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シュレーディンガーのワナビ

 何十万文字も小説を書き連ねるなんてきがふれかけてないとできない。私は気が触れかけているときに七十万文字くらいの小説を二本書いた。こわくてどこにも応募できなかった。というか当時Linuxでリベラオフィスを使って書いていたのでプリンタードライバーがなかった。

 小説を書くのは意外と簡単で、

①書く

②毎日続ける

③話に緩急をつける

④落ちをつける

 で書ける。嘘だと思ったらやってみてほしい。たぶん誰にでも書ける。しかしもんだいはそのメンタルである。「うおお傑作だ私は天才では???」「くそっ、こんなのごみおぶごみおぶごみだ、印刷するだけ資源の無駄だ」「うわーーーばかみたいにすらすら書けるぞ!!!」「―――――-まったくなにも書けん。苦痛だ、おれは一体なぜこんな苦行を?」「はーーーーーこんな文字列なんの意味もないし価値もない消そう」密室でこれを繰り返していると自分の判断能力に自信が持てなくなってくる。真剣に受診を考え始める。

 要は創作は疑似メンヘラ製造装置なのだ。私はときおり正気に戻っては病理の定義を求めてwikiのDSM-5のページを見た。ノッているときはいくらでも書ける気がするし、書けないときは自分の文章を見ただけで吐き気がする。書けると書けないが五分おきとか三十分おきにきたりするのでほんとうにきがふれているようなきがしてくる。

 そんな中カクヨムを見つけた。と言うのは以前にも書いた気がするので経緯は省くとして、私は永らく公募に応募する新人の作家さんたちの存在を信じられなかった。全員架空の存在で賞が決定した時点でこの世に固定されるのでは? つまりシュレーディンガーの作家……という妄想を半分本気で信じていた。でもカクヨムにはラノベの賞に応募している人はたくさんいた。落選結果を報告する人たちや進捗を告げる声であふれていた。麗しいナイチンゲール。

 でも憧れている純文系の公募勢は見つからない。悲しい。やはり存在していないのでは? ふたたびかまくびをもたげるもうそう。しかし。

 いたのである。公募に落ち続けている人の日記。というのを見つけたときに「ほほほほほんとうにいた」と思った。応募してる人いた! 更にカクヨムコンに明らかになんか毛色の違う作品を見つけてしまい「カクヨムコン落ちたらどうします、他の公募に出します?」「いやでも純文系の賞に送ってはエンタメっぽいと言われ、エンタメの賞に送っては純文っぽいと言われ……」ここにもいた! 心の中のめいちゃんが「ほんとにいたーーーーー!!!!!」と叫んだ。

 でなんだかんだ探すとみんな意外と進捗を報告しており、カクヨムコンで落ちた人が公募に突っ込んで突破したり、ひとりが赤信号を渡れば私もなんかいけるのでは? みたいな気持ちも沸いてきてなんかこっそりBFCの応募にプロアマ問わずと書いてあったので送ってみたりした。落ちたけど。でも以前の私はひねくれていたので「プロアマ問わず???実質のプロしか送ってはだめという意味ですかねいざ応募したら空気の読めないやつ扱いされて火あぶりとまではいかずともブラックリストにのって永久凍結状態になるのでは……。」とか思ってなんだかんだ出し渋っていたと思うので赤信号みんなで渡ればの気持ちは強い。

 でBFCを観戦していると参加者の人と交流が生まれたりして、一回戦の出場者はほんとうにデビュー未然と言うか作家未満の人だったのを知った。うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーいきている状態のねこをかんそくしてしまった! どどどどうしよう。重なりの! 状態で! せいそくふめいだったはずの未満のひとをみつけてしまってわたしの理論体系はふきとんだ。まぁそれは当たり前ですよね人間は実在しているし賞も賞金も出版社も実在している。あれは量子のせかいの話だ。あとなんでデビューしていないのか意味が分からないくらいみんな小説が上手かった。泣いた。小説を書く人は小説をよく読む人でもあり小説の話が弾んで嬉しすぎてしんだ。(まだしんでない。)

 あんまり嬉しいので私もちゃんと誰かに見てもらうためになんらかを書こうと思いました。今までは「読んでもらうとか恥ずかしくて無理」という謎の葛藤を抱えていた。それもカクヨムさんとnoteさんのおかげで徐々に慣れたので(タイプミスも文法の間違いも火あぶりになるほどの大罪ではなかった。間違えても別に死なない)もりもり書こうと思いました。まる。おわり。

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