・物について考える2~変に潔癖症編【本当になおしたい個性】



 
前回同様、物について書きたい。
物質に囚われがちな、いなせな男であるカルダモン
 
実は、物に囚われすぎる?故に、好き過ぎる故に、愛が偏ってしまいがちなのだ。

と言うか、実は瞑想が良いとか偉そうに言っておきながら
先天的?に病的に変な所が厳しくて、悩みに悩んでいることがあるので、良い機会だ。
ここにカミングアウトしたい。
 
あれは、物心つき始めた保育園の頃。その歳の男の子が絶対に好きになる1位トミカ。
もちろん僕も大好きで、行くところ行くところに、折りたたみのマップに立体駐車場を持ち歩くくらいの男の子だった。

将来の夢は車になることくらいのレベルで、実はこの頃から、好きな物に対して傷がつくことを本当に嫌っていた。
 
トミカの塗装がはげる、車輪が曲がる、扉の開閉のネジが緩い等などで、マイケルジャクソンよろしく、下に落ちた物は拾わないみたいに、傷がついた物はもう遊びたくなくなるくらいの精神になっていた。
 
それが、大人になってもなおらず、好きな物が汚れるほつれること、傷つくことを心から嫌っていた。こだわりがある物や好きな物だけが潔癖症のようになっていたのだ。
けれどもこれがほんとうにやっかいで、何度も何度も直そうとしてきたのだが、難しくて
しかも、こだわりが強いものが必ずしも全部が潔癖ではないというのもタチの悪さを助長している。
 
そんな中、自分の中のメシアが現れた。
デザイナーの鈴木大器さんのこの記事だ


いつの間にか自分と物との主従関係が逆転していたし、変にありがたがっていたのだ。
 
今までの僕は物に対して、実は本当に自分の物になっていなかったのではないか?
そう考えさせられた。
そして、本当に物を愛していなかったのではないかとすら思える。
 
自分の未熟さを痛感しつつ、本当に心から腹の底から納得した物にお金を使おうと強く強く思った。
いつか、この鈴木さんに会って感じてみたい。
新たな夢が出来た瞬間でもあった。


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