ほんとうに好きすぎると愛憎入り混じって崇拝どころではないファン心理

 中学の頃、好きだった先輩が椎名林檎をやたら褒めていた。「無罪モラトリアム」はすごい! 天才だ!
 私はこっそりCDショップで無罪モラトリアムを買い求めた。先輩が褒めるものを聞いてみたかったからだ。

 先輩は才能豊かで面白い人だった。ユーモラスでユニークだった。人を笑わせることが得意で、ときたまぎょっとするようなブラックユーモアを口にしたり、それに凍り付く周囲の空気すら、大きな体を揺らして鷹揚にジョークにしてしまう不思議な人だった。私はひそかに先輩が好きだった。

 丸の内サディスティックを聴いたときに衝撃が走った。
「これが音楽……」
 それまで家の中には宇多田ヒカルと松任谷由美とゲームやアニメのサウンドトラックしか存在していなかった。一番好きだった曲は忍者戦隊カクレンジャーのオープニングソングだった。

 これが音楽か。

 音楽なんだと思った。
 私が今まで聞いていたものはCMソングであり宣伝商材でありゲーム演出のための背景だった。

 歌詞が楽器と溶け込んで一体になる。サビやフックは単に特定の単語を脳に刷り込ませるためだけにあるわけじゃなかった。伝えたいメッセージを刷り込むためだけのものでもなかった。ただ音楽の一部だった。
 声を楽器の一部に溶け込ませる歌い方。押しつけがましいメッセージも何もない。それはただ心の叫びだった。日々の日記だった。そのような歌詞がテクニカルに楽譜に込められた、美しい歌だった。
 びっくりして、感動して、それ以来ずっと椎名林檎さんの音楽を買い集めた。

 でも同時にパブリックな場での林檎さんの発言が私は苦手だった。「女ですから」自嘲気味にも諦めているようにも聞こえる。あるいは産んで育てることへの執着。ときどきは高等教育を受けていない自分へのコンプレックスや戒めが透けて見えることもあった。
 才能豊かな女性が必要以上に卑屈になる様子は見ていて辛かった。だから動画で彼女のインタビューを見るのは避けていた。

 彼女がいなければ私はこんなにたくさんの音楽を聴かなかったし、音楽に希望を見出すこともなかった。ジャニスイアンも知らないままだったし、女性であることを受け入れることもできなかったかもしれない。そのことが否定されるみたいで辛かった。

 でも明らかに林檎さんが変わっていった。パーソナルな歌を歌う人だったのが、KSK辺りで社会と繋がった感じがした。へその緒のような頼りないつながりはやがて、外に広がり彼女の歌が社会自体を抱擁するようになった。
 それは林檎さんの言うように産み育てる女の仕業がそうさせたのかもしれない。でもそれだけじゃないと思う。仕事上やプライベートでの摩擦や悲しみ、苦しみが曲になって昇華されて、花開いていった。私にはそう見えた。

 東京事変のスポーツ以降の林檎さんのはじけっぷりがまぶしい。以前よりも堂々と自分の立場を受け入れられているように感じる。はじめは「私がこんなとこんなところに立つなんて」という感じだった。
 「嫌われておいでよ!」余興の歌詞は清々しい。最近の林檎さんの作詞には覚悟とか肚を決めた、という言葉がふさわしい。
 祭り上げられることへの不安や拒否感、歌手引退は実質、椎名林檎という歌手が突き付けた業界へのNOサインだったのだと思う。

 でも彼女は戻ってきた。はじめは戸惑いと不安を抱えて。そこに私の居場所があるのかどうか、わからない、歌っていていいのだろうか、そういう風に見えた。
 それがやがて、自らのキャリアへの肯定、覚悟に繋がっていったように見える。「〇地点から」は永らく沈黙を続けていた私生活の歌だと思った。おそらくブランドイメージのために彼女は私生活を犠牲にしていたのではないだろうか。官能的なイメージを持続するために母親らしさを封印していたような気すらする。「夢をかなえたとして あなたは生きてく」夢のその先の世界を、初めて私たちに提示してくれたのがこの曲だと思うのだ。

 誰も立てない孤独の果てに、今も彼女はたたずんでいて、こっちへおいでと振り返っている。

 その背中を見ながら今日も私は、生きています。

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