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卒業制作 -研究記録-

はじめに


こんにちは。
この度は多摩美術大学 統合デザイン学科 卒業・修了制作展2022にお越しいただき、ありがとうございます。
4年生のOKDとと申します。

今回、私は『  (題名なし)』という作品を制作しました。
この作品は、自分自身が苦しめられている「相貌失認」という認知障害についてフォーカスを当てて制作したものです。
展示では書き切ることのできなかった研究記録ををこちらに残していこうと思います。
長くなりますが、お時間があればぜひお読みください。

相貌失認とは?


相貌失認(別名:失顔症)とは、人物の顔を見てもそれが誰かわからず、もって個人の識別ができなくなる症状を指します。

私が相貌失認をはっきりと自覚し始めたのは、大学生2年生の頃でした。
その頃、私は接客業のアルバイトをしていました。
その店舗は迷惑な客も度々来店する為、私たちは一部の客の顔を覚える必要がありました。

覚えたはいいものの、どれだけ目を光らせてもその人たちは来店しません。
不思議に思いながら勤務していると、「ちょっと、さっきの人も今の人も迷惑客だよ、気をつけて」と忠告を受けました。

私はその客を完璧に覚えているつもりでした。
髪型、服装の系統や色まで記憶に残っています。
私が気が付けなかったその人は、私の記憶の中の像とは全く異なった人に見えました。
しかし、その人は紛れもなく先刻会った人と同一人物だと言うのです。

私は記憶力が良い自信がありました。
一度訪れた場所の地理や、他人の言動の一字一句、幼い頃の出来事を今でもはっきりと覚えています。
にもかかわらず、なぜか人の顔だけがずっと覚えられないのです。
これは明らかにおかしい…そこで知ったのが、相貌失認という症状でした。

学術的に見た相貌失認の仕組み


人間の脳には、物体の認識に特化した部位と、人間の顔の認識に特化した部位が存在します。
眼球から入ってきた情報が、顔認識の部位で「顔である」と判断された場合、不要な物体認識の部位の機能を抑制して処理を行います。

脳は認知を行う時に、無意識に情報の取捨選択を行います。
しかし、絶え間なく入ってくる情報を精査するのには時間が必要です。
人間がコミュニケーションを行う時、いちいちこの処理を行っていては時間がかかりすぎてしまいます。

そこで、人間には生まれつき判別を効率化するために「顔を認識する力」が強く備わっています。

相貌失認とは、顔認識の部位の障害によって起こるとされています。
前述の通り、正常な顔認識には物体認識の部位を抑制し、顔認識の部位を効率的に働かせる必要があります。
しかし、相貌失認の脳はこの二つのネットワークがうまく繋がっておらず、顔を顔と認識できていないと言われています。

制作していくためには、まず自分の中の認識をはっきりさせる必要がありました。顔が見えないと言っても、完全にわからないということではありません。
服装・髪型・アクセサリーの好み・仕草・口調など、その人を語る要素は多くあります。

しかし、それでもなぜ個々の判別に困ることがあるのでしょうか。
最初に、私の中で顔が「見える人」「見えない人」を分類し、特徴を調べていくことにしました。

「見える人」


私にとって見えやすい人とは、

  • 服装の好みが滅多に変化しない人

  • 声が特徴的な人

  • 身体的特徴がわかりやすい人

  • 集団の中で特徴が被る人が少ないこと

簡単に言えば、アニメキャラクターのように個性的な部分が突出している人は、高確率で見分けることができます。

人と会った時、例えば「この人は普段パンクな服を着てタメ語で話してくる背の高い人」など、頭の中で勝手にその人をキャラクターにして覚えています。
そして再会した時、脳内にその人の特徴と合致するキャラクターが一人しかいなかった場合、その人と断定できる…という思考です。

集団の中で目立ってわかりやすい特徴を持っているほど、判別の難易度が比較的下がっているように思えました。

「見えない人」


私にとって見えない人とは、

  • 集団の中に服装の好みや特徴が被っている人が存在する

  • 髪色や髪型が高頻度で変化する

  • 流行に敏感

ほとんどの人がここに当てはまるのではないでしょうか。
私の行う個人の識別は、その人の属する集団に大きく左右されます。
例えば、友人が制服を着て一人でいる状況と、多くの学生の中に紛れている状態では難易度が桁違いです。

また、流行に敏感な人ほど判別が難しくなっていると感じます。
近年、シンプルなTシャツにベストを合わせたコーディネートの方を見かる機会が多くなりましたよね。アルバイト先にも同じような格好をした友人が増え、誰だかわからなくなった思い出があります。

私にとって個人の違いとは、極端に言ってしまえば顔以外の外見です。
変えようと思えば簡単に変えられるものを手がかりに判別しているため、多くの人が「見えない」という状況です。

自分の認識の癖を知る

耳の悪さ

私は耳が悪い自覚があります。
ここで言う「耳の悪さ」とは難聴という意味ではなく、人の声の特徴を掴むことが苦手だということです。

特に声の聞き分けに苦しむことがあります。
例えば、アイドルの歌う楽曲ではメンバーそれぞれがパートを受け持って歌唱しています。
違う声同士が入れ違ったり重なっていることは理解できるのですが、個々の声が誰のものか判別することが苦手です。歌詞の歌割りを見ても全然覚えられない…という思いを何度したことか。

これと同じ状況が、日常生活でよく耳にする話し声でも起こります。
顔以外の判別手段が必要な状況で、声の差異の聞き取りの精度も信頼できないので、なおさら外見での判別に頼りっきりになっています。

言葉にして覚えてしまう癖が強い

顔を見る時、個々のパーツが見えていないということではありません。むしろ見えすぎているのかもしれません。
「あの人の目は大きい」「鼻が高い」といった感想は浮かびます。
具体的な言葉で表せているのに、どうしてわからないのか。

おそらく、言葉に変えて覚えてしまう力が強すぎるのではないかと考えています。
パーツを写真のように記憶することができていれば、次に会う時にも迷わずに判別できるはずです。

言葉にして覚えてしまう弊害は、該当者を絞り切ることができない点ではないでしょうか。
平坦な言葉に当てはめてしまえば、その特徴に当てはまってしまう人が複数人出てくることになります。

自分の中に作ったイメージとの差異に敏感すぎる

記憶の中や写真で見た相手と、今見ている相手を同じ人であると言える自信がありません。少しの違いを許容する想像力が足りていないのかもしれません。

私は今、とあるアイドルグループを応援しています。初めて見た時にとても印象に残るメンバーがいて、そこから興味を持つようになりました。
しかし、その人が一体誰だったのか、今でもわかっていません。グループ名も人数も間違ってはいないはずなのに、私が興味を持ったはずの人がいないのです。

どんな髪型だったのか、どんな仕草をしていたかは覚えているはずなのに、そのイメージと完全に一致する人間を選び抜くことができないのです。マジで誰だったんだ?…と今も思っています。

制作・執筆  中村勇吾プロジェクト 岡田璃香(OKD)

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