ブログを外部記憶媒体として使っている自分と、ビジネス「ブロガー」の相容れなさ
誰かを責めるっていうより、書き手としての自己葛藤のおはなし。
外部記憶媒体としてのブログ
私はこのnoteを含めて、いくつかブログをつくって書いている。
これらは、いつか記憶喪失になったりしたときに、これを見れば自分がどんな人間だったか、何を考えていたのか思い出せるように書いている部分がある。
対外的にに見れば、自分と全く同じ状況に置かれた人がもし居たとしたら?という側面もあるのだが、基本的には「自分が遺しておきたいメモ」の色合いが強い。
PCの買い替えをしたことがある人はわかると思うが、内蔵ハードディスクに保存されている情報はパソコンを買い替えてその内蔵ハードディスクを処分してしまうとなくなってしまう。
そのためあらかじめ大事なデータはUSBメモリや外付けハードディスク、クラウドストレージに保存したりするだろう。あれと同じ感覚だ。
記憶喪失なんてあるかもわからないけれど、そういう「外部記憶媒体」として、せっせと何かしら書くことを見つけてはページを増やしている。私にとってブログ執筆は趣味というより人生のバックアップ作業なのだ。
(もちろんビジネス目的の記事を書いたことがないわけではないが、noteや趣味ログ用ブログも含めれば圧倒的に記録用記事のほうが多い)
ブログを書く人というのにはいくつか種類があって、インターネット黎明期にはこういった「趣味の延長で自分用のメモを残す」使い方をしている人のほうが圧倒的に多かったように記憶している。
今は、アフィリエイトやGoogleアドセンスによる収益化の流れもあって、はじめから「ビジネス」としてブログを開設する人も少なくない。
お金を稼ぐ手段としてのブログに「個人」「個性」は要らない
タレント系の売り方をするのでもなければ、アクセス数=正義の世界でアーティスト的な個性は不要となる。
検索層をターゲットとする世界では執筆者の個人的な事情や内面なんかどうでもいいのだ。
彼らの役に立つ情報を提供できなければ、アクセスされない。アクセスされたとしても必要なものでなければすぐにページは閉じられてしまう。収益にもつながらない。
それはまるで、あくまでクライアントありきでものを作るデザインと、どちらかと言えば作家の個性が重視される芸術の対比のようでもある。
そして、「外部記憶媒体」的な使い方のブログは得てして「個人のどうでもいい趣味の話」になりがちだ。
中には人々の需要にヒットする記事もあり、そういうときはアクセス数が稼げたりなどするけれど、狙って売ったビジネスショットじゃないので何度も起きるわけではない。
「外部記憶媒体」にも意味はあると思いたい
ビジネスでやっているブロガー達を悩ませるGoogleの検索アルゴリズムは都度都度アップデートされる。
恣意的だったりポンコツだったりする部分もあるが、おおむね最近は「ほんとうの意味で見る側にとって良いコンテンツ」が上位に来るよう工夫されてきているのではないかという感がある。
と思うのも、見た目がしっかりしていなくても、中身のしっかりした「個人の覚書」が上位表示されるようになってきたな、と感じるようになってきたからだ。
ビジネスのために記事を書くのが悪いとは言わないが、いつだって熱量のあるコンテンツは「儲け第一主義」とは縁遠いところから生まれるものだ。
だから、「外部記憶媒体」として書かれたブログにも意味はある。私はそう思いたい。
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