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音楽を愛する子供を育てよう

毎日、耳を塞ぎたいそして目を覆いたくなるような事件が新聞テレビで公開されている。特に青少年に関しては私の想像を超える事例が増えてきている。私は事件に関係した子供たちのことを考える。この子たちは自分で楽しめるようなまたは没頭できるような趣味や関心を持っていなかったのだろうかと。
音楽は子ども達の情緒面に関し大きな影響を与えるもののひとつである。快い音のメロディーは成長期の脳にとって癒しとなり、軽快なリズム音は刺激となる。音楽を愛することによってゆとりの感覚が身に付き、自分を楽しませ、ひいては自分に対する思いやりの感覚が生じてくる。そしてその流れは他人との楽しみも共有することになり、他人に対する思いやりの重要な要素となる。このことが子供たちに関する犯罪環境の抑制にも通じる。
私事に至って申し訳ないが「趣味はなんですか?」よく聞かれる。私は即座に「音楽を聴くことです。」「どんな音楽が好きですか?」「北島三郎からベートーベンまでなんでも好きです。」と答える。人にはそれぞれ好みがあるが、私の場合、浪曲、歌謡曲、ポピュラー、スタンダード、ロック、ジャズ、ラテン、シャンソン、カンツオーネ、ウエスタン、ファド、ハワイアン、クラシック等何でもござれ、いいものはいいというのが私の主義。しかしながら、最近は老化現象の一つであろうか、奥行きの深いクラシックに傾いている。音響環境の整ったサントリーホールのような一流コンサートホールでクラシックを聴くことは私の生き甲斐の一つである。
演奏前のオーケストラ団員はチューニング(楽器の音階の調節)を終え指揮者の登場を待つが、この待つ間(あいだ)の間(ま)が何とも言えないのである。自分の心臓拍動が聞こえるような静寂。快い興奮と期待。指揮者登場、万雷の拍手。サッと消える拍手。指揮棒(指揮者自らの手のこともあり)が上がり、七色の音の泉がコンコンと湧き溢れる。ある時は強烈に、ある時は沈黙に近い音の交差に小生の身体は至福のアドレナリンで充満するのである。水彩画や油絵のように現れては消え、消えてはまた現れる音の連続。ああ、なんという世界だ。
私は高校生活の3年間を沖縄で過ごした。当時、沖縄は米国の統治下にあり、本土との行き来にはパスポートが要求された時代であった。コンサートホールは全く無く、生のオーケストラ演奏を聴く機会も殆ど無く、専らレコードで音楽を鑑賞するのみ。初めて生のオーケストラを耳にしたのは、私が高校2年生の時である。夢にまで見たあのNHK交響楽団が沖縄に初めて来島。指揮者は当時新進気鋭の若手指揮者小澤征爾さん。会場はなんと米軍嘉手納基地内の飛行機格納庫で、特設のステージと観客席を作ったものであった。プログラムはベートーベンとブラームスの曲だったと思う。小澤征爾さんのことを全く知らなかった私であったが、今にも指揮台から落っこちそうな豪快な振り方に鳥肌が立ったのを今でも想いだす。グレンミラーオーケストラのムーンライトセレナーデを初めて聞いたのは琉球大学の体育館、ペレス・プラード楽団のマンボ№5を聞いたのは那覇市内の国映館という映画館であった。
田舎から東京に出てきて45年。東京の恵まれたところは、世界一流の演奏家や演奏団体が一年を通じて楽しめるところにある。幸い東京オペラコンサートホールは私の家からも近く、好みのクラシックを存分に満喫している。沖縄の飛行機格納庫からサントリーホールまでのクラシック音楽は、私自身の音楽の歴史であり人生の歴史でもある。
私自身の経験からも、音楽を愛し心の糧とするような生き方には、自分自身の心と体に対するゆとりと、仕事に対するリセットとしての意味合いを持っている。現代の子供たちは家庭でも学校でもゆとりのない生活を強いられているのではないか。今こそ音楽を愛することのできる環境を子供たちに提供すべきである。音楽を愛する子ども達は思いやりのある子に育つ。

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