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「好き」論。

いつからだろう。
「好きなもの」を聞かれて、気軽に答えられなくなったのは。

「好きな食べ物は?」「好きな動物は?」「好きなキャラクターは?」
何も考えず、即答すればいいものを。考え込んでなかなか答えを出せないことが多い。"そんなに難しいこと聞いてないですよ?"と言われる。おっしゃる通りだ。でも、適当に答えてしまった場合、もう1人の自分が「それ、本当に好きなの?」と囁いてくるのである。これが非常に厄介で、こいつを倒さないと前に進めないのだ。自分に嘘をついたことになる。嘘ではないのに。

「好き」という言葉に対して、非常に強いこだわりを持って生きていると、度々感じることがある。昔は、「パイナップル」とか「カレー」とか即答出来ていたのに。年を重ねるごとに「好き」のハードルが高くなっている気がする。「好き」を突き詰めていった先にある「ヲタク」という存在。これが自分の人生において大きく関与しているのではないか。

そもそもヲタクとは何か?

野村総合研究所オタク市場予測チーム(2005)『オタク市場の研究』東洋経済新報社によると、オタクとは以下で表される。

「オタク」の定義

オタクの基本的な定義とは、「こだわりがある対象をもち」、「その対象に対して時間やお金を極端なほど集中的に消費しつつ」、「深い造詣と想像力をもち、かつ情報発信活動や創作活動なども行っている人々」である。一方で「社会一般からは価値を理解しがたいサブカルチャーに没頭しコミュニケーション能力に劣る人」というネガティブな見解をされることも多い。


野村総合研究所オタク市場予測チーム(2005)『オタク市場の研究』東洋経済新報社

ちなみに、「ヲタク」と「オタク」の書き方による違いもあるみたいだが、自分的にはそこにこだわりはないので、ここでは「ヲタク」と表記させていただく。

ここで定義されているものを踏まえた上で、私はヲタクとは「ある対象に対して知らないものがない状態。」の人間だと思っている。プロフェッショナルという言葉がふさわしい。要は、なんでも知っている人。これが自分の考えるヲタクであり、求めるヲタク像である。

誰よりも知っていたいし、誰よりも詳しくありたい。
それがヲタクだと思っている。

自分を形成するもの

元々、自分はヲタク気質があったのかもしれない。

小学校の頃、お笑い芸人が大好きだった。特に「エンタの神様」を毎週楽しみにしていた。月曜日には、クラスメイトとエンタの神様の話をするのが楽しくて楽しくて。芸人のモノマネをしたり、ネタの話をして盛り上がった。サンドウィッチマンのネタを書き起こして、台本にし、友達と読み合ったりもしていた。「M-1グランプリ」をきっかけに、笑い飯が好きになって、ネタは全て見た。違法で上がっているYouTube動画から、DVDまで。知らないネタはない状態にしたかった。

大学で上京してからは、都内のライブ会場を毎週のように巡っていた。出待ちなどもよくした。同じネタでも、言い回しが違ったり、間が微妙にズレたりとそういった小さな変化を感じるのがたまらなく好きだった。大学内で誰よりもお笑いに詳しい自信があった。

高校生の時には、アイドルにハマった。AKB48。まだクラスメイトはほとんど知らない。印象としては、秋葉原=ヲタク=キモい。
当時、自分はバイトも禁止だったし、地方だったので、握手会に参加したり、CDを何枚も買うっていうのは無理だった。自分ができる最大限のヲタ活は、お小遣いの範囲で発売された雑誌やCDを買うこと、そしてSNSで発信することであった。当時はアメブロを使って、毎日AKBの情報や動画、写真をまとめて発信していた。AKBはメンバーが多いので、ブログをチェックするのも大変だったし、売れていく最中だったので、連日メディアに何かしらの記事等が上がっていた。

涙サプライズを見てハマっていった。ともちん推し。

今、見返すと結構黒歴史っぽいが、自分にとってはかけがえのない経験。このブログを通して、SNSの面白さ、ヲタクとのコミュニケーションの楽しさを学んだ。また、数字にもこだわり続け、毎日アクセス数とにらめっこしていた。どうすれば、アクセス数を増やすことができるのか、工夫に工夫を重ねて。最終的には、Amebaブログのヲタクランキングで1位を獲得することができた。誰にも負けたくないっていうのはこういうところで培われた。

好きな漫画がある。サッカー漫画の「ホイッスル」

何度も何度も読んだ作品

この中で、主人公の風祭将が放つ台詞に心を打たれた。

うまくなるんだなりたい自分に…
サッカー選手にぼくはなるんだ
あきらめたらそこで終わりなんだ!
無理だってやめて後悔するのはいやだ
好きなことで負けたくない!![風祭将]
ホイッスル!- 樋口大輔

「好きなことで負けたくない」
この台詞はずっと心に残っている。

自分が「好き」なものなのに、誰かに負けるなんてあり得ない。その気持ちが折れた時に初めて相手にも自分自身に対しても敗北感を感じるのである。別に何かの勝負をしているわけではないのだけれど。

「好き」の正体

これまでの経験から、自分の「好き」という言葉には「ヲタク」要素がかなり混じっているということが分かった。好きと言うからには、好きと言えるだけの背景や自信がないといけないと思っている。だからこそ、自分自身の「好き」という言葉に厳しいし、場合によっては他人に対しても厳しい目を向けてしまう。

例えば、テレビの企画で、有名人が突然現れるドッキリなどを見ていると大概「ファンです!好きです!」って言っている。これがモヤッとする。誕生日は知ってるの?ファンクラブは入ってる?その人のことどのぐらい知ってるの?って聞いてみたくなっちゃう。笑 

最初の話に戻るが、「好きな食べ物は?」「好きな動物は?」「好きなキャラクターは?」という質問にはやはり答えることができない。なぜなら、そこまで語れるものがないからだ。「カレー」が好きと言ったからには、自分でスパイスから作ったり、美味しいお店も知ってなきゃいけないと思ってしまう。「ミッキー」が好きと言うからには、何か裏付けできるエピソードがないといけないと思ってしまう。

好きという言葉には責任がついてくるのだ。
だから、今の自分にとって「好きなもの」と言えるもは少ない。
それだけ熱心に応援したり、注目してるものでないといけないからだ。
そういう意味で「NiziU」は好きなものとハッキリ言うことができる。

多分、性格が捻くれているに違いない。面倒臭い思考の人間だ。
こんなことを考えている時に、1冊の本に出会った。
その本の中で、今の自分と非常に考えの近いことが書いてあった。

こんな話をすると「私は好きなものがないので…」という言葉がたまに返ってきます。僕の妻は特にそうでした。
でもよくよく妻を観察していると、どう見ても好きなものだらけ。
映画は死ぬほど見ていてチケットの半券を保管しているほどですし、アプリで自分がどの映画がどのくらい面白かったか管理しています。花も自分で買ってきてリースに仕立ててしまったり。毎日新しいメイク動画を観ては、数ヶ月に1回ガラリとメイク道具が変わります。
「なんでこれらは好きじゃないの?」
と聞くと、
「いや、好きだけど、自信を持って好きって言えるほど好きじゃない」
という言葉が返ってきて、僕はハッとしました。自分の好きなものは、自分で認めてあげることで決まるんだなと。彼女はそのハードルが恐ろしく高かった。「好きと言い切ってしまうと、他の人にどう思われるか分からない」という感情が邪魔してしまうことに気がつきました。
デジタルライフ・モノワーカー モノ選びで劇的に豊かになる仕事術
高澤 けーすけ

まさにこの奥さんとまったく同じ気持ち。好きのハードルが高いのである。この本では、難しいかもしれないがまずは一歩ずつハードルを低くして、好きなモノを増やしていこうと書かれている。

"自分の好きなものは、自分で認めてあげることで決まる"という言葉は非常に刺さった。

ヲタクとしての軸

「なんでも知っている」「好きなもので負けたくない」という点を軸にしてヲタ活ないし推し活をしている。
先日、さまざまなヲタクを見て刺激を受けたという記事を書いた。

本当に、色んなヲタクがいて、それぞれの「好き」のカタチを表現していた。

自分の推し活の原動力はなんなんだろう?
そういう思いから今回の記事を書いた。

好きという気持ちを整理し、ヲタクとは何か、自分とは何かを考える。
最終的に辿り着いたのは、「1人でも多くのファンを増やしたい」ってことだった。

NiziUが好きという気持ちが自分の中に存在してさえいればそれでいい。
グッズを集めたり、CDを何枚も買ったり、認知をもらったり、運営を変えていったり、なんてのはさほど興味がない。それよりかは、周りの人に布教して、興味を持ってもらったり、ライブやMVを見てもらうきっかけづくりが出来たら一番嬉しい。アズマールさんのおかげでNiziUを好きになりましたって言ってもらえるような推し活が自分には合っている。

1年前に書いたnote。ヲタ活も常にアップデートしていかないといけない。

最近密かにはじめたこと

そんな思いから、最近新たなチャレンジを始めた。
NiziUをより多くの人に布教する方法。
それはTikTok。1週間ほど前から試しに何個か投稿してみた。
動画を作るのも初めてで、よくわかってないが、やってみて分かったことがある。

それはTwitterとは明らかに違うことで、TikTokはフォロワーが全くいなくても動画を伸ばすことができるということだ。ほぼ0に近いフォロワーだったにも関わらず、この動画は平気で6万回再生されている。Twitterで動画を6万回してもらうってかなり難しいので、TikTok ならではの面白さがここにはある。Twitterよりも若い世代の子が多いと感じ、これもまた興味深い。コメントを残す文化なのか、FFでも、フォロワーでもないのにコメントがたくさん来る。NiziU垢でもないし、一般の人たちに幅広く届いている実感があった。NiziUを広げる手段として、かなり有効だと思う。また、TikTokは曲を付けることで、曲の方にも注目してもらえるのがいい。NiziUの動画を使って、好きなアイドルの曲を使うといったWin-Winの布教活動ができることも気づいた。発見がまだまだありそうなので、ちょっとずつやっていこうと思う。ぜひ、フォローしていただけるとありがたい。

真面目に、真剣に、「好き」なことについて考えてみる。
一生懸命、「推し活」をやってみる。

推しは、人生を明るく照らしてくれる。
素晴らしい存在だ。

栄養を蓄えます!