見出し画像

米津玄師の「Lemon」が頭から離れない。

米津玄師の「Lemon」が頭から離れない。
多分「ゴーゴー幽霊船」が投稿された時も、「アイネクライネ」の時も、「アンビリーバーズ」の時も同じことを言ってる。

おれは昔から昆虫が好きで、特に蝶やカブト虫が好きだった。いわゆる完全変態というやつで、幼虫からさなぎを経て、成虫になる虫が好きだった。
丸々とした幼虫がなんだかぶよぶよとした薄皮をまとったかと思えば、ある日その皮を破いて幼虫のときとは似ても似つかない見事な姿で羽を伸ばす映像を見て心を奪われた。
ただこのさなぎという姿が曲者で、ひっそりと誰にも見つからないところでじっとしているため、結局自分で目にする機会は数えるくらいでいい大人といえる年齢になってしまった。
今、久々にあの頃の気持ちに戻っている。

「Bremen」をリリースしたころから米津玄師はポップミュージックを明確に意識した楽曲を作るようになった気がする。
「打上花火」なんて中田ヤスタカの「NANIMONO」の流れでボーカルとしてフューチャーされただけと思ったらしっかり作曲までしていて衝撃だった。歌詞も曲構成も、おれはコード進行とか音楽理論とか専門知識は全然ないが、少なくとも音楽からこれまでからの変化を読み取ることはできる。
ここで「ハチ時代からの米津玄師ファン」がもう何の意味もない肩書に思えるほどに彼が多くの人に受け入れられていることに気づいたのだ。

「diorama」でガチャガチャしていたものが、「YANKEE」で凄い勢いで再構築されて、「Bremen」でひとつのかたちとなり、「BOOTLEG」でより強固な塊となった。
最初は何だかよくわからない生き物だったが、みるみる成長し、さなぎとなって羽化の予兆が表れ始める。今の米津玄師はさなぎから羽化する寸前の蝶だ。「Lemon」はまさしく羽化する予兆に感じる。

おれが米津玄師を好きな理由は、ただキャッチ—な楽曲で踊れるとか、歌詞に共感できるとかだけではない。
あの時代の異常性を知っているからだ。ただ時間だけを持て余し、しかし人生で最も多感な時期に、もしかすれば日の目を見なかったであろう音楽を浴びるほど聴き続けたあの時期を、おれは一生忘れないし、今後再び経験することは叶わないだろう。
あれが「一番良い時代だった」とは言わない。おれは今この時がおれの人生で一番いい時代だと思ってるし、もし過去に懐古すればこれからの人生は何も楽しいことは生まれないと信じている。
ただ米津玄師にはあの頃の熱量が確かに息づいているし、それだけで彼を追いかける最大の理由になる。

ずいぶん遠くまで来たが、まだどこにもたどり着けていない。多分どこかに定住する気はないだろう。
おれは既に箱庭から外に這い出し、広大な砂漠に足を踏み出した後だからだ。

ここは記事下のサポートエリア!わたしをサポートしたいと思ったそんなあなたに、わたしのamazonほしいものリスト! https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1XCLS13WI5P8R?ref_=wl_share