【読書メモ】『仕事なんか生きがいにするな』泉谷閑示 著

センセーショナルなタイトルだが、中身は非常に哲学的で実直な本。

マズローの欲求段階説に当てはまらない人々は昔からいた

日本の高等遊民(今風にいう高学歴ニート)の例を出して、「たとえ食いっぱぐれても、生きる意味を問わざるを得ない」人たちはいたという話が興味深かった。

マズローの欲求段階説では、下の欲求が満たされない限り、高度な「自己実現」などの欲求は発生しないかのように言われているが、必ずしも現実はそうではない、という話だ。

これは、筆者が診てきた現代の「生きる意味を見いだせないと嘆く患者」に通じるという。

「生きる意味が見いだせない」に対して通り一遍の「そんな事を言っていないで仕事をしろ」「暇や余裕があるから言っていられるのだ」というお説教や、とりあえずその場を凌ぐ薬を処方されたって、たしかに答えが出るわけではない。とてもよくわかる。

この部分だけでも、読んで良かったと思った。
「とりあえず働こうよ(=社会の枠にはまろうよ)」と言われて、思わず「仕事って、生きるって、そういうものだっけ?」と思ってしまった私は間違っていなかったのだ、と。

フロイトやアドラーが論を唱えた時代と、人々の意識が変化してきていて、中年期の「生きる意義とは?」という課題が、今や青年期や早い人では10代前半にまで降りてきているのに、そこに気づかないまま社会に適応できてしまう人と、悩む人が混在しているから心を病んでしまう人がなかなか元気を取り戻せないのだという話が印象深い。
(『夜と霧』のフランクルの言葉を引用して説明している)

ただ、その解消および「生まれ直し」のためには同じような経験をしたことがある人が丁寧にその悩みと向き合うことが大事だとあるが、現代、とりわけ日本においてその機会を得るのは難しいのではないかと思った。

「悟った人」に出会うためには「怪しげな自己開発セミナー」かどうかを見極める必要があるし、民間のカウンセリングはえてして高額だ。かといって行政がやっているメンタルヘルス対策は十分だとはいい難い。
(高額なのがいけないということではなく、受けたほうがいいのに機会が得られないのは問題だと言う話)

そもそも、生きる意味を見失った人にはそこまでの覇気がないことだって多い。

(それでも、noteやTwitter、ブログなど、ほそぼそとでもいいので悩みを持つ人や解脱した人と繋がれるぶんそういったマシになってきているとは思う)

「労働」は輸入された宗教だった

もともと「労働」というのは西欧のキリスト教圏から、宗教的な側面と結びついて、資本主義とともに輸入された概念だという。

しかも、大本を正せば、欧州ははるか昔、ギリシャの時代には、「人間を人間たらしめる行為」である一方で、労働に束縛されることは家畜のような動物的レベルであるとして地位の低い行為とされていたらしい。

これにはおかしいと気づいた者が警鐘を鳴らした例も併せて出されていた。

例の中で私が好きなのは以下の2つ。

・ポール・ラファルグ『怠ける権利』

・ミヒャエル・エンデ『エンデのメモ箱』「芸術界の天才志望者への助言」

ポール・ラファルグの「資本教」というパロディは皮肉が効いていて最高だし、ミヒャエル・エンデのほうは、本来は「内的なものの発露」であったはずの「芸術」がいかに商業主義とくっついて「商業芸術」と化しているかを揶揄していて面白い。

私が大嫌いなものを、偉大な先人がまさに明確に言い当ててくれているのだ。それに出会えたのは大きかった。

現代人の持病「有意義病」

著者によれば、現代人は役に立たないものに「飢えている」とのことだ。
「生きる意義」などもここに含まれるという。

でも「飢え」の正体に気づいている人ばかりではないから、「わかりやすいもの」「役に立つもの」「価値を生むもの」をより追い求めるというまったく矛盾した競争が起こっているのが現代社会なのだ。

これは非常に的を得た指摘だと思う。

好きなことを書いてブログで儲ける!とか、文章を書くのが好きだからライターに!みたいな話は最近よくあるが、
「好きなことを生業にしようと思ったら、いまある商業や経済の枠に入れ込むだけが選択肢なのか?」と疑っていた自分には、人々の「飢え」の中身を理解しないまま暴走していく資本主義社会の様相、という説明はとてもしっくりきた。

「天職」を求めて、他でもない「今の自分」を否定している私達

中盤の章ではまた、天職や職探しについても、ラース・スヴェンセンという人の著書を引用してグッサリ刺さる考察がなされている。

このように、「真の自己」が己の内でなく外に想定され、そしてそれがすでに社会に用意されている「仕事」とのマッチングによって実現するはずだ、という考え方は、確かに人々を終わりなき「自分探し」、すなわち終わりなき「仕事探し」という迷路に追い込んでしまうものである。それが問題だという指摘なのです。
(中略)
しかし、世の中で用意されている「仕事」の多くが、「労働」と呼ばざるを得ないような、手応えの少なく断片化されたものになってしまっている今日、私たちは既存の選択肢の中だけでキリのない「職探し」に迷い込んではいけないだろうと思います。
(P117~P118より)

これに続いて語られた「労働の奴隷に汲々とせず生き方を自分で編み出す」というフレーズは、「フルサトを作る」という本で触れられていた内容でも重複するところだし、やはり行き着くところはそこか、という腹落ち感があった。

最後まで読んでくれてありがとうございます。 役に立った、面白かったらサポートを頂けるとと嬉しいです。 今後の更新のための本代などに使わせていただきます。