努力は人に見せるものではない

これは高校生の頃からずっと意識してきたことである。

自分の頑張りや努力を他人に誇示するかの如く、自分がどれくらい大変なのかをアピールする人。

これは承認欲求の一種だろうか、これまで実に多くの人が自分の頑張りを話してくれた。

だがそれは逆に自分自身がそれを成すだけの能力がないことをアピールしているという事実に気付いていないということ。

高校球児だった自分は、プレーが上手い人ほど人の見ていないところで練習を積み重ねていることを知っていた。

最後の夏、一番自分が頑張ってるんだぜ感をアピールする不真面目なやつ2人が大事な場面で起用され結果を出すという、この世の矛盾と理不尽さを肌で感じたのも事実だったりする。

それが誤りであることを証明すべくその後の人生ではそういった個々の頑張りや、その結果の是非をこっそり分析してきた。

まず第一に、一般人というのはほぼ皆サラリーマン。口を開けば仕事の愚痴や自分がいかに理不尽な職場環境の中で頑張っているかを酒の肴にする。

相手が同じコンフォートゾーンの類であれば、それは心地良い会話になるのだろうが、自分でビジネスをしている人にとってはいかに無駄な時間であるかは言うまでもない

つづく

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