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日記

 日記だから好きなように書く。ネタバレ感想とかも書く。金原ひとみ先生のアタラクシアをまだよんでいないネタバレ嫌いな君は今すぐブラウザバックだ。昨日感想記事を書いた時はさすがに、「出版後一か月くらいしか経ってない書籍のネタバレ感想を投稿するのはさすがにためらわれるな」と良心がとがめたのだ。一晩寝てやっぱアタラクシアのこと考えすぎて頭がおかしくなりそうなので普通に感想を書こうと思う。ネタバレがコンテンツの面白さを損なうケースは少なく、むしろ理解の助けになるというデータも以前読んだから私はもうためらわないぞ。

 たまに課金でゾーニングしたらいいのか? とか思うこともあるけど日記だから。日記に値段つけるのはなんとなく気が引ける。五十円とか十五円とかできたらいいけどできないからね。そのうち一円~あなたのお気持ちで。っていう価格設定ができるようになったらしたいと思うけど今はしません。だからネタバレが苦手な人は自己回避してほしい。ごめんな。


それでアタラクシアだよ。感想ぐぐったらゲームの話題がヒットしまくる。そうか、アタラクシアというゲームもアタラクシアというキャラも実在しているのね……。みんなもっとアタラクシアを読んでアタラクシアを語らないか? 由依とか桂とか英美とか真奈美について語らないか????? さぁ読め、読むんだ……。

そろそろネタバレ項目を話しても大丈夫でしょうか。
以下ネタバレありのごくごく私的な感想です。


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六人の関係性を整理するとこんな感じ

      真奈美(友人、クライアント)
            |
 枝里(妹) ―      由依 ― 桂(夫)
            |
            瑛人 ― 英美
           (愛人) (瑛人の店のスタッフ)


 この六人をベースに出版社で働く人たちやアルファツイッタラーたちの人間模様が描かれるんだけど、真奈美と由依&瑛人は不倫中、英美は不倫夫を持つ妻、枝里はホストのセフレで、メンがヘラってパパ活&新しい恋を模索中、真由美はDV被害を受ける妻で英美は小学生の息子に暴力を振るっている。
 みんなが加害者で被害者だ。 
 
 六人が六人それぞれの苦しみを負っている。憎い相手に向けた不満が、隣にいる誰かに零れ落ちる。由依だけはそういうことをしない。それは一見、心安らかでとても素敵なことに思える。真奈美は由依に対する苛立ちをときどき隠し切れない。

 しかし物語の最後で明かされる経験を、由依の人生を左右する重要な経験を、作中由依はほとんど知覚しない。思い出さない。不満を認識しない。アタラクシアどころかそこは、荒涼とした不毛の地であることが明かされる。
 由依が愛しかけている相手にすら、由依の経験は共有されないのだ。由依がパリにモデルの仕事を求めて暮らしていた時代に、人を介して数回顔を合わせた程度の関係しかなかった由依と瑛人は、東日本大震災の直後、瑛人が日本で結婚し生活していた由依をパリに呼び寄せる形で再会する。
 幸福の絶頂のさなか、ふとどちらともなく不安になって、お互いの空白の機関の情報を埋め合わせている間でさえ、由依は自分の身にあったことを言葉にしない。それは意図的にしないのか、無自覚にしないのか、わからない。「」の外の声に出さない、外に伝わらない内声の部分でさえ、由依の中では桂と、その間に設けた子供のことはほとんど消し去られてしまっている。あの瞬間由依自身が、瑛人には話さない、と理性的に判断したのかもしれない。でもそれ以前に、由依はずっと何かを押し殺し続けている。

 痛みを知覚するから、痛みを踏みつける形で次のステップに踏み出した英美。彼女の選択が最悪に転ぶか順当に転がるかは誰にもわからない。それでも前に進むというのは過去の自分を踏みつけていく行為だ。

 由依に踏みつける土台はない。彼女はいつまでも淀みの中で留まり続けるのだろう。それを断ち切るのは桂の凶刃かもしれないし、小鳥のピアスなのかもしれない。ただ、あの物語のラストで由依の手の中に人生を転換させられるようなレバーは握られていないのだ。彼女のターンは回ってこない。ただ相手のゲームを眺め続けるしか、彼女に残された道はない。

 瑛人も由依も、人生の主導権を手放してそこにいると決めたのだろう。桂はまだゲームを諦めていない。そもそも与えられなかったものを妄想で補い続けてきた人生だ。桂は永遠に人生というゲームから下りられない。盤上に囚われた人と、盤から下りてしまった人、どちらが幸福なのだろう。私にはわからない。

 

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