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私のリカバリーストーリー「発症」

発症

みなさんいかがお過ごしですか。
私のリカバリーストーリーのお時間です。

今回は、発症までの話をしようかと思っています。
では早速。

最初の発症は、31歳の時です。
高校卒業して、地元企業に就職。
ただ、卒業と同時に母に癌が見つかり、
看病と仕事、さらに弟の世話と
高校卒業したての遊びたい下がりの男の子には少々きつい環境の中、
生活していました。

母が生きているうちは、
周りにサポートしてくれる母の友人がたくさん居ました。
色んなサポートをしてもらいました。
生活保護、借金問題、衣食住に関すること、
本当にたくさんの人がサポートしてくださり、
生きていく事ができました。

しかし、母が亡くなると、
サポートがなくなりました。

なぜか?

それは、私が感謝の心を忘れてめんどくさがり、
お世話になった方々との関係を絶って行ってしまったことにあります。

全て自業自得です。

弟はなんとか高校を卒業させる事が出来ました。

ですが、そこから
私の人生、急転直下、悪い方悪い方に行ってしまいます。

まずは、勤めていた会社の上司が変わったこと。
この上司は私が高校を卒業するときに
一緒に働かないかと誘ってくれた上司でした。
その上司が退職して環境が一変します。
何をするにしても相談していた上司でしたので、
その上司がいなくなった途端、
私は一人で物事を決めるようになりました。
お金、衣食住、仕事
ありとあらゆることで、歯止めがなくなり、
やりたい放題になりました。

全ては、私の慢心が招いた事ですが。

お金にルーズになります。
仕事が疎かになります。
食生活が荒んでいきます。
家に帰らなくなります。

そうして、やがて借金が膨らんでどうしようもなくなりました。

逃げるように会社を辞め、
借金取りを常に怯える生活の幕開けでした。

とりあえず、工場の季節工で働きます。
が、3ヶ月で退職。
借金はそのまま、ひっそり生活するも、
そんな生活はいつまでもできるはずもなく、
親戚の家に逃亡。

その時、持っていた家の売却に成功。
当時抱えていた借金は完済する事ができました。
もう一度、出直しだと思い、
親戚の家を出て、型枠大工として働きはじめました。

それから約10年ほどは、
職人としてしっかり働けていましたが、
しかし、病魔はすぐそこまで迫っていました。

縁あって29歳の時に1回目の結婚をして、
すぐに長男も授かり、
順風満帆と思いながら生活していました。

当時の私は、職人として一人で現場を回せるほどまでになっていました。
毎日現場を回すべく満身創痍になりながら一生懸命働き、
職人、父親、夫の3役をこなしていました。

しかし、いつしか限界がきます。

まず変わったのが性格。
怒りっぽくなり、常にイライラし、常に尖って物事を処理していたので、
仲間が離れていく結果になりました。
そして、眠れなくなります。
睡眠時間は変わりませんでしたが、
常に眠気を感じていました。
そして、集中力がなくなります。
仕事、生活する上でミスが増えます。

この時の私は、一人で物事を考える癖がついていました。
妻にも言えず、弟にも言えず、上司にも言えず、
全ての出来事を一人でなんとかしようと考えて行動していました。
ですが、こんな事仙人でもなければできるはずがありません。
段々と、何も判断することもできなくなります。

そして、とうとう普段の生活すらままならなくなりました。

ここまできて、私は病気になったのではないか?
と思うようになりました。

そして、病院へ。

結果、うつ病。と診断されました。

診断を聞いてホッとしたことを覚えています。
しかし、ここからの人生はメチャクチャです。

長くなりそうなので、今回はこの辺で。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

また、書きます。
応援よろしくお願いします。


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