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映画『キャッツ』の演出的不満点

◼️はじめに

筆者は劇団四季版のキャッツ大好き人間。
なので、前評判の不穏さに怯えつつも「舞台特有の演出をどう映画に翻訳するか」という目線で観に行ったんだけど、上手く補完してくれて嬉しい部分と、ここはそうじゃねーだろーー!って部分があったので、順番に書き留めていきます。


※当然ながらネタバレ
※具体的な曲名やシーンに言及しますので、ある程度楽曲を知っているひと、できればブロードウェイでも四季版でもいいから舞台鑑賞済みの人向けです。


◼️そもそも論:ミュージカル映画の演出として

顔のアップが多すぎ問題

・例えば【メモリー】での「美しく去った過ぎし日を思う」という歌詞
この時に写して欲しいのはグリザベラの顔のアップではなく、かつてのグリザが描かれたボロボロになった古いポスターとか、すっかり廃れたショー劇場の壊れたピアノとか、そういう昔の栄光を忍ばせるアイテムなんだよ。あとはショーウィンドウに一瞬映るかつての若く美しい自分…(手を伸ばすと消える)みたいな。ベタだけど。

舞台でこれやると説明的でくどくなるけど、映画は小物や背景を沢山つかえるんだから!! 
映画でもこういう説明くさい(PVくさい)演出を嫌う人多いと思うけど、少なくとも『CATS』に関しては「歌詞と映像をリンクさせてわかりやすくする」度合いをディズニー映画くらいまで説明的にして良いと思うんだよ。

(個人的に『CATS』の曲目はを映像表現にするなら、ディズニーでいうと【Be our guest】とか【フレンド・ライク・ミー】みたいな誇張されたテイストが合うと思う派)

・逆にタガー、マンゴ&ランペ、スキンブル曲あたりの演出は好き。
歌詞が「引き出しが荒らされて〜」と歌ってたら実際に豪華な引き出しを荒らして欲しいし、「個室の特別寝台は〜」と歌いながら実際の列車の中を練り歩くのは見ててわくわくする。
舞台で同じことやろうとすると大道具コストが大きいから、映画でこそこうして欲しい。
ホールから駅への謎ワープとか、突然出てくる階段とかもミュージカル映画なら全然許される演出じゃん!

・マキャヴィティ曲はショーをそのまま見てるみたいで楽しかったけど、楽曲アレンジもあいまって割とパーリナイ↑↑な演出だったので、終始怪しく暗い雰囲気の方が好みかな〜

ちなみに顔のアップ問題を踏まえて『レ・ミゼラブル』(2012)見直したら、ファンテーヌやジャベールのソロも顔アップ多用だったので、トム・フーパー監督の癖なのかも。


普通の人間が主役ならそういう歌ってる最中の表情演技はハマるとおもうけど、今回は不気味猫CGも手伝って顔アップ向かない映画なんじゃないかなと思います。

なお、【猫からのごあいさつ】の最後のカメラ目線は蛇足だったんじゃないかなと思うわ。あれは確かに観客に語りかける歌だけど、舞台だから許されるのであって。【ネーミング・オブ・キャッツ】みたいに、観客ではなくヴィクトリアに対する語りかけに演出し直して違和感なくすんじゃだめだったんか。


◼️「音ハメ」の話

これはどちらかというと振り付けとか絵コンテ方面の話なんだけど、「この音が鳴る時にはこういう動きが欲しい」みたいなダンス方面の解釈があわねぇ。

具体的にいうとオープニングの【オーヴァチュア】。
グロッケンの音で不可思議に始まる曲が、サビに差し掛かる時にバッと音量も盛り上がるんだけど(動画だと1:11あたり)、映画版の映像がその盛り上がりにハマってない。

ちなみにここ、四季版舞台だと真っ暗で始まって、音の盛り上がりに合わせて一斉に客席通路のあちこちで猫の目が光るんすよ。観客を強制的に『CATS』の世界に引き摺り込む、そういう《掴み》が今回の映画版はイマイチ弱い。

映画だとヴィクトリアが袋ごと捨てられて、その周りにジェリクルが集まってきて、せっかくの曲の山も「袋を取り去る」っていう少し地味なアクションなので、音圧の勢いと合わない気がするんだよな〜〜。
(同様に宝石が引っかかって逃げ遅れたヴィクトリアをミストが助けに来る時にかかる唐突な【ジェリクルボール】のサビも違和感あった)

舞台では音楽の動きと、肉体的な動き、照明等の演出の動きがあるけど、映画ではそこに「カメラの動き」が加わるから……
やはりもう少しアニメ映画的な派手さ・わかりやすさが欲しかった…


◼️照明、画面の色彩設定の解釈が合わない問題

上の音ハメとも共通するところなんだけど、曲ごとの雰囲気の切り替えというか、画面全体の色彩のトーンが合ってない曲がいくつかある。

また【メモリー】を例にとりますが、背景でずっと点灯してるネオンのピンクやブルーの反射光が演出上大変邪魔。

いや、タガー曲の時とかは良かったですよチカチカのネオン。
でも【メモリー】はさあ!暗い夜道に寂しくオレンジの該当、もしくは青白くて冷たい月明かり、そういう色合いが欲しいんだよ。

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(※画像は私の中での【メモリー】イメージです)


さらに言うと【天上への旅】!! ここはもう教会的な神々しい雰囲気が合うと思うんだけど、その時もキャラクターの顔にピンクの光が差しっぱなしなのが惜しいんだよ〜〜!!! 白~金色系の天国感を出してくれ~~!!
『レミゼ』の時はあんなに神々しく天国への門をくぐらせたじゃないか~!

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(※画像は私の中での【天上】イメージです)


そりゃ歌ってる場所はほぼずっと一緒だからネオンの光届くかもしれないけど、せっかくミュージカル映画なんだから曲に応じて電気消そ!? もしくは照明の色変えよう!? ていうかいっそ場所は心象風景にワープしてもよくない?

とはいえ、全曲だめってわけじゃなくて、例えば【ネーミング・オブ・キャッツ】とかは墓地に青白い月光が差す画面で、不気味と神秘のバランスの取り方がよかったと思う。


◼️その他散々言われてる”不気味さ”に関して

結局私もCGには最後まで慣れなかったんだけど、より正確に言うと「猫による」。オールデュトロミー、ガス、ミストフェリーズあたりの、ケモノスーツの上に服を着てるタイプだとアニメで擬人化された猫みたいでまだ見れる。
残りのキャットスーツ状態の猫たちは、人間のボディラインが出過ぎてやっぱりちょっと気持ち悪いなというのと、群舞になった時に個性が消えるというデカすぎるデメリットが・・・

ダンスシーンでの肉体美や筋肉の動き、息使いを見せたかったのかもしれないけど、そういう「生っぽさ」も散々言われてる不気味さに繋がっちゃったんじゃねーかなーーとは思います。


◼️結局、人間に寄せるのか猫に寄せるのかの線引きが中途半端だったのでは?

キャッツは「猫の生き方」といいつつ、結局は色んな人間の生き方(自由気ままに生きるか、昔を偲びつつ老いるか、悪いことしても楽しく生きるかetc)を考えさせるタイプの演目だと思うんですよ。
彼らが持つ願望や欲望、孤独や喜怒哀楽は、見ている我々人間の感性そのものじゃないですか。

なので、出てくる小道具も人間の感性で「素敵なもの」「気持ち悪いもの」に統一した方が良かったんじゃないかな〜〜
具体的に言うと、【ジェニエニドッツ】曲のネズミ&ゴキブリと、【バストファジョーンズ】曲でのご馳走がゴミ漁りになってるあたりがすごく半端。
(そりゃ猫にとっては立派なだろうし、猫にとってはさして気持ち悪いものではないだろうけど……「おえっ」となるんだよな〜)

それ普通に人間目線で豪華なディナーの小道具とかじゃだめだった???
だって【マンゴジェリーとランペルティーザ】のときは普通に人間の家のディナーだったじゃん??

あとネズミとゴキブリは普通にリアルネズミじゃあかんかった???そこまで人間CGでやる必要性………

このへんの「気持ち悪さ」は、例えば全編通してティム・バートン的なセンス・色彩に全振りしてしまえば、ゴキブリonケーキの部分も狂気として流せたかもしれん。狂気には違いないけど。
(見ながら『チャーリーとチョコレート工場』(2005)あたりのセンスを思い出した)



◼️その他舞台贔屓の戯言


・グリザベラの設定が娼婦ではなく、"落ちぶれたスター"になってるんだけど、これはまあ許容範囲かな。色々配慮の結果なのかもとは思う。
でも彼女が娼婦であることにこそ、周りの猫の蔑みと「ケガレ」的な感覚が効いてくるので難しい。

しかも最大の山場であるメモリーの大サビ、
「Touch me, its so easy to leave me (お願い 私に触って)」
の歌詞は、やはり彼女が娼婦役だからこそ重く、切実に響く気もするので。

・マンカストラップの声、もう少し低めで朗々と響く声質の方が好み。(これは好みの問題なのでこれ以上は特に無い)

・グロールタイガーがガスの劇中劇じゃなくなって、ただのマキャヴィティの手下になっちゃったのは残念だけど、尺を考えるとやむなしか。(でもそれならマキャヴィティの歌で「どうでしょう?マンゴジェリー、ランペルティーザ、グリドルボーン」の歌詞からグリドル消しとこうよ〜、知らない人にとってはノイズだよ〜〜)

・ミストフェリーズの曲がダンスメインではなくて、マジックを成功させるという精神的葛藤の描写になっていたのもちょっと残念。舞台版ではとにかくアクロバットなダンスが見せ場になる曲なので、映画でミスト可愛いな〜と思った人は是非舞台版の彼を見てほしい。


というわけで、つらつらと不満を書き連ねましたが、「0〜5点だとタマネギ」というより「ちょいちょい惜しい」というのが総合感想です。

媒体が変わるということは、伝え方の向き不向きも変わるということなので、舞台の良さを残しつつ映画ならではの演出を見たかった…。
(大好きな小説がコミカライズされたが吹き出しが台詞でぎっちりみたいな残念さというか)


とりあえず、どこかで四季のチケット取ろうと思います。

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