臭を放っているのか頭が混乱するくらいでした。

実際に食べてみた正直な感想として、普通にたべられるおかずだったこと。
ただ、一生食べないだろうと思っていたものを食べる機会を得て、このタイミングで「食わず嫌い」を克服できたこと自体が貴重な経験だったなあと、感慨深かったのでした。


3. 言語がわからなくても聴覚と視覚は五感にひびく

旅のラスト、台北観光は「台北当代芸術館 MOCA Taipei」というおすすめの現代アート美術館からスタートしました。
チケットの値段は50TWD。日本円でわずか約173円。
驚愕の安さに、台湾におけるアートカルチャーが身近にあることを感じます。ちなみにタピオカミルクティーはだいたい55TWDです。

リノベーションされた建物内では「Living Sound」と「WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE」という2つの展示が開催されていました。
20世紀初頭の日本統治時代に日本人小学校として建てられた建築だそうです。

どちらの展示も共通したテーマに「音楽と暮らし」があり、ミュージシャンとアート作家のクロスメディアプロジェクトのようでした。

その中のあるプロジェクトに、真っ暗な部屋の中心におかれた模型の上を小さなライトボールが一つだけ移動していき、影がゆっくりと動くことで模型の見え方が変化していく。そしてわりと大音量で台湾ミュージシャンの音楽が流れている空間がありました。
(※写真は公式Facebookのもの。ゆっくりと動くライトの軌跡を写した画像)

なんの変哲もないこの空間で、突然涙があふれて止まらなくなる、という自分でもわけがわからない感情に襲われてしばらくうごけなくなりました。
味わったことのないその感情はなんなのか、衝撃とともに理由を追求したくて作品の意図を調べることに。

タイトル:"それは難しいです"
作者:Waa Wei + Feng Xiaoyue + Chen Jianyu X Luxury Langgong

Waa Weiの人生は近年、激変しました。彼女は家族、友人、ペットを次々と亡くしました。しかし、彼らは息子の誕生を迎えました。

芸術家グループであるLuxury Langgongは、「光」をメインテーマとし、死者を彷彿とさせるだけでなく、街の変貌における人々、もの、消失を感じ、人生の流れのイメージを表現しようとしています。

彼らは暗い部屋の中央に古い建築モデルを作り、キッチン、バス停、ホームウィンドウ、軒、街角、街路灯などをつくりました。街路灯は、時々夕焼けになり、「光」が移動するたびにさまざまな記憶が呼び起こされます。

なぜか台湾の記事はみつからず、香港のメディアサイトを翻訳してみると、作品には「死」が関連する「消失」が大きなテーマとなっていて、ゆっくりと動く小さなライトの「光」は人生の流れと小さな「希望」を表現していたことが汲みとれます。

作品の意図が理解できると、無機質な空間の中でさえダイレクトに感情が押しよせてくる作品力にあらためて驚かされます。
実際は、眠っていた記憶の扉が次々にこじあけられてしまったようなイメージ。
そのときにあふれた感情には名前をつけられるものではなかったけど、作品の意図を、素直に受けとれた感覚にうれしく思います。


そんな時、ちょうど目にしたサカナクション山口一郎さんのインタビュー。「僕らは音楽を作る時、作為性を持つ場合、すごく分かりやすく円グラフを作る」との言葉があり、音楽と感情の因果関係に納得させられました。

感情と感情の交ざり方みたいなものを音楽で作れたらいいなと思っています。喜怒哀楽以外の新しい感情を発明するのがテーマです。

今回はなぜだか、ある程度こなれたいつもの旅や東京での暮らしよりもずっと、感情のうごく旅でした。

また、Nサロンでは数分のワークでしか話したことのなかったメンバーと、異国の地で同じタクシーに乗ったりしているのがなんとも不思議な気持ちになったのもよい思い出。

そしてまた台湾が好きになったので、今回行けなかった「台南」には今秋にでもリベンジ予定です。

いただいたサポートで台湾カルチャーのZINEをつくります。